『歴史地理教育』7月号「FACT CHECK」特集に寄稿した記事を許可を得て転載します。「ファクトチェック」の名の下に体制側がファクトをフェイク扱いし闇に葬り去ろうとしている西側諸国に広がっている現象を扱いました。参考資料から、ネット上で見られるものはリンクで示しています。
「ファクトチェック」というフェイク
乗松聡子
一九六〇年代から数々の戦争を取材してきたジャーナリスト、ジョン・ピルジャー氏は二二年七月、「サウスチャイナ・モーニングポスト」の取材に応え、ウクライナ戦争について「私は人生で今回ほど、西側メディアが情報を操作し好戦的になるのを見たことがない」と語った。ロシアの侵攻は支持しないが、西側報道には歴史的視点が全く欠落していると指摘した。
戦争への反省に基づく日本国憲法は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」と謳う。市民が「政府の行為」を唯一知りうる媒体である報道機関が、大本営発表をそのまま報じ、「戦争の惨禍」に加担したことへの反省があった。しかし今回の戦争について日本メディアは、西側メディアの Unprovoked(いわれのない) という枕詞に倣い、「独裁者プーチンが突然侵略した」という言説をそのまま流している。それでは日本の戦前に逆戻りだ。
1 同調せず事実を伝える者たち
それでも英語の言論界には、主要メディアが報道しない事実や異なる視点を発信する数々の学者やジャーナリストがいる。その一人であるシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授は、ウクライナ紛争は「西側の責任」であると言い切る。「米国と欧州同盟国の狙いは、ウクライナをロシア影響圏から剥ぎ取り西側に編入すること」にあった。西側軍事同盟NATO(北大西洋条約機構)は、米国の「東方拡大せず」との約束を破りロシアの目前まで拡大した。〇八年のNATOブカレストサミットでは「ジョージアとウクライナの加入を歓迎する」とし、ロシアが容認できないといくら表明しても米国は一顧だにせず、核兵器とミサイル防衛基地配備で威嚇を続けた。米国は、ニ◯一四年二月にはネオナチ勢力を使って政権転覆を行った。これに危機感を抱いたクリミアとセバストポリ市は住民投票を行い、双方八〇%以上の投票率で九五%以上の圧倒的多数でロシア再編入の道を選んだ。
コロンビア大学のジェフリー・サックス教授も、この戦争は「ニ〇二二年二月ではなく一四年二月に始まった」と強調している。ロシア系住民が多い東部ドンバスの市民は一四年クーデター以降、NATO諸国から支援を受けた自国政府による圧政と武力攻撃に晒された。ウクライナ政府勢力とドンバスの武装集団との八年の内戦では一万四千人が亡くなっている(国連報告)。サックス教授は、米国ネオコン(新保守主義)が起こした戦争について「米英のメディアは完全に一方的な報道しかせず、プロパガンダを先導した」と批判した。「ミンスク合意」という和平合意があったが、今やメルケル前ドイツ首相やオランド前フランス大統領が認めているように、ウクライナ再軍備のための時間稼ぎに過ぎなかった。一九年に就任したゼレンスキー大統領も遵守する気は毛頭なかった。サックス教授はこの合意が西側の「フェイク」であったと言った。
2 責任ある言論を「フェイク」と呼ぶフェイク
「フェイク」とは「嘘」「偽物」「本物ではない」という意味だが、事実の伝達を妨害する言説全てが「フェイク」と言えよう。一九八〇年代「イラン・コントラ」事件報道などで知られたジャーナリスト、ロバート・パリー氏(二〇一八年死去)が、自らが設立した調査報道サイト「コンソーシアムニュース」でメッセージを遺している。氏が若い頃は取材において常に「別の意見」を報じることが期待されていたが、次第に「公式見解への疑問を封じることがジャーナリストの奇妙な義務になった」という。この傾向は二一世紀に悪化し、「欧米の主要な報道機関は、でっち上げの『フェイクニュース』や根拠のない『陰謀論』と、公式見解に異を唱える責任ある分析を混同するようになった。どちらも同じ釜に入れられ、軽蔑と嘲笑の対象になっている」と。ウクライナ戦争においてはまさしく、どれだけ客観的な調査や言論も西側のナラティブに沿わないものは「ロシアのプロパガンダ」と一蹴される現象が起こっている。これも一つのフェイクの手法だ。
3 真相究明を妨害するフェイク
重要な例を紹介する。二〇二二年九月二六日の「ノルドストリーム・パイプライン爆破」は衝撃的なテロ事件であった。ドイツにロシアの安価な天然ガスを提供するパイプラインは、欧州経済に欠かせない存在であり、米国は目の敵にしていた。バイデン大統領はロシア侵攻前に「パイプラインに終止符を打つ」と公言していた。爆破後にブリンケン国務長官は、ロシアの替わりに米国がガスを提供する「素晴らしい機会だ」と繰り返した。ロシアのパイプラインなのにロシアのせいにする声さえあった。
そんな中、二〇二三年二月八日に、正確な調査報道で定評のあるシーモア・ハーシュ氏が「米国はいかにしてノルドストリーム・パイプラインを破壊したのか」という記事を出した。記事は、バイデン政権が舵を取り、海軍のダイバーが二二年六月NATOの演習を隠れ蓑にして爆発物を仕掛け、三ヶ月後、ノルウェー海軍機がソナーブイで爆破させたと報じた。これが本当なら、米国は同盟国の基幹インフラを攻撃したということになる。それなのにドイツをはじめ欧州全体で怒りが噴出することもなかった。EU議会の左派議員クレア・デイリー氏は「誰がやったのかを調べる関心が全くないことに呆れる!」(二〇二三年二月一五日)と怒りを露にした。
調べるどころか、同年三月七日には米独が共同で火消しを図るかの如く同時に記事が出た。「ニューヨーク・タイムズ」は、「最新のインテリジェンスを検証した米国高官」の話として、民間の親ウクライナグループがやったという記事を出した。「ツァイト・オンライン」は、ポーランドの会社からレンタルしたヨットで「船長、潜水士二名、潜水助手二名、女医一名」のグループが「爆薬を事件現場に運び、仕掛けた」と報じた。このようなグループがどうやって水深八〇メートルにあるコンクリートに覆われたパイプラインを特定し、爆破できるのか。にわかには信じられない物語だ。
三月二七日、国連の安全保障委員会で、独立した国際的な調査委員会を設立するロシアの提案は否決された。これだけの重大事件の調査を米国は強硬に反対している。それはすでに答えを知っているからか、答えを出してほしくないか、あるいはその両方かしかないであろう。真相究明への妨害というフェイクである。
4 利益相反の「ファクトチェック」
このような動きにはSNSも加担している。二〇二三年四月一九日、フェイスブックがハーシュ記事を検閲していることが発覚した。記事をシェアしようとすると、「嘘のニュースを繰り返しシェアするページには制限がかかります」という脅しのような文句が出る。何よりも、現時点では最も論理的で詳細にわたるハーシュ氏の報道が「嘘」と決めつけられている。
フェイスブックが「ファクトチェック」として誘導するノルウェー語の「ファクティスク」というサイトには、事件へのノルウェーの関与を否定する記事が出てくる。しかしこのページには、国営メディアNRKが関与していた。ハーシュ記事で事件への関与を指摘されたノルウェー政府の息がかかったサイトには明らかに利益相反がある。客観的な「ファクトチェック」などできるはずがない。これは「ファクトチェック」という名のフェイクだ。昨年4月に米国政府が、ジョージ・オーウェルの「真実省」さながらの「偽情報統制委員会」を作ったことは記憶に新しい。これには批判が殺到して結局廃止された。
フェイスブックは他にも、ネオナチのアゾフ運動を、そのヘイトクライムや暴力性により禁止処置にしていたのに、ロシア侵攻後解禁するなど、西側の戦争に協力している。米国政府は現代人の情報収集には欠かせないグーグル検索やユーチューブ等IT大手を使い、政府を批判するジャーナリストや、ロシアやイランなど、米国が敵視している国々のメディアを次々と検閲してきた。これらの会社は米国政府から巨額の事業を請け負っており、癒着関係にある。
5 独裁化しているのは西側「民主主義」国家
ラテンアメリカを拠点に活動するジャーナリスト、ベン・ノートン氏は、これらの動きに触れ、「米国は、自由や民主主義を標榜し、中国やロシアの国内での検閲を批判しておきながら自分たちは世界中で検閲を行い『情報戦争』を展開している」と言う。いまや表現や報道の自由の制限が加速しているのは西側なのだ。
フランスの人類学者エマニュエル・トッド氏は、近著『第三次世界大戦はもう始まっている』(文藝春秋、二〇二二年)で、金権政治と格差が加速する西側はもはや自由民主主義とは言えず、逆に専制国家と言われている中国やロシアでは、大衆の意見を反映する民主主義が存在すると指摘している。今の世界の対立関係は、西側が言うような「民主主義陣営VS専制主義陣営」ではなく、「リベラル寡頭制陣営VS権威的民主主義陣営」であるとの見方だ。
米国を中心とする西側諸国が「ルールに基づく国際秩序」というときの「ルール」とは、米国ルールのことである。西側諸国が「国際社会」というとき、自分たちのことだけを指している。世界でロシアを制裁しているのは主にこの西側連合の国々であり、人口にしたら世界の十五%程度だ。他の圧倒的多数派は歴史的に西側諸国から搾取され続けてきた「グローバルサウス」の国々であり、西側に必ずしも同調していない。日本の報道にも顕著な、西側の基準が正しい国際基準であるかの如くの言説自体にバイアスがあることを知る必要がある。世界の現実を反映していないという意味からも、一種のフェイクなのである。
6 マッカーシズム再来
ノルドストリーム破壊事件について、バイデン政権が行ったという疑惑を追及していたのは米国メディアでは「フォックス・ニュース」のタッカー・カールソン氏であった。彼は右派であるが、米国のウクライナ戦争へ責任を問い、バイデン大統領の息子の汚職疑惑も追及し、巨大製薬会社がTVニュースを支配していると指摘した。事実を追求するという共通点で左派のゲストを招くことも多かった。二〇二三年四月二〇日には、民主党から大統領選出馬を表明したロバート・F・ケネディJr氏をゲストに呼び、大企業による政府の支配への痛烈な批判に耳を傾けた。そのカールソン氏が、四月二四日に突然解雇された。日本の安倍政権下で政府に批判的だったニュースキャスターが立て続けに降板させられたことを彷彿とさせる出来事だった。
「米国憲法修正第一条」は表現、報道、集会、信教の自由を保障する憲法条項である。今、修正第一条をかなぐり捨てたような言論と事実の弾圧は止めを知らない。同年四月一八日、「アフリカ人民社会主義党」の指導者ら四人の米国人はその政府批判活動に対し、「ロシアのプロパガンダを広め、米国の選挙に干渉した」として米国司法省により起訴された。米国では黒人の政治活動家が体制の標的にされてきた歴史がある。体制に反対する声をすぐ敵国のスパイであると嫌疑をかける「マッカーシズム」再来を懸念する声も上がっている。
中国敵視が強まっているカナダでも、中国政府が中華系カナダ人の政治家を利用して選挙に影響を与えているという報道が連日大きく扱われている。これもカナダの諜報機関筋の情報ということで、証拠も不十分なまま印象だけが肥大している。
7 戦争の最初の犠牲者は真実
二〇二三年四月初頭、英米のメディアが、ウクライナ戦争の現状に関する国防総省の極秘文書を、マサチューセッツ州空軍に属するジャック・テシェイラ氏が漏洩したと報じ、FBIが逮捕した。これらの文書は、ウクライナ軍の窮状、米国の直接参戦、米国によるロシアと同盟国に対する広範なスパイ活動等を明らかにしている。
今回の出来事で大きな意味を持つのはメディアの変貌だ。かつては、ベトナム戦争の機密文書をリークさせたダニエル・エルズバーグ氏に協力し、「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」がスクープ記事を出した。イラク戦争における米軍の戦争犯罪等を暴いた「ウィキリークス」のジュリアン・アサンジ氏や、米国家安全保障局(NSA)による大量監視行為を内部告発したエドワード・スノーデン氏を、勇敢な発信者として位置づけるメディアも多かった。そのような西側の大手媒体がいまや、率先して告発者を悪人として叩き、当局に引き渡すような行為をしている。
「戦争の最初の犠牲者は真実である」という言葉がある。主要報道機関にジャーナリズムが存在しなくなっている今、市民が体制側のフェイクを見極める力を養い、抵抗していく必要がある。戦争を止めるために。
(のりまつ さとこ・ジャーナリスト)
初出:「ピースフィロソフィー」2023.7.8より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.com/2023/07/fake-in-name-of-fact-check-from-july.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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