「マルクスの五感論、・・・そして邦楽の運命」補足――コロンビア商人と「吉原雀」――

 ニコラス・タンコ・アルメロなるコロンビア商人が1871年12月24日(明治4年陰暦11月13日)に横浜上陸、一ヶ月間滞在。後に『コロンビア商人がみた維新後の日本』(寺澤辰麿訳、中央公論新社、2019年)をスペイン語で出版。
 日本の音楽に関する当時の多くのヨーロッパ人による印象と同じ印象が二ヶ所に記されている。日本人は「ふしだらな・・・『芸者』を雇って、宴会の間、歌舞音曲を演じさせてそれに金を払う。演奏する楽器は、『三味線』といい、……、とても調子の狂った不快な音がする。歌謡は、身の毛のよだつひどいもので、想像しうる最も不快な悲鳴か耳障りな叫びである。」(pp.115-116)「音楽に関しては、日本は、世界の中で一番遅れている。日本人は音痴であり、和音の知識がなく、音を識別する手段を持たず、したがって、音楽家とはなりえない。その歌には、メロディがなく、すべて耳障りな喉音の叫びか不調和な雑音になる。」(pp.179-180)
 仮に、彼ニコラスが令和7年・2025年の日本を再訪して、NHK大河ドラマ「べらぼう」のVirtual Realityを見聞すれば、彼が明治4年にエキゾチックに体験したとさして異ならない江戸の街並と町衆に再会でき、彼が嫌悪した「調子の狂った不快な音」曲がほとんど消えて、彼が好きな「すばらしいオーケストラの甘い和音」(p.180)のBGMが出迎えてくれるだろう。ニコラスは満足するだろう。だがしかし、日本人の岩田昌征/大和左彦は、満足できない。
 「べらぼう」に限らないが、時代劇の映画やテレビ・ドラマのBGMに西洋楽器音楽が支配する事によって、まことに奇妙な不自然像が私の脳内に創出される。例えば、吉原門前から日本橋へ移った蔦重の店先で歌麿や写楽の浮世絵と並んでルイ十四世やマリア・テレジアの油絵肖像画が同時に売り出されるような光景。
 BGMによるそんなちぐはぐなイメージが起こらないように、あるいは消し去るように、私は、「べらぼう」を観た後に毎回必ず、長唄「吉原雀」――コロンビア商人が聞いたかも知れない。――と地唄「ままの川」――彼は聞いていないだろう。――をCDやYouTube上で聞くことにした。邦楽演奏家達が自分達の音楽の生命力に自信を持っているのがわかる。これら二曲、以前は殆ど聞いたことがない。「べらぼう」に合うだろうと直感的に選んだのであったが、正解だった。「吉原雀」は、「べらぼう」の時代、1768年の作、舞台は吉原本体。「ままの川」は、1842年の作、一人の遊女が生きる夢も諦念浮世も諦念を描く。メロディが美しい。二曲があると「べらぼう」が充実。
 「吉原雀」の詞章は、「ままの川」のそれより十倍も長く、かつ今となっては意味不明な言葉もかなりあるので、誰かの手助けがなければ、理解しづらい。電子検索にかけると、2017年2月19日付「徒然長唄記《吉原雀》東京大学長唄研究会まったり活動記」を見付けた。その詞章解説に大変助けられた。語義だけではない。詞章の社会思想把握をも示してくれている。解説の筆者は修論口頭試問を終えたばかりの修士ちはや氏である。

 以下にちはや女史が「ここまで『解説』の書きにくい曲も初めてでした」と述懐しつつ、説く所の一部を紹介する。

――吉原はその点で確実に江戸(・・)文化(・・)(・)ダークサイド(・・・・・)を代表しています。《吉原雀》は、吉原の繁栄ぶりを実によく描き出していますが、それはある意味、暗黒面には一切目をつぶった表現とも取れます。もちろんそのような表現こそ、治助(作詞者:岩田)や吉治(作曲者:岩田)はじめ「外」の人間にとっての吉原のありようだったのであり、また歌舞伎の観客が求めるものであったのですが。――
――吉原という存在についてどのように考えようとも、私たちは吉原で(数多の遊女の骸の上に)育まれた多くの文化を継承・享受しています。それは演劇・音曲や服飾などへの遺産といった一見ポジティブなものだけでなく、自分のセクシュアリティ・身体を己の自由にする権利を制度や社会によって奪われるなどのネガティブで暴力的な面を含めてのことです。《吉原雀》に描かれ、あるいは描かれなかった吉原は、(しばしばそう感じられるように)現代人に無関係な過去の遺物では決してなく、「文化」に関するすぐれて現代的な問題を常に私たちに突きつけます。――

 私=岩田の時代劇感は、以下の通り。今日的、すなわち21世紀令和代的意味を有する時代劇の理念型は、①当該時代の絵画的・視覚的生活空間の再現、②音響的・聴覚的生活環境の復元、③伝統音楽のエッセンスとイディオムから成る創作BGM(背景音楽)、を満たす。あくまで理念型であり、現実型ではない。今日、①は、相当に努力されている。②は、不十分である。③は、不在である。
 明治国家と近代資本主義、次いで戦後民主主義国家と現代資本主義が総力で育成した音楽世界が③を不可能にしているようだ。ここで想起すべきは、「五日市憲法草案」を書いた青年の音楽環境は、いまだ伝統音楽だったはず、仮に横浜からのブラス・バンドが西洋音楽をとどけることがあったにせよ、と言う事だ。

 さて上記に引用したような「吉原雀」解釈を書く長唄奏者がやがて③の映画音楽を創ってくれるかも知れない。かくして、視覚と聴覚の分離が消える幸福を味わえるかも知れない。

       令和7年5月7日    岩田昌征/大和左彦

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