「人間」イエス・キリストとは?-ルナン著『イエス伝』を読む(その1)

テクスト:『イエス伝』ルナン著 津田 穣訳(岩波文庫194157

1.「神と呼んでもよいほどに偉大なる『比類ない人間』」

キリスト教にも、キリスト教史にも縁遠い評者=私が読んでも、よくこのような思い切ったことが書けたものだというのが読後の第一印象である。しかしまた、ルナン(1823-1892)はかなり熱心なキリスト教徒だ、とも思った。

ルナンの視座を一言で言えば、神と呼んでもよいほどに偉大なる『比類ない人間』としてのイエスということにあるようだ。

実際にルナンは、1862年1月に、コレージュ・ド・フランスでのヘブル語講義の開講日に、この言葉を不用意に述べたために猛烈な異議の声が起こり、講義は中断のやむなきに至ったという(ルナンが復職したのは1870年のこと)。

この書は、『キリスト教起源史』という、総索引を加えて全8巻から成る浩瀚な本の第一巻に当たる。出版されたのは、1863年6月である。そして出版とともに、当然予想されることではあるが、猛烈な論議が巻き起こった。ルナンは、悪魔、ユダ、偽善者と罵られ、カトリシスムはこの伝記を読むことを禁じている。

ルナンの教養は実に幅広いが、特に興味を引くのは、彼が仏教(釈迦)に興味を持っていたことであり、この書の中でも何度か関連する叙述に出会った。

彼は、一般的には、実証主義的な宗教学者と呼ばれていて、その立場から伝説や信仰のヴェールをはがし、合理主義的な見方で「聖書」を解釈し直し、あくまで「人間」イエスを描こうとしている。

この本の「注」がすごいと思う。ルナンがこの書の中で展開している一見「無茶苦茶」な意見と思える解釈のいちいちの裏付け、その全てが聖書(いわゆる四大聖書)から採られているからだ。「聖書解釈学」にもたらした衝撃は大変なものだったろうと思う。

ただしここでは、あまりオーソドックスにこの本の批評を書いても興味をひかないことを畏れ、思い切って「ど素人の強み」を発揮して、週刊誌のネタになりそうなところを2つ3つ拾い上げてご紹介しながら、最後に全体の流れを概括したいと思う。

もちろん、その限りでは、この書物の叙述の順序とはかなりかけ離れていることを前もってお断りする。

2. イエスと聖母マリアおよび兄弟の関係

結論から述べれば、ルナンはこの関係を一刀両断、見事に切って捨てている。つまり、彼に言わせれば、イエスは、その生家では母(マリア)にも弟妹たち(イエスは長男であり、弟や妹が何人かいる)にも疎んぜられている。もちろんマリアの「処女懐胎」などという伝説は一笑に付されている。

マリア信仰、また兄弟たちへの尊敬が持ち上がったのは、イエスの死後のことで、「イエスの母」「イエスの兄弟」ということから起きた結果であるという。

「聖母マリア」どころか、この『イエス伝』には、マリア自身への記述はほとんどないと言ってもよい。そのごくわずかの記述の一つは、イエスが生国のナザレに帰省した時のことである。そのころイエスの名前は、地方の狭い範囲で多少売れ始めていて、弟子も数人はいる。-以下全ての引用中の下線およびカッコ内は、おおむね評者のもの。

イエスの生地のナザレは酷くひなびた場所だったようだ。「ナザレからは聖人は出ない」ともいわれている(俗に解するなら「ナザレ人は愚か者だ」の意味か?)。

「彼はナザレへ帰ると間もなく、彼のわざ(奇跡を起こすわざ)を試みたが、成功しなかった。彼は一伝記作者の率直な指摘によると、ナザレでは、何ら力ある奇跡をおこなうことができなかった。人々が彼の家柄の少しも立派でないことをしっているので彼の権威はひどく傷つけられた。人々は毎日その弟や妹や義兄弟には逢っている者を、ダビデの子とは、どうも見ることができなかったのである。おまけに家族は、彼にたいそう激しく逆らい、彼の聖き使命を信ずることをきっぱり拒絶していた、これは注目すべきことである。ある時彼の母と弟たちは、彼を気が狂ったといい、熱狂した夢想家だとして、無理に取り押さえようとしている。一層乱暴なナザレ人たちは、彼を絶壁の上から突き落として殺そうとしたという。イエスは賢くも、かかる危難が、全ての偉人に共通のものであることを認め、『誰も故郷では預言者になれない』という諺を、自分の身にあてはめた」。

もう一つ印象的なのは、イエスがゴルゴダの丘で磔刑に処されるその時に、果たして母マリアはその場にいたのか否か、という重大な問題に関してである。これにもルナンは否定的である。

「…(イエス磔刑の際)弟子たちは逃げていた。しかし一伝承によると、ヨハネは始終十字架の下に立っていた。エルサレムでイエスに従い、絶えず彼に仕えたガリラヤの信仰深い親しい女たちは、彼を棄てはしなかった、とするほうが更に正確であろう。(ベタニア村の)マリア、クロパ、マグダラのマリア、クーザの妻ヨハンナ、サロメ、その他の者は、ある距離を隔てていて、目は彼から離さなかった。第四福音書を信ずるなら、イエスの母マリアも十字架の下におり、…。そうすると、共観福音書の記者たちが、他の女たちの名前は挙げておきながら、なぜ、そこにいれば実に著しい特色となるところのこの女性(聖母マリア)を省いてしまったのか、その訳が分からなくなる」。

ここで念のため次の注をしておく。

「共観福音書」とは、新約聖書のうちのマタイ、マルコ、ルカによる三福音書を指す。内容・叙述などに共通点が多いという。「第四福音書」(ヨハネ福音書)は使徒ヨハネの著作と言われ、三福音書に比べて独自性を持つ。つまり、イエスの神性と人間性を特に強調していると言われる。

私のような信仰心のない俗物は、ここですぐに「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン原作で、ロン・ハワード監督の大ヒット映画)を思い出す。この映画では、イエス・キリストは実は結婚していて、その相手というのはマグダラのマリア(実は、ヨハネ)に他ならないという、これまた破天荒な筋立てだった。しかし、その後ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」をじっくり眺めながら感じたことは、なるほど、イエスの右隣で、イエスにもたれかかっているヨハネは、確かに女性的に若く美しい容姿をしている、いや、もしかすると女性だったかもしれない、ということだ。実際にこの本の中でも、ヨハネは絶えずイエスにもたれかかっているかに描かれている。また、上記の磔刑の場面に始終付き合っていることからも、そう思いたい。再び引用する。

「イエスの家族は、大体イエスを好かなかった、とわれわれは言った。しかしマリアークロバによるイエスの従兄弟、、ヤコブとヨセフとは、その頃からイエスの弟子に加わっており、マリアークロバ自身、カルパリ山へ彼に従って行った仲間の一人であった。このころには彼の傍に彼の母は見えない。イエスの死後初めて、マリアは、大層尊敬を受けるし、弟子たちは彼女と結ばれ合おうと努めるのである。また、この始祖の家族の人々が、『主の兄弟』という呼称のもとに、長いことエルサレムの教会の首脳となり、都の荒廃後は、バタネアに難を避けたところの、有力な団体を作るのも、この時である。ただイエスと近かったという事実だけが、決定的利益となったのであった、…」。

まったくの私見でしかないが、ここから推測すれば、イエスは兄弟の中でもかなり変わった性格の持ち主で、家中では扱いにくい「はみ出し者」的な存在であり、新興宗教に夢中になったために、精神に異常をきたしたのではないかと周囲に疑われた、とみる方が今日のキリスト教になじみのない常識からは判りやすいように思える。

先程述べたルナンの仏教思想(特に釈迦)への関心の深さ(彼は実際に東洋語学校で学んでいる)に関連する個所を紹介して、ひとまず今回は締めたいと思う。

「若き人々の師らは往々、バラモン教の求導師にかなり似た一種の行者であった。実際そのことには、遠くからインドのムニらの影響がなかったであろうか。仏教の行脚僧らは、のち初期フランチェスコ派のしたように、その有益な行為をもって人を奨め、彼らの国語を知らぬ人々を改心させつつ、世界を経めぐっていたが、その幾人かは、シリアやバビロンへ明らかに足を向けたように、ユダヤへも向かってこなかったであろうか。このことはわからない。バビロンは、少し以前から、仏教の真の中心地となっていたし、ブダスブはカルデアの賢者であり、サビスムの始祖であると思われていた。サビスムそのものは一体なんであったか。これの語源の示すところによれば、このものは、バプテスマ即ち幾重もの洗礼の宗教であり、…現存の宗派の起源をなすものである。かように漠然と類似したものを識別することは極めて難しい」。  (つづく)

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