「何をなすべきか」と現在(五)

 1990年の湾岸戦争から、戦争をめぐる戦後の日本の議論にこれまでと違う枠組みの議論を持ちこんだ。そこで生まれた消極的平和主義批判は本来ならば、地域紛争という戦争に関係する面と、これまでの国家の安全保障において国権を発動させる戦争についての考えを区別しながらなければならかったはずである。この関係も含めて展開したのは1990年の湾岸戦争において「普通の国」という考えを提起した小沢一郎だった。小沢は地域紛争を止める戦争に、国連を通じての軍隊派遣を世界警察的なものとして容認すべきだ、という考えを提示する一方で、憲法9条を示されている安全保障のための国権発動である戦争を否定(専守専制的な自衛の容認含む)した。これは地域紛争に関わる場合の戦争と9条に規定された戦争とを区別し、日本の安全保障のための戦争ということでは消極的平和主義(憲法9条擁護も含む)の肯定であったといえる。積極的平和主義は起源は地域紛争などに関わることの否定(消極的平和主義のこの面での批判)から出てきたが、狙いは日本の外交―安全保障を理念的に支えてきた平和主義の批判にあった。戦後の日本を大きな枠組として支えてきた平和主義の批判に的はあった。

 積極的平和主義は言葉のまやかしであって、安全保障のための国権の発動である戦争の肯定であり、戦後の平和主義(非戦主義)の否定である。これを湾岸戦争などの地域戦争への加担(参加)をめぐる契機から日本の安全保障としての戦争の容認まで拡大してきたのだ。911以前のアメリカにおいても、地域戦紛争に関わる論理と自国の安全保障(自衛)のための論理。論理とは戦争肯定の論理だが、これには溝というか差があった。もともと日本とは違って国権の発動としての戦争が肯定されてアメリカですらこれだけの違いがあった。その意味では911は大きな役割を持った。この溝を埋める役割を果たしたからである。こういうことを見ていると、積極的平和主義という戦争の肯定論が、地域戦争をめぐっての次元から、国家の安全保障をめぐる次元に向かってくるとしたら、そこにどういう契機があるのか。僕の感想をいえば、戦争の肯定論はここになし崩し的に浸透してきているように思う。アメリカの安全保障の世界戦略の中心をアジア(対中国)に切り替えてきていることもあるが、同時にこの間の対中国との関係も関係しているように思える。9・11事件がアメリカ国民にもたらした国家意識の変化のようなものが、尖閣列島をめぐる日中間の軋轢な中で日本人、あるいは日本人の国家意識にもたらしたものがあるのではないか。

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