「協力的な分断」状態への回帰か朝鮮戦争の再発か: 朝鮮半島2015年を占う

 はじめに

 年が明けると共に、朝鮮半島をめぐる情勢が俄かに騒がしくなってきた。ひとつは、周知のとおり米朝関係が例のソニー映画「インタヴュー」上映に関連して険悪なムードになってきたこと。もう一つは、南北朝鮮の両首脳が発した新年の挨拶で南北首脳会談を射程に入れた関係改善の動きが出てきたことである。

 前者の対立関係がエスカレートすれば、南北間で偶然の軍事衝突でも起きる場合、朝鮮戦争の再発へ向かう危険もなしとは言えない。危険を高めるかのように、オバマ(Barack Obama)米大統領は、ユーチューブを通じたインタヴューで北朝鮮の統治体制を酷評し、「今後も圧力をかけ続ける」と明言した。彼は、戦争になると「韓国が深刻な影響を受ける」としつつも、制裁の強化の中で「北朝鮮に情報が徐々に浸透し、変化をもたらす」方策を見出したいとも述べた(『西日本新聞』2015年1月25日5面)。仮にこのような方策が実施される場合、北朝鮮が体制を守るため反撃に出て、不測の事態が起こり得るだろう。

 反対に、後者の動きが進展すれば、本年内にも大韓民国(韓国)大統領の朴僅恵と金正恩が会談する可能性がある。これは、たとえ韓国の反共保守勢力が「失われた10年」の再来と批判するとしても過去に金大中、盧武鉉の両大統領が金正恩の父である金正日と会談したように、南北朝鮮間に「和解と協力」をもたらすであろう。そもそも今回は、その反共保守本流の大統領が一方の当事者となるところから、少なくとも朝鮮半島で戦争の危険は大幅に削減され、比較的に長い期間その「包容政策」が持続することになろう。

 本稿は、この両極端の展望が抱ける年初の現時点で、本年の朝鮮半島情勢を占おうという若干は無謀な試みである。年末に振り返る時、本稿の予想が当たる場合も外れる場合もあるだろうけれども、ダイナミックに躍動する韓国人と朝鮮人の関係を周辺の日米中ロとの関係、さらには世界情勢の中で見極めようとするわけであるから、読者諸氏には宜しくご笑覧いただきたい。なお、本稿では敬称は全て省略し、日本で使われる朝鮮民族、朝鮮語、朝鮮人、韓国人、北朝鮮、韓国などの用語を用いる。

.悲劇から喜劇へ:年越しの笑い話

まず、顧みて昨年は、朝鮮半島、特に韓国では悲劇が連続した年回りであった。記憶に新しいであろうが、昨年4月に起きたフェリー歳月号の沈没事故は、船長はじめ船員全員が乗客を捨てて真っ先に逃げ出し、船員の誤誘導により多数の女生徒などが船内に閉じ込められて死亡するという前代未聞の惨事であった。韓国の前近代的な産業構造も明るみに出て、電子版『中央日報』社説は今更ながら自国を「三流国家だった」と日本人には分かり切った評価を自認した(2014年4月19日)。しかも、その解決に韓国国会では延々と与野党の綱引きが続き、遺家族たちが繰り返し国会に詰め掛けて抗議したり遺族の父親がソウルの中心地である光化門の前で断食籠城したりと、全く迷走を続ける醜態も曝した。

続けて6月には、西海岸で勤務兵士による銃器乱射、逃亡事件が起こり、多数の被害者が出たのみならず、その事件調査の過程で韓国軍内部の実情が明るみに出て、韓国世論の批判を招いた。軍内部のイジメは言うに及ばず、女性兵士に対する強姦事件なども数多く発生していた事実が次第に判明し、女性大統領の下で韓国社会の「4大悪」を退治するとの掛け声とは裏腹の事態に、沈没船事件の不適切な処理から来る批判なども合わさり、朴僅恵の支持率は現在までに29%へ急落した(電子版『ハンギョレ』2015年1月30日)。

 北朝鮮では、一時期その消息が途絶えた金正恩にクーデタ説まで飛び出して、その政権の国際社会における評価が改めて示された。幸い彼は10月中旬に再び姿を現したものの、半身に杖を突くという病み上がりであった。おそらく脳溢血を発病した、糖尿病が悪化した等と言われているように、まだ若い年齢で分不相応な生活を送るツケが回ったのだろうと推測されている。その多くが痩せた北朝鮮住民とは対照的に、肥満した身体で笑う「最高尊厳」から、独裁者を戴く国の悲哀を感じてしまうのは、ひとり筆者だけではあるまい。

このような悲劇が喜劇へ変わったのは、12月に起きた「ナッツ・リターン」事件であった。この解説する必要もないほど広く報道された事件は、韓国人というよりも朝鮮民族の権威主義文化、そこから派生する家族主義、そして結果として起こる不正腐敗を余すところなく全世界に明らかにした。同月下旬に金正恩の妹である金与正が党幹部に登用された事実が、金正恩の個人独裁から北朝鮮に独特な「家族独裁」と筆者が呼ぶ体制へ移行している証拠と見られる点も、南北朝鮮を分かたずに権威主義文化は共通していることを示した。この家族主義の弊害は、韓国で「金英蘭法」と言われる政治家の非理にその家族も連座させて処罰する法案が長きにわたって国会で通過しないところからも再確認できる。

確かに、このように立ち遅れた前近代的な政治文化を持つ民族が互いに争い、終わるところなく自らの責任を他者に転嫁して恥を知らないのを我々は充分に理解できる。昔よんだヘーゲルの『法哲学』風に言えば、韓国人にしろ朝鮮人にしろ、彼らは未だ家族の圏に留まっており、自由の高みにまで到達できていないため、責任を伴う行動は出来ていないのである。簡単に言えば、権威主義文化では上下の秩序は画然としており、朴僅恵が70年代の独裁者たる父親の朴正煕の再来を思わせるほどのワン・ウーマンぶりだとすれば、半身不随の金正恩も祖父の金日成を思わせる行動パターンで独裁者として君臨している。

そこには上意下達こそあれ、自由な意思疎通、それに従う責任感、さらには民主的な意思決定過程などは見られない。実際に韓国々会議長の鄭義和は、朴僅恵と意思疎通が出来ないと「不通」を嘆いて見せた(電子版『ハンギョレ』2014年12月15日)。この「不通」こそ、彼女が有無を言わせずに独り決めしている証左であり、彼女の意思に反する行動は誰も取れない。そこから、争点となった「国政介入事件」で国会出席を求められた青瓦台の民政首席が辞表を提出して国会出席を拒否したように、いわゆる「抗命」という古臭い手段にしか抗議方法は残されてはいないのである。

さらに沈没船事件と関連し、『朝鮮日報』の記事を引用しながら朴僅恵の「7時間」不在を論じた『産経新聞』記者を、まるで不敬罪のような扱いで裁判にかける手法も、もはや民主国家とは言えないと批判されても致し方がない。一般に右翼的な主張で知られる新聞の記者が、この裁判のお蔭で自由と人権の守護神然として立ち現われたのも、悲劇が喜劇へ転換する一幕であった。確かに、沈没船で子どもたちが犠牲になっている7時間もの間、果たして大統領が情事に耽っていたかどうか知る由もないけれども、このように大韓航空機会長の娘や『産経新聞』記者のお蔭で、全世界の人々が韓国人を笑い者にして楽しい雰囲気で年末年始を迎えることが出来たのではなかろうか。

本年頭に起きたフランスでのテロリズムやイスラム国(ISIL)による日本人の拉致、殺害は今年が厳しい年になることを予言している。犠牲となった湯川遥菜、後藤健二の両氏には、ご冥福を祈るばかりであるが、少なくとも朝鮮半島では、金正恩による新年の辞、これに応えた朴僅恵の新年記者会見の双方は、何か明るい展望を抱かせるのに充分であったと言えよう。次に、この両人の新年の挨拶を検討してみたい。

.金正恩による新年の辞を読む

 毎年の元旦に金正恩が発表するようになった新年の辞は、彼の祖父が長く行った大衆向けに訴える政治スタイル(populism)の表れである。その風貌からして祖父に似ている金正恩による新年の辞は、これを詳しく読むと当年に北朝鮮が狙う目標と共に、そこから現状も垣間見えてくる。『朝鮮新報』に掲載された邦訳を基礎として、この新年の辞を読み解いてみよう。確かに政治宣伝という色彩は拭えないが、そこはテクストを読み解く読者の力量にかかっていると言えよう。なお、邦訳は全て「だ、である」調で書かれているが、『労働新聞』に掲載の原文は、丁寧な「です、ます」調である。

年頭の挨拶に続く枕詞が列挙してある部分は割愛するとして、まず新年の辞で注目されるのは「昨年、軍民共同作戦によって社会主義経済強国と文明国の建設において大きな前進を成し遂げました。困難な環境と不利な条件においても昨年、農業と水産、化学、石炭の戦線をはじめとした多くの部門で生産的高揚が起こり、経済強国建設と人民生活向上の明るい展望を開きました。」と述べている点である。これに続いて、建設部門のいくつかの事例を挙げながら「富強祖国建設に参加した人民軍将兵たちは、決死貫徹の精神と一騎当千の気概によって生産と建設、現代化の実現において突破口を開き、立派なモデル単位を創造しました。」と軍隊の建設活動での功労を誉めている。

昨年の北朝鮮で特徴的だったのは、従来の集団農業方式を変えて、農民の自由裁量を大幅に許容して採算制を認定、余剰穀物の農民市場での販売が出来るようになったことである。ここから60年代から始まったソ連型の極めて非経済的なシステムが変革され、農民の生産意欲が高まるに伴って、農業セクターでは「豊作」と伝えられるような状況の改善を見せた。つまり、昨年に金正恩が新年の辞で述べたように「ベルトを締める」ことがないような余裕が生まれたと見ても差し支えないであろう。毎年のように続いていた国連の世界食糧計画(WFP)への支援要請がなかったことから見ても、少なくとも今年は何とか食べられる程の食糧はあるのだろう。同時に、その生産活動に軍隊が寄与したというのであるから、これまで指摘された軍隊による食糧の横流しや海外への売却、それを通じた横領などは相当程度、減少したのであろう。この点は、次からも窺い知れる。

つまり、「母なる党の本性に合わせて党活動全般を人民大衆第一主義で一貫させて、全党に人民を尊重し、人民を愛し、人民に依拠する気風がみなぎり、党活動の主力が人民生活の向上に向けられるようにしなければなりません。」とか「我々は、既存の自立経済の土台とあらゆる潜在力を最大限に発動して、人民生活の向上と経済強国建設で転換を達成しなければなりません。意義深い今年、人民生活の向上において転変をもたらさなければなりません。農業と畜産業、水産業を3本の柱とし、人民の食の問題を解決し、食生活水準を一段階、高めなければなりません。」とか述べている。

そして、各部門別の指示を列挙した後、新年の辞は次のように言う。「全ての経済部門と単位で経営戦略、企業戦略を正しく立て、予備と潜在力を残すところなく動員して生産を増大させ、製品の質と競争力を高めるための闘争を積極的に繰り広げなければなれません。全ての工場、企業所が輸入病をなくし、原料、資材、設備の国産化を実現するための闘争を力強く繰り広げ、党で立てたモデル単位を見習って、自らの面貌を一新させなければなりません。内閣をはじめとして国家経済指導機関で現実的要求にかなったウリ(我々)式の経済管理方法を確立するための活動を積極的に推進し、全ての経済機関、企業体が企業活動を主動的に、創意的に行っていくようにしなければなりません。」

ここから読み取れるのは、先代の金正日時代に破綻に陥っていた経済は、金正恩の下で軍部から党と政府へ主導権を取り戻す中で何とか復旧の軌道に乗りつつある点である。いくつかの国際機関の厳しい評価から分かるように、未だ不充分な成果しか見られないものの「農業と畜産業、水産業を3本の柱とし、人民の食の問題を解決し、食生活水準を一段階、高め」ようという地点までは到達したのである。この経済的な改革を先導したのは、処刑された張成澤だったと見られているが、金正恩は彼の挙げた成果をそのまま引き継いで自らの功績としたのであろう。軍部ではなく党や政府が経済を動かし始めている。

南北関係はじめ対外関係については後述するとして、新年の辞では特に「対外経済関係を多角的に発展させ、元山―金剛山国際観光地帯をはじめとした経済開発区の開発を積極的に推進しなければなりません。」と指示している。この点は、韓国企業の現代峨山が既に元山~金剛山~開城~仁川を結ぶ地帯の総合的な開発計画を策定しているところから見て、北朝鮮も計画に合った対応を取ろうとしているものと考えられる。韓国統一部が許可した本年の訪朝者14名の中に、現代峨山会長の玄貞恩が含まれているのは、決して偶然ではない。では、次に韓国大統領の新年記者会見を読み、韓国の対北政策も考えてみたい。

  Ⅲ.朴僅恵の新年記者会見を読む

朴僅恵は本年1月13日、金正恩による新年の辞を受けて恒例の新年記者会見に臨んだ。その内容は広く報道されたとおりなので、ここでは要旨を抜粋しながら金正恩の主張と対応させて見ていくことにしたい。報道内容は、電子版『ハンギョレ』から取っている。

 まず朴僅恵は、昨年の「混乱」を謝罪しつつも歳月号事件には言及せず、「いまや我々は、このような状況から抜け出し、経済を生かすところに力を集めなければなりません」と言う。「我が経済の跳躍と停滞の分かれ道で、過去から累積されてきた誤った制度と慣行を根本的に変え、我が経済の体質を革新して、新しい成長能力を備えないならば、世界の中で競争に打ち負かされる外ありません。」

そのために彼女が提示する政策は「経済革新3ヵ年計画」である。その初年度に当たる内容は、次のとおりである。ひとつは「公共、労働、金融、教育など4大部門を中心として構造改革に拍車を掛けて『基礎が強固な経済』をつくる」ことである。まず公共部門の構造改革から始めて「労働市場の二重構造を解消」して非正規職を減らし、「現場の技術力や成長可能性を評価」して融資する、そして「所得連携型登録金減免」により経済的な困難で教育を受けられない学生を解消する等、各部門へ改革を進めるのが計画の方向である。

また「創造経済」主役である中小・ベンチャー企業の育成ためのセンターを全国17ヵ所に立ち上げ、「製造業革新3.0戦略」と称して革新技術の開発を国家的に支援するという。さらに、自由貿易協定(FTA)を通じた輸出拡大に韓国政府が支援し、農業部門でも農産物の輸出が出来るように助ける。それどころか、韓国「文化を通じて未来市場を開拓」、つまり文化コンテンツの輸出までも政府主導で推進していく。国内では内需拡大の阻害要因になっている不動産市場の規制緩和を進めると朴僅恵は主張する。

ところが、多くの識者が指摘するとおり、韓国経済は三星はじめ数社の財閥により垂直的に組織されているため、彼女が大企業から中小企業が「1 : 1」で専属的に支援を受ける体系を国民に示しても、それが実現される可能性はないと言って過言ではない。つまり、日本で普通は中小企業がやるような仕事までも韓国では財閥が担っているので、規制緩和で喜ぶのは財閥だけであって、かつて日本が小泉構造改革を通じて非正規職の増加、企業の内部留保増大、そして結果的に貧富の格差拡大をもたらしたように、韓国経済も前政権に続いて同様な経済状況に陥ろうとしている。FTAによる農業や農村の破壊は言うに及ばず、日本で言う「ブラック企業」の跋扈跳躍ぶりも、昨日今日の話でないのは韓国人ならば誰でも知っている。富める者は更に富み、貧しい者は更に貧しくなっているのだ。

 ここから日本でも報道されたとおり、朴僅恵の国民的な支持率は凋落しており、まだ任期が半年以上あるにも関わらず「レームダック(死に体)」に陥っていると批評される程である。経済的な原因は前述したとおりであるが、政治的な原因においても最近の内閣改組の主導権を大統領秘書長の金淇春が取っているという報道まで飛び出している。すなわち、自分の父親の時代から歴代の軍部独裁政権に仕え、数々の人権弾圧に手を染めてきた人物を側近として重用すること自体に、彼女の政治的な資質を疑う声が出始めている(ハンギョレ制作映画「法匪史:故障した秤」韓国語版を参照されたい)。

ここから、歴代の韓国政権が試みたように、南北関係の改善を通じた支持率の回復を図りたいという欲求は、朴僅恵政権でも当然に強いはずである。北朝鮮としても、金正恩による新年の辞で述べられたように「南朝鮮当局が心から対話によって北南関係の改善を図ろうとする立場に立つなら、中断された高位級接触も再開し、部門別の会談も行うことができる」し、「雰囲気と環境がもたらされ次第、最高位級会談も開催できない理由はない」と南北関係の改善を条件付きながら受け入れる姿勢を示している。

 これを受けて朴僅恵も、新年記者会見で南北関係の改善を主張してみせた。昨年2月に朴僅恵が自ら立ち上げた「統一準備委員会」を中心として、韓国は民間次元から対北政策を始めると言い、特に会見では離散家族再会に北朝鮮が応じるように求めている。統一の環境として朴僅恵は「強固な安保」を強調しつつも「政府は、韓米同盟を固く維持しながら、韓中の戦略的同伴者関係を内実化し、国交正常化50周年を迎える日本との新しい関係を模索する中、韓ロ関係の安定的発展を期していく」と述べている。

ここで日本に関して言えば、報道されたとおり朴僅恵は、日本との関係改善に引き続き慰安婦問題の解決を前提条件として挙げている。これに安倍晋三は、無条件の会談を主張しているものの、国際世論がすべからく韓国の立場を支持しているところから、まず勝ち目はないと言えよう。例えば、米国議会でも有名な日系ホンダ議員さえ米国ロサンゼルスで、慰安婦の惨状を知らせるため音楽会を開いただけでなく募金まで募ったと韓国では報道されている(電子版『ハンギョレ』2014年5月26日)。

したがって、安倍政権が出すという敗戦70周年に際しての安倍談話の内容も、自ずと米国はじめ国際世論を考慮した内容にならざるを得ないし、どれほど安倍晋三が「反省」したくないとしても、その文言を外すのは容易ではないだろう。むしろ連合国として団結する米中ロに韓国や北朝鮮が便乗して日本に対抗する構図なのだから、ここは潔く過去の反省を打ち出すことで、周辺諸国との関係を悪化させないのが政治的な叡智と言うべきである。

Ⅳ.金正恩の外交デヴューをめぐる駆け引き

特にロシアは、日本を含む国々に先勝記念行事に招待状を送っており、これに金正恩が参席するのではないかと報道されている。この報道は、韓国のそれに従った極めて不充分な内容であり、未だ金正恩や朴僅恵が参加するかどうかは確定していない。この参加不参加をめぐる駆け引きを知れば、朝鮮半島の2015年を占うことが出来るので、筆者が得た情報を紹介しながら次に少し詳細に論じたい。なお、情報源は秘匿させていただく。

まずロシアは、昨年12月に朴僅恵、金正恩を含む世界の指導者へ招待状を送った(電子版『ハンギョレ』2014年12月16日)。これに先立ち昨年12月、北朝鮮からは金正恩の最側近の一人である崔龍海がモスクワを訪問、金正恩の訪ロを打診したのではないかと言われる。そして、ロシアのタス通信が本年1月になって、北朝鮮から「肯定的反応」が届いたと報道したので、韓国の報道機関は一斉に、はや正恩がモスクワで外交デヴューか、と騒ぎ立てたのである。確かに、最高指導者と言えば、通常は誰もが彼を想像しよう。

しかし、それほど事態は簡単ではない。日米の最高指導者が参席しないのは予想どおりであるものの、ひとつは中国主席の習近平が参席すると思われる。だが、中朝関係は例の張成澤の処刑以後は「冷淡な関係」のままである(北京の中国外交学院学術会議での発言、電子版『ハンギョレ』2014年12月19日)。とは言え、もしも金正恩がモスクワで習近平と会えなければ、金正恩の面目は丸つぶれで、中朝関係は最悪の状態へ転落する外ない。

もうひとつは、朴僅恵が参席する場合、仮に金正恩が参席すれば、二人が面談せざるを得ない。なぜならば、少なくとも表面的にはどちらも、前述のように南北関係の改善を公言した手前、会わないと最高指導者として失格の烙印を押されるからである。特に朴僅恵は、韓国世論から一斉に非難されて下野することになるかも知れない。ちょうど降りも折、前大統領の李明博が『大統領の時間』なる回顧録を刊行、なんと任期中に5回も南北首脳会談の機会があったにも関わらず、これを活かせないまま南北関係は漂流した事実が判明したのである(電子版『朝鮮日報』日本語版、2015年1月27日)。

ここから金正恩は、参席する場合に外交デヴューに恥ずかしくない成果を上げるため、誰と会談できるのか、また朴僅恵が参席するのかどうかを見極めようとしているという。既にウクライナ、イラン等の指導者たちと会談する予定は入ったと伝えられるが、習近平との会談を円滑に進められるのか未だ定かでない。逆に朴僅恵は、中国への接近が功を奏して習近平と会談するのは容易であろうが、金正恩が参席するかどうかにより、政治的な損得計算が大きく変わってくるので、未だ参席の意思を公にしていない。

北朝鮮としては、これらの変数を勘案しながら誰が参席するのかを決定するはずである。実は、北朝鮮で元首として対外関係を務めているのは、朝鮮最高人民会議常任委員会委員長の金永南である。つまり、彼が参席しても決してロシアに不義理とはならないし、中韓の最高指導者とも会える。したがって、外交デヴューとなるかどうかは未知数のままで、金正恩としてはモスクワが好機かどうか見計らっていると考えられる。一説によれば、習近平が外国で金正恩と初対面の会談を持つのは隣国として余りに不自然なので、万が一その状況になれば、かつて父親の金正日がそうしたように、モスクワに先立ち瀋陽や長春といった中国内の都市に金正恩を呼び、そこで会談を行うのではないかという。

ともあれ、このような駆け引きの末に果たして金正恩、朴僅恵が訪ロするか見物である。会談するのに険悪な雰囲気や悪い結果は考えられないから、もしも習近平と金正恩、朴僅恵と金正恩が会談する場合、朝鮮半島情勢は劇的に改善するし、南北首脳会談も当然に開かれることになろう。そうなれば、韓国の前政権で取られた「5.24措置」という北朝鮮との交流を禁じる政策も、北朝鮮の主張どおり自ずと解除を迫られる外ないであろう。

しかし、南北関係の改善は良いとしても、中韓関係に加えて中朝関係までも改善されると、米国は南北朝鮮を中国に押さえられる形となるので快くないはずである。なぜならば、米国が警戒するのは、北朝鮮だけでなく韓国までも中国に絡め取られることで、中国の影響力が朝鮮半島全体に及ぶ事態である。これを防ぐため米軍が韓国に配置しようという高高度戦域地域防衛(THAAD)ミサイルは、実際には北朝鮮ではなく中国向けなのである。言うまでもなく、韓国は在韓米軍の必要から米国の要請を拒絶できない立場なので、いくら朴僅恵が習近平と仲良くしても、米中両国の間で最終的には米国を選択する外ない。

結論的に言うと、南北朝鮮の関係は米中関係の枠組みの中で、韓国が米国からの政治的な圧力、北朝鮮は中国との関係維持という最低限の条件をクリアできる場合、本年内に発展を見るであろう。中国が朝鮮戦争の再発を許容しないのは当然だが、南北朝鮮が自国の統制下にある限り、南北首脳会談に反対する理由もないし、6者協議にも賛同してみせるであろう。反対に米国は、イスラム国と対抗する必要もあってキューバやイランと関係を改善しながらも、中国を牽制するため北朝鮮を仮想敵国と見立てるのに、韓国の役割を維持しようとするはずである。6者協議については、駐韓米大使だったソン・キムが率いる北朝鮮政策担当チームが、協議の前段階として北朝鮮との「直接対話」に乗り出すと予想されるが(『朝日新聞』2014年12月13日)、どの程度そこから北朝鮮の譲歩を引き出せるかに従って成否が決まるであろうと推測できる。日本も、当然その当事者である。

   Ⅴ.日朝関係の改善を求めて

では、最後に日朝関係について言及してみたい。この拙稿が意味を持つとすれば、日朝関係の改善に資するところがあるかどうかなので、ここで簡単でも論じたい。結論を述べれば本年、日朝関係は改善しないであろう。けだし、前述どおり北朝鮮には今やロシアが接近しており、国際的な孤立状態は脱しつつあるからである。冒頭で紹介したオバマの北朝鮮「崩壊」のシナリオは、そもそも成立し得ないと言える。弱小国外交の鉄則は、周辺大国の葛藤を利用しながら自国に最も有利となる諸国と結ぶことで、生存と支援を勝ち取ることである。昨年のウクライナをめぐる米ロ対立は、その転換点だったはずである。

北朝鮮は昨年、それを日本に求めていた。すなわち、北朝鮮内に住む日本人を総合的に調査するという「特別調査委員会」を立ち上げて、その調査結果を約1年間で出すと約束した。そして、訪朝した日本外務省など関係者に、この委員会の責任者として秘密機関の担当者らを会わせることで、その取り組みが真摯であることを印象付けようとした。この再開されかけた日朝交渉の準備作業は、その構想が日本側では外務省を中心に野田政権時代から練られ、北朝鮮側では朝日国交正常化交渉担当大使である宋日昊を中心に考えられた模様である。この構想に関しては、筆者も知るところがあるが、ここでは省略する。

実際に特別調査委員会の活動は、かなり成果を出しているようである。ある情報通は、調査結果を記したA4版2頁の紙に40個の日本人名が見て取れたと筆者に教えてくれた。北朝鮮としては、本気で日本との関係改善を通じた国交正常化を模索していたのであって、日本内の反北朝鮮勢力が騒ぎ立てるような話ではなかったと言って良い。確かに北朝鮮は中韓との関係が悪化した状態では、仮に本年の経済状況が前述のように良いとしても、来年以降の先行きに不安を抱かざるを得ず、日本と交易だけでも回復したかったはずである。

ところが、拉致問題で日本国内の世論は思うように軟化せず、かえって先の総選挙により自公連立政権が絶対多数を獲得した結果、北朝鮮ファクターの外交政策に占める優先順位は相対的に低下した。周知のように、公明党が仲介する形で北朝鮮の日本大使館と言われる朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)との関係を維持し、その中央会館を継続して使用できるように取り計らったようである。だが、ここへ来て北朝鮮本国が日本との関係改善に熱意を失い、果たして特別調査委員会の報告がいつ出るのかさえ怪しくなってきた。

この行き詰まりを打開するのは、ひとえに安倍政権が拉致被害者とその家族のため本気で北朝鮮と向き合うかどうかに掛かっている。北朝鮮はロシアを向いており、いずれ宋日昊が期待どおりの結果を出せない責任を問われて降格するのではないかと情報通は言う。その真偽は不明ながら、仮に担当者が変われば、一から仕切り直しとなって、新しい担当者によっては北朝鮮が日本政府に対して高圧的に出て来る可能性さえも予測される。そうなれば、これが最後の機会とまで囁かれる拉致問題は解決の道を失い、日朝国交正常化は永遠に達成されないであろう。敗戦70周年は、反日の大合唱をする絶好の機会となる。

  おわりに

このような暗い展望を最後に、筆者は今年が動く時ではないと主張したい。日韓関係については、そもそも朴僅恵政権が彼女の父親である朴正煕が始めた軍部独裁政権の延長だと言って良いのだから、このような政権に過去清算などと言われる筋合いはない。逆に、過去を清算すべきは朴僅恵政権なのであり、日韓関係は無理に改善しなくとも、既に次期大統領選挙に向かって新しい動きが出始めている。例えば、2月8日には野党の新政治民主連合が全党大会を開き、党代表を決定する予定である。下馬評では、先の大統領選挙で敗れた文在寅が再び党代表を経て、野党候補として次期大統領選挙に打って出るという。

2016年の米国大統領選挙も同様で、我々は共和党と民主党のどちらが政権を取るか軽々に論じられないけれども、現在のところはクリントン(Hillary R. Clinton)前国務長官が圧倒的に優位であると言われているようである。前フロリダ州知事ブッシュ(Jeb Bush)の出馬いかんが注目を集めているものの、日本にとっては今年を何とか乗り切り、新しい米政権を相手にすることを考えた方が賢明であろう。

そのためには米韓との関係を維持するのに下手な「戦後政治の清算」などは止めにして、日本国憲法の遵守に徹して村山談話、小泉談話を踏襲すべきである。イスラム国の蛮行を口実とした自衛隊の海外派遣など、とんでもない話であり、われわれ日本人は毅然としてテロルと立ち向かいながらも、共生と平和という普遍的な目標を追求して本年も進むべきである。共生と平和に抗う勢力がいるとすれば、日本人は自らの命をかけて彼らと対峙する覚悟こそ必要であって、武力を用いて復讐したのでは報復の悪循環に陥り、ますます事態を悪化させるだけである。それは、今回の犠牲者たちが望まなかった事態に他ならない。

蛇足ながら、筆者は昨年、この「ちきゅう座」に書いた拙稿を朝鮮総連中央に見咎められて、訪朝が許可されなかった。日本人を読者として正直に書くと、なかなか「最高尊厳」の意に沿うことは出来ないらしい。しかしながら、訪朝して現地の状況を見聞することは、研究者として大切な仕事であり、本年が訪朝できる年となるよう、この程度で筆を置こうと思う。批判は研究者の責務ではあれ、批判の自由のない国では、それも通用しない事実を銘記しておきたい。イスラム国と北朝鮮が同列に論じられないことを願うばかりである。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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