Here is the original Japanese version of an interview with Ota Masahide, on July 20, 2010, for Asia-Pacific Journal: Japan Focus. See HERE for the English version.
沖縄戦で亡くなった人たちを国籍、軍民にかかわらず刻銘する「平和の礎」や沖縄県立平和祈念資料館など、自らの戦争体験にもとづき、平和のための政策や研究に生涯を尽くしてきた大田昌秀・沖縄国際平和研究所理事長、元沖縄県知事、元琉球大学教授に、今から約7年前、2010年7月20日、オンライン英字誌『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』用にインタビューを行いました。英語版は同年9月20日に
として発表しました。大田さんのインタビューで英語で読めるものとしては、もっとも本格的な記事となったのではないかと思います。
大田さんは6月12日で92歳の誕生日を迎えます。今年度のノーベル平和賞にもノミネートされています。
そういうこともあり、この記事の元となった日本語でのインタビューの全文を、今回ここに発表します。英語版ではすべての部分が掲載にはなっていませんが、この日本語版は完全版です。この当時大田さんは85歳でした。次から次へとコンピューターのように人名、書名、出来事や数字が出てくるのにはただただ感服します。
ここで大田さんは、「普天間代替施設」と称する辺野古の新基地が1960年代に遡る米軍の計画であったということを詳細な調査に基づいて図表とともに説明します。いま、国はこの基地の建設を着工し、埋め立てを始めてしまっています。
ここに紹介するのは大田さんの談話のほぼそのままの書き起こしです。沖縄戦における強制集団死についても大田さんの言ったまま「集団自決」と表記しております。
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http://peacephilosophy.blogspot.ca/2017/06/original-japanese-version-of-interview.html
初出:「ピースフィロソフィー」2017.06.09より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6721:170611〕