『喜劇 ファッションショー』の作者木庭久美子は、前作『選択 一ヶ瀬典子の場合』(註)で「安楽死」をシリアスに扱ったが、今回は「マネー」を喜劇として取り上げた。
《60年代のキャリアウーマン》
主役は75歳の独身女性。ビール会社に18歳から40年間勤めた。貯蓄に励んで東京タワーの見えるマンションと二千万円をもつ。銀行倒産を恐れて預金を現金にした。毎朝札束を数えていることは誰も知らない。
家賃3か月滞納の間借り人は女優。往年は市川雷蔵や大川橋蔵の相手役で満都の人気を独占したといっている。もう一人の主役は未亡人。失業した息子の起業資金200万円を貸して欲しいと幼馴染みの主役に頼んでいる。三人とも同年である。
そのとき、大手百貨店の企画課長がマンションを訪ねてきた。彼らをモデルに「シニア・ファッションショー」を日本中で開催したい。ギャラはワンステージ20万円だと誘う。ドラマの幕開きである。
作者はいう。「この戯曲の影の主人公は「マネー」であり、この「マネー」が、人々の間を転がりながら、人々を翻弄するさまを描きたいといった意図があった」(作品バンフレット)。
《老いと孤独が真のテーマ》
作者は影の主役をマネーという。私は表の主役は「老いと孤独」だと思う。主役たちを苦しめる低金利、無年金、低所得。たしかにマネーの問題だ。その経済問題が高齢社会によって加速され激化し表面化している。それが主役であり課題である。
「20年連続不況の国」、「老人しかいなくなる国」。
このカレントなテーマに、経済学者や政治家なら「経済成長の回復と社会保障の充実」という処方箋を差し出すであろう。しかし劇作家はそういう処方箋を提示しない。
主役たちは、政府や銀行を信用していない。彼らは自分で解決の道を求めるのである。だから「シニア・ファッションショー」がアピール力をもちドラマが回転し始めるのである。
百貨店の企画課長は詐欺師であった。
詐欺師が出る理由は、「失われた20年」下では増えない資産を騙し取るしか金儲けの方法がないからである。詐欺師は二段構えで出現する。演技力はあったが手口が下手な男女二人組、演技力も手口もすぐれた一人の中年男である。
3人の主役は誘惑に乗ったのを覚って最後まで必死に戦う。その過程はほとんどドタバタ喜劇である。結局、彼らは詐欺師の手口を逆手にとったといえるであろう。「騙されたショー」でなく「自ら企画したショー」によって、老いの美しさと楽しさを高らかに唱いあげる。「喜劇」は終わる。
《2011年で「マネー」を描く難しさ》
2011年の日本で「マネー」を描くことは易しいことではない。
日経平均株価が4万円直前にいたとき、三菱地所がNYの金融センターを買ったとき、20年前のそのときがバブル経済の頂点であった。それが崩壊したどころか、崩壊しっぱなしである。「失われた20年」という長い「時代閉塞」である。マネーによる人間の翻弄の時代はその意味では終わっているのである。
自前のファツションショーは宝塚歌劇の戯画化だ。面白い演出である。伴奏音楽に50年代から60年代の通俗名曲を配したのも粋である。爆笑の少ない「喜劇」のラストシーンで、短時間の開放感が舞台と客席を支配した。私もすこしウルッとした。
しかし紀伊国屋サザンシアターを出た途端に閉塞感が再び観客の心情を支配するであろう。私は『喜劇 ファッションショー』を批判しているのではない。難しいテーマに挑戦した喜劇を是非観て欲しいと思っているのである。
(註)2008年1月26日「安楽死を巡るディスカッションドラマ」の拙稿をご覧下さい。
■『喜劇 ファッションショー』(渾大防一枝演出)は紀伊国屋サザンシアターで11年2月8日(火)まで上演中。詳細は「劇団民芸」(電話 044-987-7711)へ
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