『ポトナム』の「歌壇時評」に書きました。
歌壇における女性の活躍はたしかに目覚ましいものがある。だから、いまさら男だ女だとか目くじらを立てて、云々するのは野暮なことのように言う人もいる。しかし家庭や職場、地域で、あるいは政治の世界で、実際のところ、男女平等はどこまで進んだのか。差別をされている側、格差に耐えている側からの声は届きにくい。とるに足らないことなのか。今一度考えてみたいと思った。
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いま、『女人短歌』の創刊号から通覧しているが、創刊の一九四九年から六〇年代の誌面からは、女性歌人たちの気負いや息遣いが立ち上ってくる。阿部静枝を筆頭に、君島夜詩、森岡貞香、芝谷幸子をはじめ多くのポトナム人の活躍も見逃せない。『女人短歌』の発行・編集を担った「女人短歌会」は、「女歌の発展を期して、流派をこえた女流集団として発足し」たが、一九九七年、「当初の使命を果たしたことを確認」(森岡貞香「女人短歌」「女人短歌会」『現代短歌大事典』)し、『女人短歌』は終刊に到った。たしかに、「女人」という表現は、古めかしかった。
公的な組織や施設名も「婦人」を「女性」と看板を付け替えたのが一九九〇年代で、一九七八年創刊の「婦人白書」は、九二年「女性白書」、九七年「男女共同参画白書」となる。一九七七年開館の「国立婦人教育会館」が「国立女性教育会館」となったのが二〇〇五年。一九八五年男女雇用機会均等法、九九年男女共同参画社会基本法、二〇一六年女性活躍推進法が施行されるが、あくまでも官製のロードマップに過ぎない。現実の日本社会の男女格差は、一四四ヵ国の中、一一四位という結果である(「世界経済フォーラム報告書」二〇一七年一一月二日公表)。
『女人短歌』の創刊当初、不参加の歌人もいたし、短歌メディアや男性歌人の反応も好意的なものは少なかった。しかし、短歌人口は、圧倒的に女性が多くなり、作歌・評論の実力も高まり、各種の短歌賞や結社の指導者に女性歌人の登場が顕著になった。『短歌研究』の編集人中井英夫は、「乳房喪失」を第1回新人賞として中城ふみ子を送り出し(一九五四年四月)、杉山正樹は<現代女流特集>を組み、三〇人弱を出詠させた(一九五八年三月)。同号は「五島美代子・生方たつゑ読売文学賞受賞記念」でもあった。一九六九年から、節句に因む三月号を<女性歌人特集>とするのが恒例となった。「現代代表女流歌人作品集」という特集名が定着したのが一九七八年で、二〇一一年まで続く。二〇一二年に「現代代表女性歌人作品集」となり、三〇年余を経て、「女流」が「女性」となった。一方、五月号の<男性歌人特集>は一九七二年に「現代代表歌人特集」としてスタートする。その後、「全国主要歌人」「全国重要歌人」「現代第一線歌人」などの変遷を経て、一九八一年から、現在も続く「現代の○○人」に定着した。五月号の特集名になぜ「男性」が入らないのか。七〇年代後半から、三月号の女性歌人の数は増加する一方、一九八〇年代の五月号は「現代の66人」「現代の88人」という形で人数を固定化、女性が男性の倍を上回ることもあった。二〇〇五年、三月一六三人、五月八八人をピークに、女性が徐々に減り、男性が一〇〇人を超えるようになり、現在は、その差が縮まっているのは、男性歌人の<実力>の向上を示すものではなく、あくまでも、編集方針によるものだろう。日常的な『短歌研究』登場の男女比は、短歌・散文のいずれも男性の方が多い。三月号だけの大盤振る舞いだったのか。編集人が長い間女性だったということも逆に何らかの影響があったのだろうか。文芸の世界で、「ポジティブ・アクション(ある程度の強制を伴う実質的な機会平等確保計画)」という考え方はなじまないだろう。しかし、メディアは、率先して、歌人の実態や実力を反映するような誌面作りに努力して欲しい。最近、松村正直は、ある時評で「歌壇に男性中心の構造がある」として、この『短歌研究』の特集の名づけの差異に言及していた。男性歌人からの発言として貴重ではないか(『毎日新聞』二〇一七年一〇月二二日)。
(『ポトナム』2018年1月号、所収)
初出:「内野光子のブログ」2018.1.11より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/06/post-4431.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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