日本中を震撼させた東北関東大震災より早くも半月がたった。だが、未だその傷は癒えたとはいえない。今回の震災は巨大な爪痕を世界中に刻印した。確かに震災それ自体は自然災害であったが、その後続発したあの悪夢のチェルノブイリ以来の原子力発電所の爆発事故は、満を持して構築されたフェイルセーフシステムの欠陥を露呈させた。確かにIAEAの国際原子力事象評価基準に照らせば、1979年の米スリーマイル島事故の「レベル5」に対しチェルノブイリは「レベル7」に相当し、福島第一原発のそれは中間の「レベル6」と位置づけられることから放射能汚染は、客観的数値上においては最悪を免れたとは言えるかもしれない。それだけ原発をめぐる技術力の進歩と向上を象徴するものと捉えられよう。だが、 我々の生活上不可欠な存在とまでなっていた原発の安全性を喧伝しながらも想定外の問題にまでは対処し得ないという矛盾を今回の事態が露わにした点を考慮すると、震災の自然災害性よりもむしろ管理する東京電力側による「人為災害」としての側面をも措定せねばなるまい。放射能汚染の恐ろしさはこれまでの「事故」事例により管理当局からも充分認知されていたはずだからである。
また、奇しくもチェルノブイリ事故のあった年、W.ベックによる著書も刊行され、その表題である「危険社会」が問題提起されてきたにも関わらず今回のように、不可視な放射能がゆうゆうと国境を越えて世界中を危険にさらす可能性を原子力発電所がはらんでいた点を考慮すると、日本が世界的に喧伝してきた「安全神話」など所詮は「安心」であると思い込みたい、あるいは思い込ませたいがための「安心神話」でなかったのかとさえ痛感させられる。換言すれば、今回の震災はいずれも我々の当たり前の日常がいかに絶妙なリスクバランスの上に成り立っていたか、すなわち「安全不感症」という病に陥っていたかをも想起させたといえるだろう。
私はといえば、隣国・韓国に滞在中であり、今回の震災を直接体験していない。したがって、私の知りえた情報は友人知己からのメール、およびマスメディアの報道といういずれも間接的なものに過ぎない。だが、日本での「評論家」や物理学者などのいわゆる「知識人」の報道からはいずれも現場で命を張っている人々、あるいは生き延びようとする人々の生の姿を直視しようとする姿勢まではうかがえない。いささかぶしつけな言い方をすれば「安全商売」という感がぬぐいきれない。私の見解もまた「安全圏からもの申すな」という大方のご叱正を免れるものではないことを承知している。そこで、本エッセイでは韓国に目を向け、今回の日本のケースのような大惨事から韓国が「安全」に対する何を学び取ったのかを論ずることにしたい。
周知のように韓国は「チヂン」あるいは「アースクエイク」という語彙および、これに対する概念は存在するが、自然現象としての地震そのものは皆無に等しい。そのためからか、例の建造物における「耐震偽装」の発覚の際に、「姉歯さんもこの国だったら捕まらなかったのに」と冗談交じりにささやく建築会社の理事まであらわれる始末であったという。そうした地震のない「安全」な国という点を強調する意図からなのか、中央日報をはじめソウル新聞、韓国経済、など複数の韓国メディアは11日から12日にかけて2006年にリメイクされた映画『日本沈没』(原作・小松左京、1973年光文社より刊行、同年映画化)に言及し、「映画『日本沈没』が現実化するとは」などの見出しをつけた記事を掲載した。映画の中では確かに大規模な自然災害に見舞われ、日本そのものが原形を留めぬほど変形されてしまうそのような結末となっており、中でも圧巻は今回の震災さながらの、海に避難した人々と彼ら救助しようとする自衛隊のヘリコプターが大津波に容赦なく呑みこまれていくシーンに恐怖感を抱いたのは今も覚えている。だが、作者のテーマは、自然災害そのものの脅威よりも、母国を失い放浪の途をたどる民族としての日本人の姿にあったようであるが、津波による都市の水没と世界都市・東京のライフラインが寸断され多くの「帰宅難民」を排出し、その後の食料や水などの「買い占め」に奔走する映像は映画のイメージを髣髴とさせるものであったようだ。
実は、かくいう私も震災に関する韓国メディアの取材を受けた一人である。地震発生5日後の16日、 MBCテレビの取材を受けた(当日21:00のニュースで10秒ほど放送、その後も何回か流されたらしい)。私自身が韓国語が出来ないことから通訳を介しての取材内容となったが、幸い、通訳を依頼した学生に取材の経過をメモしておいてもらっておいたため、取材者側の報道意図がどこにあったかは理解される。
第一に、日本人として今回の地震を異邦で聞いた心境
第二に、家族の安否
第三に、現在つかんでいる日本側から寄せられた情報
第四に、家族や友人知己からのメールを読む姿の撮影
第五に、地震の映像を確認する私の姿の撮影
わずか5つの質問項目に対して取材は30分にも及んだ。ただし、彼のメモには2と3の間にあった「日本の人たちに何か言いたいことはありますか」というやり取りが抜け落ちている。これに対し、私は、「自分はクリスチャンなので自分だけが地震のないここ韓国という安全圏にいて日本の家族を含め被災により苦しむ人々に対し何もすることが出来ないことが悔しくてならない」と答えた。その途端女性インタヴュアーの表情はわが意を得たりとばかりに明るくなり、その点をぜひ強調してほしい、しかも10数秒という短時間以内でと言われ、胸にマイクを着けて話すよう求められた。いきなりカメラを向けられそっちを見ずにインタヴュアーの方だけに注目せよと言われても急に出来るものではないため、結局2回やり直しをさせられた。しかし、隙を突いてすかさず、東日本の混乱状況は原発爆発という二次災害、すなわち、人為災害によるライフラインの寸断と、そこには、電力はもとより食料などの必要物資の東北地方への一方的な依存姿勢に問題の根が潜んでおり、これを改善すべき方途を講じねばならない、と付け加えた。これに対しインタヴュアーはうなずくばかりで、余り興味を示そうとはしなかった。その後、「家族」の無事とその後の生活を案ずる私文書とともに、さらに地震の映像を確認し、驚く姿をカメラにおさめたのだが、その余りのすさまじさに思わず「恐ろしい。こんなだったのか」とつい独り言が口から洩れた。この好機を待ってたとばかりにカメラマンはやおら右斜め前、そして左、私の表情のクローズアップと視点移動させながら私を撮影し始めた。とにかくパソコンの画面のみを凝視するよう指示されていたため、横目にちらと見ただけなのでインタヴュアーの表情までは読み取れなかったが、どこか満足気であったように思われた。映像は、正式契約を交わし就労する私という存在をあらためて地震に遭遇し、帰国もかなわないいわば海外での「帰宅難民」という憐れむべき他者と化し、そのような人を「キョスニム」として受容する「ウリ」の寛大さを具現化するかのようなニュースとなって流された。これを見た韓国の人たちは恐らく原発の爆発は自然災害により誘発されたものであり、よもや人為災害がその要因に潜んでいるとは思い至りもしないだろう。仮にこの推測が当たっていれば韓国人は皆、自分の国にある原発の危険性などにまで思い及びもすまい。
ソウル市内の明洞のメインストリートには支援を募る横断幕がへん翻と翻り、また大学路で開催されたミュージカルは「日本の震災による募金活動を兼ねた公演」という口上で開幕された。これらを韓国の人たちがメディアの演出する「安全なウリナラに対し、悲惨な状況に直面している日本を隣人として救わねばならぬ」という物語の術中にまんまと陥った一つの証拠と捉えるのはややうがちすぎであろうか。現に、ニュースが流れた後も「原発はあっても韓国には地震がないから平気」と断じてはばからない姿勢を見せる人々もある。原発は韓国にも存在するため、仮に地震ではなくても何らかのリスクは潜在し、それが何らかの要因で重大災害として表出する可能性は存在するはずである。そんな対岸の火事のようにしか今回の震災を受け止められない根拠のない安心に満ちあふれる韓国の人々に適合する言葉として脳裏に浮かんだのが、まさしく本エッセイの「安全不感症」という病との題目であった。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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