はじめに
昨年11月に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、米国の核科学者たちに自国のウラン濃縮施設を公開、同月23日には黄海上の延坪島(ヨンピョンド)へ砲撃を加えた。これに韓国(大韓民国)も応戦し、両国で軍民の犠牲者を出して緊張が一気に高まった。米国と韓国は、断固たる防衛姿勢を示すため、同月28日から黄海上で米海軍原子力空母ジョージ・ワシントンも参加する米韓合同軍事演習を実施した。
さらに韓国軍は、周辺諸国とくに中国やロシアの反対にもかかわらず、12月20日から延坪島周辺で射撃訓練を敢行した。このため、むしろ戦争再発の危険性を高めるのは北朝鮮ではなく韓国ではないかという批判まで引き起こした。実際に北朝鮮は、この韓国の訓練を「幼稚な火遊び」に等しいとして何ら反応せず、朝鮮人民軍最高司令部からは「世界は朝鮮半島で誰が真の平和の守護者であり、誰が戦争挑発者なのかをはっきりと知るべきだ」と声高に気勢を上げる始末であった(電子版『朝鮮新報』2010年12月22日)。
この一連の事態が朝鮮戦争の残した遺産である南北分断と軍事対立から由来することは論を待たない。韓国は延坪島を朝鮮停戦協定で定められた軍事分界線内にある自国領土だと主張している。だが北朝鮮は、いわゆる「北方限界線(NLL:Northern Limited Line)」を国連軍により一方的に引かれた無効な分界線だとして認定せず、韓国側の出方次第ではNLLをめぐり更なる軍事衝突が起こる危険性を予言している。
いわば南北朝鮮それぞれの側に立つと「善いは悪いで、悪いは善い」というのが朝鮮半島情勢のように見える。これは亡き井上ひさし氏が用いた言葉だが、一体全体かかる事態を我々はどのように読み解けば良いのであろうか。韓国の立場でも北朝鮮のそれでもない、しっかりとした第三の視点を据えて朝鮮半島情勢を読み解き、これに相応しい対応策を打ち出すこと、これが本稿の狙いである。もちろん、朝鮮半島を植民地統治したという日本が置かれる歴史的な脈絡や近年の国際環境を踏まえての話である。
そこで本稿では、Ⅰ.砲撃事件の背景、Ⅱ.朝鮮半島をめぐる国際環境の変化、Ⅲ.北朝鮮の狙い:一撃二鳥か三鳥か、Ⅳ.砲撃の成果と今後の展望、の順に論議を進めて、日本が朝鮮半島をめぐる国際情勢の変化に合わせて取るべき朝鮮政策を提言してみたい。以下、本稿では全ての敬称を省略すると共に、引用に際しては括弧( )内に出典を示す。
Ⅰ.砲撃事件の背景
この「ちきゅう座」でも何度か持論を展開したとおり、南北朝鮮の間では朝鮮戦争を通じて分断と対立を自国内の統治のみならず外交にも利用する「対立の相互依存(Mutual Dependence on/in Antagonism)」構造が形成された。この構造は分断と対立を政治プロセスの中に組み込み、分断から来る圧力を国内で政権の掌握や維持という統治方法に利用すると同時に、対立から来る戦争の再発危険性を外交手段として活用、周辺諸国から「戦利品」を獲得するのである。
この分断構造は、金大中(キムテジュン)と盧武鉉(ノムヒョン)の両大統領時代に「和解と協力」を部分的に具現した「協力的な分断(Cooperative Disunion)」構造へと変容しかけたものの、現在の李明博(イミョンバク)政権の誕生に伴って再び葛藤と対立の時代へと逆戻りした(拙稿「韓国『実用主義』外交の明暗:『和解と協力』から『相互実利的な分断』へ」(上)(中)(下)、ちきゅう座〔eye340:080502〕参照)。今回の砲撃事件の背景には、この旧態依然とした朝鮮停戦の遺産が、そのまま横たわっているのだ。一方の韓国からすると北朝鮮の核やミサイルの開発など「軍事的冒険主義」が、他方の北朝鮮から見れば米韓の「朝鮮敵視」による自政権の「圧殺」政策が、この砲撃事件を引き起こす根本的な原因だと主張されている。
したがって、新年の李明博大統領の談話から明確なように、韓国は対話の道を残すと言いながらも、どこまでも北朝鮮の核廃棄が前提条件だとする立場を変えていない。また、北朝鮮は米国との「平和協定」締結を通じた体制保障が先決だとしながら、あれこれ理由を付けて核廃絶を後へ後へと延期しているのである。両国ともに国内では政権の交代期を来年に控えて、それぞれ外交面では譲歩しにくい内政状況にある。韓国で誰が次期大統領になるかは明確ではないが、北朝鮮の内部にあっては最高指導者である金正日(キムジョンイル)の三男である金正恩(キムジョンウン)の「三代世襲」に向かい着々と準備が進められていることは、日本のマス・コミでも流されたところである(例えば『毎日新聞』2010年11月26日夕刊2面)。
さらに北朝鮮では、2012年を「強盛大国の大門を開く」というスローガンの下、国家主席で金正日の父親だった金日成(キムイルソン)生誕100周年に合わせて5つの「現代化」を果たすと公言している。その5つとは①思想、②政治、③経済、④技術、⑤軍事であり、それぞれ①主体思想、②先軍政治、④技術革新、⑤核保有により達成されているとしながらも、ただ残り一つの③経済だけは未達成だとしている。この意味で、後述するように中国からの巨額な資本流入は、経済再建という目標を達成する上で決定的となるはずである。
したがって、この大別すると2つの基本目標、すなわち「三代世襲」と経済復興へ向かう途上で今回の砲撃事件が起きたとは言え、北朝鮮はいわば「強盛大国」へ邁進する砲門を開いたわけである。この2つの目標は、前者の達成には後者が不可欠であり、後者の達成には前者の実現が結び付く必要があるという意味で相互に緊密な関連を持っているし、それら目標達成においては米国との関係改善、そして中国からの経済支援という国際環境が整わなければならないという構図になっている。
Ⅱ.朝鮮半島をめぐる国際環境の変化
そこで、このような北朝鮮の砲撃が一体どのような国際環境の中で起きたのかを簡単に見てみたい。最も重要な国際環境の変化は、誰の目にも明らかになった中国の経済的ならびに軍事的な成長である。今や米国と共に「G2」と言われるほど、東アジアはもちろん世界的に国際関係の基軸として中国は強大国化した。それは日常生活のレベルにおいても、もう中国製品なしでは生活できないところまで達している。今夏の訪米中にデジカメの電池を買った際に「ああ、中国製か」と言ったら、売り場の若造が「当たり前だ。中国製なしに暮らせるか」とオバマ(Barack OBAMA)然とした黒い嘲笑を見せたのであった。
これに比べて米国は、中間選挙で敗北した米民主党が何とか米共和党と妥協しながら内政を遣り繰りしているものの、外交に関してはアフガニスタンにしろイラクにしろ行き詰まっている。またイランの核開発に至っては、北朝鮮からのミサイル輸出が明確になり、にっちもさっちも行かないようになっている。確かに核超大国として米国は君臨しているが、ロシアとの新戦略核兵器削減条約(New START)締結に見るように、オバマ米大統領が述べた「核廃絶」への努力を演じてみせるくらいは出来ても、その世界的な地位の相対的な低下は覆いようがない。
ともあれ、中国が空母やステルス戦闘機の建造などにより軍事的な世界進出を図ろうとしているのに比べて、せいぜい米国は核拡散を図るくらいが関の山で、イランや北朝鮮に思うようにしてやられているというのが実情である。その中で日本は全く沈没し、今や「浮沈空母」も見る影もないという体たらくだと言って過言ではない。ただし、米国にくっついていく外に道がないと思ってか、日本民主党政権は尖閣問題でも北方四島でも何ら有効な外交を打ち出す気配さえ見せていない。
ところで、最近のウィキリークス(以下、引用では「WL文書」と略記)による外交文書の公開で明らかになったのは、中国は当然ながら米国にしろ韓国にしろ、北朝鮮の核やミサイルなどの諸問題が対話によってしか解決され得ないと見ている姿である。一方の韓国が、北朝鮮の崩壊後ソウルを中心とする統一政府が出来ると夢想しているのは当然としても、他方で中国政府の国務委員を務める戴秉国などは「米朝の対話のみが進展をもたらす(a U.S.-DPRK dialogue was “the only way to make progress”)」と明言している(WL文書09BEIJING1247,2009/05/08)。
もちろん、この見解は北朝鮮が米朝の直接対話を通じて関係改善を図ろうとしているのを受けたものである。北朝鮮外務省の強硬派で知られる外務副相の金桂冠(キムケグァン)さえもウランバートルで「北朝鮮は脅威ではなく、ただ自衛にのみ関心がある」と言いながら、「米国は韓国や日本が核保有へ行くことを許さないだろう」と米国への信頼を口にしていた。もともと北朝鮮は、クリントン(Bill CLINTON)政権での国交正常化を期待していたので、同一の米民主党からオバマ政権が生まれ、その米国務長官にクリントンの妻ヒラリー(Hillary R. CLINTON)が就任したことで、再び機会が訪れたと喜んでいたのだった。
反対に、北朝鮮の2回目の核実験に対して2009年5月に国連が下した制裁決議に中国やロシアが反対しなかったことを挙げて、金桂冠は不満を表明していた(WL文書09ULAANBAATAR234, 2009/08/13)。このように表面上で朝鮮戦争を共に戦った「血の血盟」を謳っているのとは正反対に、もともと中露と北朝鮮との間では相互の不信と警戒が根強かったのである。特に中国が北朝鮮に決定的な不信を抱いたのは、1956年7~8月に起きた「8月宗派事件」と言われる反金日成運動で、中国に近い共産勢力が運動に失敗して中国へ亡命する時期へまで遡る、かなり歴史的に根深い経緯があってのことである。
したがって、金正日が昨年5月に訪中し、いわば「中国一辺倒」政策へ転換したことは、国際環境の一大転換をもたらすものだった。これを受けて、中国は2009年7月に中南海で中国共産党中央委員会を開催し、北朝鮮に対する政策を変更、核開発を容認すると同時に、対米関係改善を妨げないと定めたと言われる(林東源(イムドゥンウォン)元韓国政府統一部長官の言明、2009年12月5日、京都国際会館)。これは、朝鮮戦争以来のギクシャクした中朝関係を清算、北朝鮮を中華的な国際秩序に組み込んだものと理解して良いであろう。
ここから考えて、中国は可能な限り北朝鮮を支援するはずである。実際いま中国が東北「振興」を推進する過程で、北朝鮮が中国との経済協力に乗り出して、羅先(ラソン)特別市や丹東-新義州(シニジュ)地区の共同開発、さらには労働者の中国派遣など新しい形態でも事業が展開されようとしている。とりわけ、これから天文学的な投資が行われるであろうと言われている羅先特別市にあっては、後述するとおり中朝関係が部分的に中国による北朝鮮の植民地化という様相を呈する可能性もある。
こうして見ると、仮に「三代世襲」の過程において金ファミリーが統治能力を喪失して北朝鮮の崩壊が起こる場合は尚更のこと、米国と中国が韓国を間に置いて適切に朝鮮半島の状況管理が出来るかどうかが極めて重要になっていることが分かる。米国は北朝鮮への武力攻撃の意図が無いことを繰り返しているものの、作戦5029のような北朝鮮の内部崩壊に伴う偶発事態に北朝鮮の占領方式で対応しようとする場合、中国はこれを黙過せずに同様な占領方式に訴えるかも知れない。中華的な国際秩序観において韓国が米国の代理役として登場することは、中国としては容赦できないと見られるであろうし、ましてや日本が韓国と軍事的な連携を本格化する場合、到底これを受け入れることは難しいであろう。
Ⅲ.北朝鮮の狙い:一撃二鳥か三鳥か
このような国際環境の変化の中で北朝鮮が砲撃を行った狙いを考える場合、まず必ずしも彼らの意図と結果が一致していないという前提を確認することが大切である。けだし、政治的現実主義(political realism)の立場から物事を見れば、権力万能論でも信奉しない限り北朝鮮が狙った「戦利品」が何だったにしろ、想像できる狙いと後述する実際の成果とは明らかに距離が遠いからである。その証拠に北朝鮮は、砲撃により韓国の民間人が死傷した点に対して素直に「遺憾の意」まで表明している。仮に戦闘行為として砲撃を行ったのであれば、彼らが敵対勢力を殺したからと言って遺憾に思う必要はないわけだから、その表明は自ら砲撃の計画性とその目的-結果の齟齬を認めたものと考えて良い。
ここから明白なように、今回の砲撃は北朝鮮が充分に成果を出せると考えて行ったものである。予想外に民間人が死傷したものの、北朝鮮は戦争再発の危険性をネタに繰り出す「超瀬戸際政策」により、2つも3つも「戦利品」を獲得しようとしたのではないか。その狙いが果たして何だったのか、ここで状況と照らし合わせて考えて見たい。
第一に、今回の砲撃に先立って天安艦事件が発生、北朝鮮は国際社会の非難の的になりかけたが、韓国が発表した調査結果が極めて疑わしい内容を含んでいたため、中国はもちろんロシアも反発、結局この問題はウヤムヤに終わってしまった。筆者は天安艦事件が米国と韓国の共同軍事演習に伴う偶発的な事態だったろうと推測したことがある(拙稿「犬死にせし者たちの嗚咽は朝鮮半島に平和を求める」、ちきゅう座[100527:内外知性の眼―時代の流れを読む]参照)。
ともあれ、北朝鮮とすれば天安艦事件の教訓を利用しない手はなかったはずである。すなわち、これまで余り注目されることの少なかったNLLという国際的に確定していない海上の軍事分界線を意図的に国際紛争の火種として浮き上がらせることで、韓国だけでなく近隣諸国にも朝鮮戦争の再発かという憂慮の一撃を加えるのである。ここで言う近隣諸国とは言うまでもなく米中であり、むしろ日本は対象ではなかったと考えられる。なぜならば、その昔に関係諸国が朝鮮停戦で勝負を引き分けた時、ひとり日本だけが「朝鮮特需」を通じて経済復興の足かがりを掴む勝利者になったからである。北朝鮮の指導者たちは、戦争再発が韓国人と朝鮮人の血で日本の不況を追い払うのにもってこいだと日本人には歓迎されるだろうと考えているに違いないし、実際それは当たっているのではなかろうか。
今回の事件は形態から言うと、砲撃で軍事的な緊張が高まることにより、北朝鮮が国内外で政治的、経済的な「戦利品」を手に入れるという従来からの方式を踏襲するものであった。その「戦利品」が何だったかは未だ明らかではないが、おそらく多くの識者が指摘するように、北朝鮮の国内では「三代世襲」という恥ずべき後継体制を強化すること、そして国外では関係諸国による体制保障への政治外交的ならびに経済的なプロセス推進だったのであろう。前述のように北朝鮮は2012年までに、この2つを複合的に達成する基本目標として狙っていると思われるから、少なくとも一石二鳥の砲撃だったはずである。
第二に、北朝鮮が砲撃に先立ち、わざわざ自国のプルトニウム濃縮技術を米国の核科学者たちに披瀝したところから見て、自国が核保有国であることを米国に認定させて対等な立場で交渉するという意味で、砲撃は米国との関係改善を求める狙いがあったようだ。つまり、このまま行けば核保有国として北朝鮮が立ち現れ、韓国はもちろん米国へ届く大陸間弾道ミサイルで核攻撃を行う危険性を、砲撃の形で象徴的に示したかったのであろう。当然われわれは北朝鮮が実際に核攻撃すれば滅亡するだろうと考えがちだけれども、現実に彼らのやっていることは迫撃砲や曲射砲による砲撃に過ぎない点をよく認識する必要がある。日米ならびに米韓の安全保障条約がある今、北朝鮮による核攻撃などは起こらない。
では、米国の立場からは砲撃がどのように見えるのかと言えば、東洋の弱小国同志で起こった小競り合い程度にしか認識されていない。確かに米国は、韓国との共同軍事演習を行ってみせたが、その実この演習が北朝鮮に何か影響を与えた形跡は全く見られないし、米国がそれ以上なにかして見せる気配も示していない。米国が世界的な核拡散を防ぐため、イランの核開発を最重要視している事実(“Iran is the most serious problem for the NPT”:WL文書09STATE82013,2009/08/ 06)を北朝鮮も当然ながら熟知しているだろうからこそ、彼らはわざわざ米国の逆鱗に触れるようにイランはじめ中東の反米国家と手を結んでいるのである。これは、いわば片思い的な逆説ながら、まずもって米国の興味を引くことが北朝鮮の狙いだと言われる所以である。
第三に今回の事件は、最も緊張の激化を恐れた中国に一撃を加えるものだった。現時点では中国だけが北朝鮮に有効な影響力を行使できると言えるが、ウィキリークスの公開記事から見て、それも極めて制限的である。ある意味で中国は、中華的な国際秩序を維持しようとする歴史的な属性を捨てておらず、かつて朝貢-册封関係で行ったような有事の支援以外、平時には内政干渉を可能な限り避ける政策を堅持していると思われる。つまり、筆者が先の論考で示したように(拙稿「親ノ血ヲ引ク兄弟ヨリモ: 家族独裁体制の崩壊後、北朝鮮は中国の植民地と化す」ちきゅう座 [時代を見る:101005] 参照)、中国を宗主国、北朝鮮が宗属国という植民地と変わらない体制に変容する危険性は充分にある。
ところが、これを北朝鮮の立場から眺める時、自国が中国に全面的に依存する外なく、いかに平時では内政に干渉されないとは言え、言われるままに動くことは彼らの民族主義的な感情からして絶対に許せないはずである。特に、若い後継者として台頭しつつある金正恩にとって、なにか気骨あるところを国内外に見せてやるのは、決して損にならないと判断されたのではなかろうか。父親と共に近隣地域の視察を事前に行ったかどうか定かではないが、識者が喝破するように、金正恩が父親よりも軍事的には強硬な姿勢、そして経済的には改革・開放を受け入れる柔軟な態度を示すことが、一連の諸事件を特徴付ける点である(鄭成長(チョンソンチャン)「2011年北韓(北朝鮮)情勢展望」『情勢と政策』2011年1月号、23頁。)
したがって、上述した3つの狙いは、砲撃に至る経緯の中で一貫して複合的な相乗効果を醸し出すように工夫されており、そこから反対に意図せぬ結果も生み出したと言える。では次に、砲撃により醸し出された成果と予期せぬ結果、そこから推測される今後の展望について考察してみたい。
Ⅳ.砲撃の成果と今後の展望
砲撃の成果としては、まず第三の狙いどおり中国は、砲撃の次の日に韓国へ走り寄って来た。北朝鮮が韓国の延坪島を攻撃したからと言って、それをそのまま解釈する必要はないのであり、むしろ砲撃の的は中国だったことが分かる。米国との関係改善が狙いであることを知る中国では、砲撃の翌日に米中首脳が電話会談したのに続き、27日には戴秉国が訪韓して李明博に6者協議の首席代表による緊急会合の開催を提案した。
そして、12月9日に彼は続けて6者協議議長の武大偉と共に平壌(ピョンヤン)を訪問し、金正日ら北朝鮮の外交トップと会談した。韓国は中国の提案を受け入れがたいと突っぱねているものの、1月6日に持たれた米中外相会談では対話の方針が確認されたし、韓国内部からも果敢に対話に方向転換するよう求める世論が次第に強くなっている。こうして李明博は、50%の世論支持率とは裏腹に、韓国内部ではレーム・ダックが急速に進み、民心の遊離という事態に直面せざるを得なくなっている(韓国世宗研究所首席研究委員・白鶴淳(ペクハクスン)の談話、2010年12月28日、同研究所研究室)。
そして、二つ目の狙いどおり米国は、ボズワース(Stephen W. BOSWORTH )とソン・キム(Song KIM)の二人を関係諸国へ派遣して「真摯な協商」への道を探ろうとしている。確かに米国は韓国の同盟国であり、日本の同盟国でもある。しかしながら、北朝鮮をめぐる問題に関する限り実際に影響力を行使できるのは米中露しかなく、そのような事情が中国の識者たちの対話にも、朝鮮半島のみならず東北アジア全体に敷衍されて反映していることが分かる(“One contact proposed a U.S.-PRC-Russia trilateral dialogue to generate new ideas on the future of Northeast Asia.”:WL文書09BEIJING1761,2009/06/26)。
つまり、中国が米朝対話の推進を認めた以上、構想される対話の枠組みは6者協議の中にしろ、現実には米朝でしかないのであり、韓国や日本が出る幕はないと言っても過言ではない。ただし、米中が前提条件として付けている南北朝鮮間の対話ゆえに、砲撃事件から緊張が高まった後であるにもかかわらず、今や韓国と北朝鮮が相互に対話攻勢を仕掛けるという珍妙な光景が目撃されているのである。この米中の対話継続という枠組みが維持される限り、朝鮮戦争が再発する恐れは無いと信じて構わないであろう。
さらに、北朝鮮の最初の狙いどおり、緊張の激化を抑えるという国際的な合意形成の脈絡の中で砲撃事件はウヤムヤに終わった。あれほど強烈に抗議した韓国ではあったが、今や北朝鮮との対話を始めよという李明博政権に対する進歩革新勢力からの圧力が増大している。元来この対話路線は金大中と盧武鉉が引いた「包容政策」の十八番だったものの、李明博政権が北朝鮮政策に行き詰まるに伴い、いわゆる「南北首脳会談」の形で浮上していた。ウィキリークスによれば、韓国の青瓦台は2009年の秋から北朝鮮との首脳会談を模索したが、北朝鮮が以前の首脳会談と同様に見返りを要求したのを受けて結局お流れになったのである(“Beginning last fall, the ROK has had contact with the DPRK about a summit. The North, however, has demanded that Seoul provide a certain amount of economic aid prior to any summit. That precondition was unacceptable, Kim stressed, noting that the Blue House had emphasized to the ROK press this week that President Lee would never (判読不明)a summit with the North”:WL文書10SEOUL290,2010/02/22)。
本年このような南北首脳会談が現在の行き詰まりを打開する方法として韓国側から模索される可能性があるし、北朝鮮も米中からの軍事的な行動抑制と南北関係の改善という要求を受け入れた姿勢を示すため韓国との対話はもちろん、その最上の形態である南北首脳会談を実現するように動くかも知れない。実際に北朝鮮は「無条件」の南北当局者間の対話を呼びかけているし、韓国の野党である民主党からも思い切って受け入れよ、あるいは対案として逆に協議を呼びかけよという声が段々と高くなってきている。
詰まるところ、北朝鮮の一石二鳥か三鳥か分からないしろ、その砲撃の狙いは部分的にしろ達成されたと見て間違いないであろう。それにしても今回、米中が大国協調主義と言われる原則の下で北朝鮮に行動の自由を許した事実は看過できない先例となる。さらに北朝鮮には予期せぬ結果だったと考えられるけれども、今回の砲撃の結果として韓国の世論が李明博政権への不信感を決定的にしたため、次の大統領候補として最有力と目されている朴槿恵(パックネ)が、とうとう大統領選挙に出馬する行動を開始したのである。
韓国は砲撃の被害者として立ち振る舞っていたものの、そもそも北朝鮮からの攻撃に対応する準備が出来ていないこと、さらに射撃訓練を境として韓国が朝鮮半島の緊張を高めているという認識が韓国民だけでなく国際社会でも一定程度うけいれられてしまった。つまり、李明博政権は「失われた10年」等と批判しながら「非核・開放・3000」のスローガンを掲げて金大中と盧武鉉の北朝鮮政策から脱皮しようとしたが、むしろ前任2人の築いた成果さえも完全に喪失しただけでなく、自国の国防さえも危うくしたという猛烈な批判に遭遇することになった。天安艦事件の興奮も未だ冷めやらぬのに、である。
李明博の残り任期が2年と既にレーム・ダック状態に陥っているのも手伝って、ここから次の大統領選挙が急激に韓国で耳目を集めることになった。実際に朴槿恵は昨年12月27日に大統領選挙用のシンクタンクとして「国家未来研究院」を立ち上げ、その出帆式で「いま我々は新しい国家発展の岐路に立っており、今どのようにするかに従って国家の未来が変わることになるだろう」と事実上の出馬宣言を躊躇しなかったのである(電子版『ハンギョレ』2010年12月27日)。
とは言え、砲撃の結果として北朝鮮が朴槿恵を呼び覚ましたのは事実としても、よもや彼らが朴槿恵を担ぎ出す結果を狙っていたとは考えにくく、予想さえしていなかったのではなかろうか。仮に北朝鮮が朴槿恵まで狙って砲撃したとすれば、その慧眼に驚く外ない。昨年末の12月27~30日、筆者がソウルに留りながら取材したところでは、今のところ朴槿恵に対抗できるほどの対抗馬はいないというのが韓国の識者たちから聞いた一致した見解であった。民主党代表の孫鶴圭は、筆者もその昔に釜山で面会したことがあるけれども、大統領らしい風貌に欠けるだけでなく自らを「金大中主義者」と形容したとおり、国際環境の変化していく新しい時代の指導者として何ら新味のない感じを拭えなかった。
言うまでもなく、これからアッと驚く候補者が出馬する可能性があり、それこそ韓国大統領選挙の醍醐味でもあるのだが、本命は朴槿恵という線は、十中八九まちがいない。朴槿恵が北朝鮮に飛んで金正日と握手したことを記憶する人々も少なくないと思われる。そこから推察できるとおり、彼女が朴正煕(パクチョンヒ)の娘として帝王学の道を知る以上、李明博のように国家を会社のように経営できるという馬鹿げた妄想に囚われることなく、北朝鮮を正しく韓国のガバナンスの中に位置付けようとするはずである。包容政策は元来この韓国のガバナンスを強調し、分断と北朝鮮を上手く管理しながら韓国の手になる統一状態を創り出そうとする運動であった。
予見されるとおり、北朝鮮は「三代世襲」の動きを推進する中で金正恩の訪中により国際社会に彼の存在をアピールしたり、国内的には法制度的に権力の継承を強固にする措置を講ずると思われる。明らかにされたところでは、金正恩は父親の金正日が占める朝鮮労働党中央委員会総秘書(総書記)の職責を引き継ぐことだけで、同党軍事委員会副委員長の職責にありながら「朝鮮人民軍最高司令官」の地位を掌握するのだという(電子版『ハンギョレ』2011年1月7日)。この軍部の掌握は、いつ起きるかも知れない金正日の死去に備える上で後継体制に反対する勢力を抑圧するための最も有効な手段であろう。
さらに、韓国の専門家が分析するように北朝鮮は本年も昨年と同様、住民の生活安定を最優先させる政策を継続すると思われる。本年頭の労働新聞(党機関紙)、朝鮮人民軍(政府人民武力部機関紙)、青年前衛(青年同盟機関紙)の三紙共同社説「本年もういちど軽工業に拍車を掛け、人民生活の向上と強盛大国建設で決定的転換を起こそう」という題目からして容易に分かるとおり、強盛大国と共に登場するはずの金正恩体制を北朝鮮住民に認めさせるには、何よりも「人民生活の向上」が必要なのである(鄭成長「北韓(北朝鮮)の2011年新年共同社説と対内外政策の変化」『世宗論評』No.209、2011年1月3日)。
しかし、ウィキリークスで明らかになったところでは、北朝鮮において先のデノミネーション政策から起きた富裕層の不平不満、中朝の経済協力がもたらす不正と腐敗、そして経済的な特権層の成長は、北朝鮮の崩壊への第一歩となる可能性を示している。より具体的には「北朝鮮と中国の高官の子どもたちは、最も活況を呈する投資を乗っ取り、彼ら自身の金儲けのために取引を助けている(“the children of high-ranking North Korean and Chinese officials hijack the most favorable investment and aid deals for their own enrichment.”:WL文書10SHENYANG5,2010/01/11)という。不平不満が爆発するのも時間の問題かも知れず、ここから北朝鮮の崩壊に確信を持つ人が増える中、その有事に同じ民族である韓国のみならず周辺諸国がどのように対処するのか、それが問われている時代に突入したと言える。韓国は本年から「統一」に備えた準備を本格化させると伝えられている(『朝鮮日報』2010年12月30日朝刊1面)。
では最後に、北朝鮮が軍事的な挑発という古い手段で新しい時代を開こうとしている正に今、そして韓国が北朝鮮の崩壊に備えて本格的に動き出した現在、日本の取るべき朝鮮政策を大胆に論じてみよう。
おわりに:日本の取るべき朝鮮政策
以上のような考察からして、日本の取るべき朝鮮政策は、ほとんど自動的に導き出されると言っても良い。結論的に言って、対話の他に北朝鮮の核問題を解決する道がなく、また6者協議を北朝鮮が無条件にやろうと言っている以上、早晩この6者間の対話が再開されるはずである。その時期は確定できないにしろ、2012年に北朝鮮が「強盛大国」のスローガンどおり自国の発展を宣伝し、部分的には中国との経済協力を通じて実体が備わり、同年12月に予定された韓国の大統領選挙で朴槿恵が当選する時、北朝鮮をめぐる情勢は一変する可能性がある。その時、日本が空手無策では全く情勢に対処できない。
日本の取るべき朝鮮政策は、韓国との軍事協力を進めるような馬鹿げた方向ではなく、北朝鮮との国交正常化を通じて拉致問題の解決はもちろん、その軍事的な懸念を払拭する中で経済的なテコ入れを行うことにより、北朝鮮に一定の影響力を行使できるようにすることである。現代グループ会長である玄貞恩の回顧録が示すとおり、金正日は歴史的な経緯からして中国を本当には信じていないことは明らかであり(電子版『ハンギョレ』2011年1月3日)、ここに日本が北朝鮮と中国の関係に楔を打ち込む余地が残されている。
米中の間に埋没した日本であるからこそ、これからの朝鮮政策は過去の清算という次元に止まらず、新しい国際環境の中で日本の政治的なプレゼンスを東アジアに示すと共に、中国の成長が不可避的に伴うと言える軍事的な競合関係を回避することが狙いとされなければならない。もちろん、一部でもっともらしく語られる米国-韓国vs.北朝鮮-中国という「新冷戦」なる話は、米国からするイデオロギー的な宣伝に過ぎない。その基底には米中の固い結び付きがあるのだから、この結び付きに日本が風穴を開けるには、未だ国交正常化を果たしていない最後の地域すなわち北朝鮮との連携しかないのである。
いわゆる「拉致問題」は、その帰趨が分からないからと言って放置すればするほど、被害者を発見する可能性は少なくなるから、早期に国交を開いて現地で調査するのが妥当である。また、国交正常化に伴う北朝鮮への掴み金的な「経済協力」方式の金銭提供も、その提供する金銭が日本へ還流するように工夫しておけば、日本の不況を克服するのに一助となるであろう。さらに、繰り返して強調すべきは、先の尖閣問題や北方四島で日本が味わった屈辱は、決して軍事力の大小から来るのではなく、日本の政治外交的な力量が当該諸国から馬鹿にされているからこそ起きたものなのである。だから、北朝鮮のような「ならず者国家(rough state)」を制御することができれば、日本は北東アジアにおける威信を高めることにもなり、友邦国である韓国にも各種の助けを提供することができる。
確かに日本のサムライ文化に裏付けされた軍事的なリアリズムは、明治維新では欧米による植民地化を免れる上で大きな貢献をした。だが、いかんせん政治外交的なリアリズムの欠如は天下一品であり、自民党だろうが民主党だろうが、その失態は外交文書の公開に伴って益々あきらかになっている。米軍が沖縄に駐屯し続ける大きな理由の一つが北朝鮮からの脅威であるとすれば、これを日朝国交正常化により克服し、北朝鮮vs. 韓国-米軍基地-沖縄の連鎖を絶つことも可能となるである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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