「慰安婦問題」に対するメディアのおかしさ   

 12月18日、京都で行われた日韓首脳会談で韓国の李明博大統領が「慰安婦問題」の解決を強く求め、野田首相が「法的に解決済み」と答えたことは大きく報じられた。先日の野田首相の韓国訪問の時は、李大統領は全く触れなかったこともあって、日本側は「甘く見ていた」節もあり、「終始一貫」慰安婦問題だけを語った(韓国大統領府の話=朝日新聞)、李大統領の強い姿勢は「想定外」だったようだ。野田首相は、解決済みという従来の主張を繰り返しながら「人道的な見地から知恵を絞っていきたい」と言ったが、14日にソウルの日本大使館前に建てられた慰安婦の記念像について、「誠に残念だ、早急な撤去を」と要請、李大統領は「誠意ある措置がなければ、第2、第3の像が建てられるだろう)と語ったという。

 「人道的な解決」というと、すぐ思い出すのが、「女性のためのアジア平和国民基金」(村山内閣の時に始まった。民間の基金)。日本が何もしなかったわけではないと、この基金のことを書いた新聞も多いが、国が責任を取らないので、民間の募金で済まそうというのは何事!と当事者たちの憤激を巻き起こし、当事者団体同士の争いまでおこし、いたずらに混乱を招き、基金も2007年に解散した。「人道的見地からの知恵」などと行っても、この基金程度の策しかないだろうし、何とも誠意がないと思うのだが。そもそも人道的な解決など、「罪を犯した」方が偉そうに言うセリフではないと思うのだが。

 しかし、この程度の野田首相の発言にも反発するメディアも多い。19日の各紙論調は、朝日は「人道的打開策を」、毎日は「原則曲げず対応」と‘一応’評価しているが、読売は「安易な妥協は禁物」、産経は「融和外交が将来に禍根を残す」、つまりこの問題は解決済みで、韓国の方がむちゃな要求をしているという態度である。なんとも情けないようなマスコミの姿勢である。

 慰安婦記念の少女像に至っては、かなりこの問題で「慰安婦側」に「同情的」とみられる論を書いている朝日新聞でも「未来志向の関係に水を差す」「少女像が日本の世論をとがらせては、抜けるトゲも抜けない」「双方の不幸」と書いている(12月19日天声人語)。

だが、日本の世論全部がこの像に対して怒っているといった言い方に私は、怒りを覚える。この像が建てられた14日は、1992年からはじまった韓国の被害女性たちの水曜デモが1000回を迎えた日だった。1000回と一口に言うが、20年である。雨の日も風の日も休まず、毎週。高齢の女性たちである。並大抵のことではない。訴えて訴えて、一向解決しないこ都に当事者たちは怒り、1000回のこの日、「少女像」を建てたわけである。この日、東京では外務省を人間の鎖で取り囲むというイベントが行われ、1300人もの人が集まった。そのあとの集会で、像設置の様子が映像で報告され、会場いっぱいの人から熱い共感の拍手が起こった。そのあと、日本政府が撤去を要請したという報が伝えられると、エーっという驚きの叫びが起こった。撤去申し入れなど誰にも考えられないことで、こんな日本政府に対し「恥ずかしい」という声が起こった。ここに集まった人たちは、少数派かもしれない。しかし、日本の世論のすべてを像に対して反対しているときめつけるのはおかしいではないか。

 14日は、韓国の水曜デモ1000回に合わせて東京だけでなく全国のあちこちで様々な行動が行われた。日本だけでなく、フィリピン、アメリカ、カナダ世界30か国で連帯行動が行われた。日本のメインは外務省前だったが、平日の昼間に1300人が集まるということはかなり大変なことだと思うのだが、日本の新聞もテレビもこれを1行も報じなかった。「鎖」をしている時、大メディアの腕章をつけたカメラマンをたくさん見たが、掲載はゼロで、韓国の少女像のことのみが報じられた。市民の運動の報道にメディアが冷ややかなのは、いつものことだが、今回には少々がっかりした。日本の運動のことに触れないでは、まるで、韓国だけが日本にイチャモンをつけているようではないか。

 解決済みとする日本政府の態度も問題が多い。1965年の日韓請求権協定で韓国が日本の植民地支配に対する個人請求権を放棄し、代わりに日本が経済協力資金を払ったことで一切「済み」というものだが、この時、慰安婦問題は話題にもなっていない。韓国で初めて当事者が名乗り出たのは1992年で,これも日本の国会で慰安所はあったが業者が勝手にやったことなどと政府が答弁したのに怒った、金学順さんという当事者(もう彼女も亡くなった)が名乗り出たのが、始まりである。その後、1993年、河野洋平官房長官が「心からのお詫びと反省」の談話を発表したが、当事者たちは、これは官房長官の談話で正式の日本国からの謝罪とは受け取っていない。さらにその後、様々な元「慰安婦」たちの補償裁判があったが、「時効」の壁に阻まれている。しかし、国連で、68年に人道上の罪に時効は存在しないということを明らかにした「戦争犯罪及び人道に対する罪に対する時効不適用条約」が締結されており、日本の「逃げ」の態度は、法的に見ても全くおかしいのである。

 もう一つ、今回の報道のおかしさは、この問題に対する経緯が全く無視されていることである。1980年代の終わりから、韓国での運動に呼応して日本でも運動が盛んになった。日本軍の戦時性暴力をよく知らないまま見過ごしてしまい、多くの女性を過酷な運命に突き落としたこと、それは日本の女性にとっても自分たちの人権にかかわる問題であり「他人事」ではなかった。何とか、彼女たちの「正義」を取り戻したい。多くの女性が奮闘した。韓国の女性がまず勇気ある「告白」をすると、フィリピン、中国、台湾、インドネシア、オランダ、さらには東ティモールまで、様々な国から被害者が事実を語った。国連人権委員会の勧告まで出た。日本ではいくつもの裁判が起こされたが、いずれも事実は認められながらも時効の壁に阻まれ、敗訴になった。そんな中、民間女性たちの手で「女性国際戦犯法廷」が開かれた。「慰安婦」という戦前の日本軍隊の一番恥部に触れ、責任者として天皇も有罪とした判決は、保守政治家たちの反感を生み、メディアの報道は小さいか無視。政府も無視した。

 その後も、EU、アメリカ、カナダ議会等外国議会の勧告や意見、日本国内でも地方議会の意見書が数多く出ているが、政府は全く無視である。

 こんな中、裁判でもうまく行かないなら、立法し解決するしかないと2001年、民主、共産、社民の当時野党3党が共同で「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」が参議院に提出された。この法案は被害女性たちにも支持されたし、これが通れば、問題解決は可能だった。しかし、法案は8回提出され、いずれも[つるし]に会い、8回廃案にされた。

 国会で大逆転が起こり、民主党内閣ができた時、だれもが期待した。これで、「促進法」が成立すると。しかし、まことに残念というか不可解というか、民主党政権になってから「促進法案」は提案もされていない。そして政府としての姿勢は、最初のころの「コンクリートから人へ」からはるかに遠くなり、「慰安婦」問題など話題にもされず、国民は忘却の彼方に追いやられてしまった。この間、運動は絶え間なく続いていたのだが。

 そして、2011年8月、韓国憲法裁判所は、韓国政府がこの問題について具体的な取り組みをしなかったのは違憲という判断を下したことで、問題が「再燃」(新聞の書き方。私に言わせれば、ずっと問題は未解決のまま続いている)、両首脳会談に関連して、かなり詳しく経緯を書いた新聞でも、日本の民間の運動や世界の動きなどは全く触れなかった。殊に「促進法」について書いているところは皆無である。自党の出した法案をネグレクトしてきた政権党、これは、許しがたい背信であると私は思うのだが。「促進法」のことを取り上げないメディア、このことを隠しておきたかったのか、それとも不勉強で知らなかったのか。腹立たしく思う。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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