日本国際法律家協会(JALISA)の機関紙 『Interjurist』 188号(2016年5月1日発行)に掲載されたブログ運営人の記事を転載します。
この記事でも触れている「沖縄」。1952年、サンフランシスコ平和条約により日本から切り離され米軍政下にさらに20年も置かれ、人権を奪われ続けた沖縄が、日本国憲法適用をもとめて選んだ1972年の「復帰」。しかし日本は沖縄から基地を動かすことをせず、沖縄を再び裏切った。結果的に沖縄は「憲法」からも裏切られ、その状態は現在にまで続いている。その「復帰」から今日は44周年である。この記事は物議を醸したが、憲法が大事であるからこそ、日本が憲法から排除し置き去りにした人たちのことをまず考えなければいけないという思いで書いた。
「ノーベル平和賞」運動について
バンクーバー9条の会世話人
乗松聡子
JALISAとのつながりは10年前、私の住むカナダ・バンクーバーで2006年6月に開催された「世界平和フォーラム」でそのメンバーの方々に出会ったことがきっかけでした。その後私が日本に一時帰国したときに、笹本潤さんの誘いでJALISAのオフィスを訪ね、入会しました。海外にいて何もお役に立てない存在ですが、今回の寄稿は私のささやかな貢献と思ってください。
今回、私が海外を拠点に活動しながら抱いてきている問題意識をひとつ皆さんと共有したいと思います。
それは「憲法9条を保持している日本国民にノーベル平和賞を」運動についてです。これには何度も賛同や協力のお誘いを受けましたが、私自身は最初に聞いたときから違和感を持ってきました。私は「バンクーバー9条の会」の創設メンバーとして、9条を守り生かしていこうという活動をしてきており、9条に対する基本的姿勢はこの運動を推進してきている人たちと同じであると思います。しかしこの運動にはどうしても賛同できないのです。
私が抵抗を感じるのは、「日本国民にノーベル賞を」と言っているところです。この背景には、9条自体をノーベル賞の対象とはできなかったという事情があることは承知しています。しかし日本人が「日本国民」をノーベル平和賞の対象にするというのは、自分で自分をノミネートしていることになります。そもそも賞とは、人から評価してもらうものであり、自分から求めるものでしょうか。「それのどこが悪い、9条は素晴らしいのだから」と反論する人がいるかもしれませんが、この自画自賛性を私が指摘することにはもっと根が深い問題があります。
それは、海外から観察していて、この運動に限らず日本人の「平和運動」は概して自画自賛的、自己中心的なものが多いということです。自分自身もそうでした。日本の被害を強調する「ヒロシマ・ナガサキ」や都市空襲、物資不足や占領地からの引き揚げの苦労といったことを語ることが「平和教育」だと思っている姿勢は、一歩日本の外に出たら通用しないときがあります。
憲法9条はそもそも、千言万語をもっても語り尽せない被害をアジア太平洋全域にもたらした日本帝国の軍国主義・植民地主義を牢獄に入れたというような性質を持ちます。しかしこの憲法の懲罰性というものを、日本の9条支持者たちもあまり自覚していないように見えます。逆に、「唯一の被爆国」、「焼け跡から生まれた憲法」といった概念とともに、艱難辛苦から立ち上がり「平和憲法」を守る立派な日本人といったイメージが作られています。「9条にノーベル賞を」という運動にも、日本人が日本の憲法を称賛する、というナショナリズムを感じざるを得ません。実際は日本が何も威張れた存在ではなかったから9条があるのです。最近メディアなどにとみに日本賛美の言説が目立ちますが、それと軌を一にするような動きにさえ見えるのです。
また「日本国民」という表現についてですが、日本国憲法は制定の過程で、占領軍の英語草案で People とあったものを日本側が敢えて「国民」と訳すことによって「国民」ではない人たち、すなわち日本国籍のない人たちが法の下に平等に扱われることを阻止した歴史があります。天皇は憲法施行の前日に最後の勅令「外国人登録令」を出し、在日朝鮮人と台湾人を憲法から切り捨てました。これをどれほどの日本人が知っているでしょうか。私は在日コリアンの友人から聞くまで知らず、心から恥じ入りました。天皇は自分の権限が正式にはく奪される前日にこのようなことを行っていたのです。
日本国憲法は法的には「日本国民」以外の人たちを排外はしていないようですが、在日コリアンや、基地被害を押し付けられ9条の枠外に押しやられている沖縄の人々など、事実上憲法が適用されない状況が続いている人々のことを想えば、容易に「日本国民」とは言えないのではないかという思いがあります。「日本国民」には自分たちは含まれていないと感じる人も多いでしょう。しかしこの人たちは、「日本国民」と憲法上同じ権利を保障されることを渇望してきました。そういう意味で、憲法を保持することに多いに貢献してきたのではないでしょうか。それなら、その人たちがあまり疎外感を感じないように、たとえば、「憲法9条を保持している人々」という方がよりよいのではないかと思います。
このような感覚は日本にいた時代の私にはありませんでした。カナダで自分は、国籍がないにもかかわらず、市民としてカナダの憲法下でカナダにいるすべての人間と同等の人権を保障されている安心感があります。それを意識して、初めて、日本で日々そのような安心感を持てずに暮らしている人たちの存在に気づいたのです。日本で日本人やっている限りは気づかなかったかもしれません。
私が平和運動に入ったきっかけは原爆の被爆者の方々との出会いであり、米日や他のアジア諸国の学生たちを毎年広島・長崎に連れていく平和の旅に参加し、被爆者の皆さんの声を世界に届ける活動をしてきました。日本軍がどれだけ極悪非道なことをしたとしても原爆で一般市民が大量殺りくされたことは許されざることです。海外で活動していると、アジア隣国の人々や元連合軍捕虜や遺族たちの中に根強い、「原爆のおかげで助かった」という歴史観に一対多数で立ち向かわざるを得ない場面もあります。私がこの原稿で書いていることはこのような立場から来ているものであり、決して日本の戦争被害者の被害を軽視しているものではありません。
このノーベル賞運動には、9条の国際的認知度を高め、安倍政権の好戦的政策や改憲を阻止する一助にしたいという狙いがあるのだと思いますし、その善意は疑いません。これを機会に、日本人の平和運動のあり方、そして日本国憲法が守ることができてこなかった人たちのことを一緒に考えませんか。
最後に、私の初稿にたくさんの貴重なご意見をくださったJALISAの理事の方々に感謝します。
乗松聡子(のりまつ・さとこ)
『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』(apjjf.org)エディター、平和教育団体「ピース・フィロソフィー・センター」(peacephilosophy.com)代表、「バンクーバー9条の会」(vsa9.org)世話人。編著に『正義への責任―世界から沖縄へ』(琉球新報社、2015年)、共著に『沖縄の〈怒〉-日米への抵抗』(法律文化社、2013年)など。連絡先メール:info@peacephilosophy.com
初出:「ピースフィロソフィー」2016.05.15より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2016/05/opinion-on-movement-nobel-peace-prize.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔opinion6091:160515〕