「成人式」って何?

現在のような成人式、いや、実態はともかく、テレビで報道されるような成人式は、いつ始まったのだろう。祝日法の成人の日の由来も、成立当初から曖昧だし、なぜ20歳なのかもわからない。選挙権が18歳になった現在は、なおさら、その意味も薄れた。タバコやお酒が解禁になったことを、あんなに着飾って祝わなければならないことなのか。晴れ着を用意できない人たちも多いのではないか。しかも自治体が率先して、出席率を上げようと、税金をつかって躍起になっているのもおかしな現象だ。日常生活とはおよそかけ離れた振袖や袴紋つき、スーツ姿で会場に集まって、Vサインなどしているワンパターンの映像を流すメディアもメディアだし、その彼らの「大人としての自覚をもって頑張っていきたい」の類の決意を報じられても、 なんだか虚しいのだ。

結果的に、若い人の職場も非正規が正規を上回り、結婚や子育てが難しい世の中にしてしまった大人たち、その大人たちも老後の不安がいっぱいの時代にしてしまったのだから、大人としての自覚や責任と言われてみても、その内実を思うとやりきれない。“全世代型”の福祉行政といった高齢者の切り捨てが始まり、自己責任論が横行するのだろう。

いわゆる「成人」の儀式は、その年齢自体も、時代によって、階級や仕事によって、住む場所によって、異なっていたものだと思う。それを、国が束ねて、騒ぎ、踊らされているとしか思えない。現代ならば、家庭や地域社会で、職場の仲間で、さまざまな知恵と工夫で祝われるべきものではないかと思う。派手な晴れ着などとは、無縁ではなかったのか。

老若問わず、経済的な不安が多い時代は、すでに家族葬や地味婚・家族婚が定着し始めている。いくら成人式ビジネス業界が頑張ってみても、成人式だけが変わらないというわけにはいかなくなるだろう、と思う。私の成人式は知らないうちに過ぎていた。

 

初出:「内野光子のブログ」2018.01.08より許可を得て転載

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