明治大学自由塔において「ちきゅう座」の総会が開かれた。その後に澤藤弁護士による共謀罪に関する講演があった。5月20日の昼下がりのことだ。
会員の一人である私が会場で言いもらした事を若干ここに記す。
第一号議案に「戦争のできる国」化に対する強い批判があり、「憲法第9条の廃棄」の方向への危機意識がある。
この問題に関して、「ちきゅう座」において直接的間接的に、顕示的黙示的に私の立場を書いて来た。たとえば、平成25年・2013年8月23日の「評論・紹介・意見」欄の「安保の悪夢と九条の悪夢」や平成29年・2017年1月5日の「憲法第9条は明治20年に誕生した!?――中江兆民『三酔人経綸問答』」を参照して欲しい。
私の立場は、日米安保・九条体制のワンセット撤廃である。安倍内閣の追及する安保強化・九条無化の方向も護憲派の九条死守・安保廃棄も21世紀の国際社会の不安定化を促進すると考える。今日すべからく行うべきは、文武強国日本の自立宣言であろう。
日本国憲法前文の有名な一節を「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、但し盲信せずに、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」のように修正する。強調の7文字が追加である。かかる国際社会への主体的構えに基づいて、「いくさ(戦争)はしない、しないができる。できてもしない。但し、しかけられたら、受けて立つ。」の和戦哲学を日本国民の心とする。当然、論理必然的に日本国は自衛国軍を有する。つまり、憲法9条を改正する。勿論ワンセット制約下でのみだ。
自衛国軍は自衛隊とは違って、論理的にはあらゆる国の軍と戦争できる。自衛隊はアメリカ軍とだけは絶対的に論理的に戦争できない宿命を構造的に背負っている。従って、それは隊ではあるが、軍ではない。国軍を有する国家は、あらゆる国と戦争できるが、同時にあらゆる国と外交できる。日本国は国軍を持てない。故に、日本国はアメリカとだけは外交できない。日本国があらゆる国と外交できるようになった時、日本国はいかなる国とも戦争しない決意を実行できる。
「戦争のできる国」が「戦争をしない国」作りに真剣に取り組む、その哲学的背景をいかに育てるか、が私=岩田の心にかかる問である。ここに指摘しておくべき好事がある。それは、ドイツが大戦中に長期占領した国をアメリカの指令の下に1999年空襲したのに対して、吾が祖国は戦争中に占領した国々のいずれにも軍事侵攻をしていないという事実だ。第9条なしに、かかる好事をいかに持続するか、である。
平成29年5月21日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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