小生は第三世界にいて、ひどい目にあっているだけだが、日本を逃げてきたという意識はない。国籍についても最近では日本人であり日本を思う気持ちでは在日日本人には負けないであろうと思いながら「国家」にとらわれた知性に対する諦めを感じるようにもなっている。そういう意味では憲法前文が『日本人民・the japanese people』と呼ぶ人民の一人であることを持って、国境からはるか外側にいる自分を今後も『自衛』したいと思っている。
なぜなら、なるほど外国語を日常語にしながら、しかも「日本語で書きたい」という意欲がすぐっていることも確かなのである。これはおろかなことであり、賢人のたたずまいではないだろう。
日本の古典的政治階級は、現在の安倍政権の下で、さらに強固な『大衆との分断』、ひいては「日本人民との分断」を策しているし、その『分断』を、ほぼ完成に近づけてきたといってよい。しかし、それはあくまでアメリカに対する自国の植民地化、しかも国内的な政治階級確立という「国内植民地化」を意味している。
その意味では、日本における新たな政治階級の確立には現在の日本国憲法は、あくまで障害以外の何ものでもないことになる。
すでにあちこちで指摘したが、アメリカの日本への政治的ビジョンは、第2のメキシコにすることだろう、しかもこの新しいメキシコは、今までの貧乏なメキシコとは違ってカネに精神のあぶれた自尊心の塊が政治階級を支配しているのである。、、、、、、、その意味では、立候補の為の高額の供託金、議員の異常に高額な給与、すでに固まり始めた世襲支配層、支配層のための秘密保護法、アメリカ軍への付帯軍事貢献、これらのメキシコ的条件が、安倍政権で確立したことはめでたいことであろう。国民は良くがんばってこの奴隷的国家の建設を非暴力で歓迎して来た。もちろん、民衆の動きもラテンアメリカと同じだが、その非力と無効性も、ラテンアメリカと同じである。安倍時代に確立した『政治階級』には左右のイデオロギーが共存するが、『政治階級』という政治階級の成員は、メキシコと同じく特権を抱えたまま正義と汚職を使い分けて民衆との経済格差を埋めようとはしないだろう。それは官僚体制や大学体制、研究機関までもその格差を形成する装置となって日本をアメリカ衛星国の優等生にしていくだろう。ラテンアメリカのように貧乏になり続く国民はラテンアメリカと連帯して貧乏で非暴力をうたい権力に立ち向かい、大学教授や左翼議員に連帯を求めるが、すでに組織にいる彼らは本気に社会構造を変えるつもりなどはない、とは御くびにも出さずに、民衆の味方の顔をし続けるだろう。
つまり、供託金制度と現在の議員給与は絶対に見直しが必要だ。いま、すぐにだ。