下記は、人文科学に畏敬の念をもってそこそこ幅広く知識を求めてきた技術屋の端くれの言い分として頂けばと思う。
仕事の場で(よく)知らないことが話になったときによく耳にした二つの言い訳の始まりがある。言い方は多少違っても大体「文系なので。。。」と「不勉強なので。。。」の二つの言い方の変形にまとめられる。この二つの言い方、特別な意味もなく軽い枕詞のように使っていることが多いが、両者の間には自分自身に対する姿勢に大きな違いがある。前者は分からなくて当たり前だろうという自身に対する甘えに加え、相手にその甘えを当然のものとして許容することを要求する厚かましさがある。後者は本当にそう思っているかどうかは分からないが、知っていなければならない立場にもかかわらず、知らないことについて自責の念と相手に対する謝罪の表明がある。
よほどの(広い意味での)先進科学分野や先端技術分野、特化した狭い特殊な領域でもない限り、またその道のプロとしての理解ではなく、一般人が教養の一環として知っている程度の知識であれば巷に何らかの文献がある。大きな本屋に行けば入門書の類すら事欠かないことが多いし、インターネットでもかなりのことが分かる時代になった。「不勉強で。。。」もいつまでも、どこでも通用するとは思えないが、「文系なので。。。」は言い訳の枕詞として、昔ならいざ知らず今や通用しないことが多いから使わない方がいい。使えば己の不勉強を棚に上げた上に反省のない人と、さらに文系のことも大して勉強してきてはいないだろうぐらいにしか思われかねない。
そもそも理系と一言に言っても分野は多岐に渡るし、狭い専門分野に深く特化せざるを得ないところまで科学技術が進化してしまった今日、理系といえども専門以外の分野に関しては文系の人たちが持ちうる知識と大きな差はありようがない。知識の多くは、社会にでてから必要に迫られてその都度勉強して得た知識を積み重ねてきた結果に過ぎない。一般教養としてのレベルの知識であれば、千円、二千円程度の入門書を数冊も読めば習得できる。もうちょっと深く勉強しなければならないとしても独習の教材は、よほど特殊な分野でもなければ手に入る。
文系の人たちでも、理系の人たちがたかが数年間やそこら勉強したことで職業人として必要な全ての知識、あるいは知識の基礎を習得できると思う人はいないだろう。にもかかわらず、「文系だから」という言い訳の枕詞は、どのような精神構造から発せられるのかが気になっていた。
遭遇した限られたケースを一般化する危険を承知で言わせて頂ければ、比較でしかないが、理系の人たちの方が文系の人たちより勉強する習慣がついていて、真摯に学ぼうとする気持ちを持っている人が多い。今の日本ならその気になればよほどのことでもないかぎり、誰でもいくらでも知識を吸収できる環境にある。この環境は両者に対して公平に提供されている。環境が同じなら、違いは当事者の知らなきゃいけないという自覚と責任の違いから生まれると考えるのが順当な結論だろう。
失礼になりかねないのだが、多少ながらも文系の方々の立場を想像して「文系なので」という言い訳の背景を考えてみれば、彼(女)らにしてみれば当事者として知らなければならない立場にいることを自覚させられる環境にいることがないか、少ないか、あるいはその環境にいることを認識する能力が欠落しているのかもしれない。誰もしたい、したくないにかかわらわず、やらなければならないこと、やりたいことは持てる能力と時間を超えている。余程自制心の強い人でなければ易きに流れる。自分では面倒と思っていることを誰かがしてくれると期待できれば、あるいは誰かに押し付けられるのであれば、多くの人は自分で労することを避ける。ここまでくると理屈より人情の話で、程度の問題になってしまう。そこそこの負担の押し付け程度なら、褒められたことではないにしても、してはならないことと非難されるほどのことでもなしと許される範囲であることも多い。
人と人との関わりあい、それぞれのお互いになんらかのかたちで同意した立場の違いが「文系なので」という言い訳をまあまあしょうがないとして受け入れるかどうかを決める。ただ、それも程度問題で、明らかに当事者意識や責任感の欠如や度を過ぎた負荷の押し付けになれば、「文系なので」という言い訳の枕詞は、聞かさえる側にしてみれば、言っている人がほぼ「私は怠け者ですから」と言っているように聞こえる。「私は怠け者ですから」とは公言はできないので、「文系なので」と誤魔化しているとしか思えない。その誤魔化しがあまりに頻繁になれば、人としての信頼関係にかかわる。
文系だったとして、そこまで知っていることを要求されるのはちょっと行過ぎだろうと思えるときでも、できれば「文系なので」ではなく「不勉強で。。。」ぐらいにおさめておいた方がいい。ましてや、「文系なので」が口癖のようになっているのは論外、人としてのありようにまで疑問符がつく。 2014/3/28
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