「新潮45」への批判と新潮社の本の撤去運動

  自民党の杉田水脈衆院議員が「『LGBT』への支援の度が過ぎる」という文章を「新潮45」(8月号)に寄稿した結果、それが性的少数者であるLGBTの人々だけでなく、普通の市民にもあまりにもひどいと大きな批判を呼んだ。実際の文章を筆者は読んでいない。その後、「新潮45」はそれらの批判を受けて改めるか、と言えば逆に「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」(10月号)というくくりで、開き直りのような記事を掲載している。これらが炎上商法だという批判記事も出ている。

  その後、今日ツイッターでいくつか見たのは、もう新潮社の製品は一切書店に置かないという書店を紹介した記事である。新潮社の発行する「新潮45」の編集方針への怒りが、新潮文庫やその他の出版物への不買運動・不売運動にもなろうとしている。確かに、それらの運動は政治力学として新潮社への圧力にはなるだろう。しかし、新潮文庫には素晴らしい作品がたくさんある。これらを書店に置かなくなったら書店はその代わりに何を置いてくれるのだろう。

  新潮文庫にはチェーホフの神西清訳の「桜の園」や「かもめ」などの4大戯曲がある。若者がチェーホフを手に取るには廉価の新潮文庫は欠かせなかった。福田恒存訳のシェイクスピアの一連の作品もそうである。「欲望という名の電車」や「ガラスの動物園」などのテネシー・ウイリアムズの戯曲も新潮文庫で読んだ。小説もたくさん出しているが、戯曲がたくさん出ていることは新潮の特徴でもあった。ただでさえ、書店がどんどん減っている状況の中で、さらに本から大衆が遠ざかる事態になるのか、と思うとため息を吐かざるを得ない。「新潮45」に怒り、抗議する人々の思いはわかるが、人びとが本と出合う機会が減るとしたら、残念なことである。