「<近代の超克>新論」への素人的感想二つ

 令和元年・2019年神無月5日(土)、明治大学駿河台校舎研究棟にて合澤清主宰現代史研究会が開かれ、ライプツィヒ大学名誉教授小林敏明の講演「<近代の超克>新論―京都学派を中心に」を聴いた。事前に合澤氏の講演予告助言に従って、講談社学術文庫の廣松渉著『<近代の超克>論 昭和思想史への一視角』と小林敏明著『廣松渉――近代の超克』を一読しておいた。
 小林敏明氏の肉声による解説を聞いて、両書の理解が非哲学的凡人の私にも深まった気がした。ここでは、氏が指摘しなかった所に重点をおいて論じる。 

戦争主役の時代
 会場で私=岩田は、二つの私的感想を小林氏に開陳した。
 一つは、昭和17年・1942年における昭和前期知識人サークルによるいわゆる<近代の超克>論議が戦争の時代における思想的努力である事。戦争の時代とは、単に大東亜戦争開戦期という具体的歴史時間と言うよりも、戦争が歴史の主役、戦争が文明文化を牽引すると観念されていた時代である。
 廣松渉は<近代の超克>を議論するに、この事実をきちんと押さえている。「・・・、昭和の初年には日米戦争の将来的不可避性ということが絶対確実な規定の事実として人々に意識されていた。当時の常識では戦争というものは謂わば自然法則的な必然であって、特定の一国が世界支配を達成するまでは、永久に繰り返されるものと思い込まれていた。」(p.158)ここから、「世界最終戦争」としての「日米最終戦」や「日独最終決戦」なる観念が生まれていた。
 昭和前期の思想軍人橋本欣五郎・石原莞爾等は、この世界最終戦争を次のようにイメージしていた。「・・・立体戦が世界最終戦になる。そのときは人類文化は極限にまで発達する。極限文化が生み出す殺戮兵器はこれまた極限に発達する。・・・航空機や科学兵器は、無着陸で地球を一周し、一個の爆弾でよく数百万、数千万人を殺戮するようになる。この極限文化時代の戦争は、前線と銃後の区別はない。・・・・・・。戦争の絶滅は人類の悲願だ。だが世界の歴史は、人間の平和の願望や国際条約や倫理道徳や宗教の観念では戦争を防止できぬことを立証している。真の平和は、最終的世界大戦を経て、世界と人類が一つに統一されてはじめて達成される。」(p.160)「世界最終戦はアジアとヨーロッパの決戦である。その時期は、ヨーロッパの文化と頭脳がアメリカに集中し、アジアの文化と頭脳が日本に集中したとき、そのときは東西の科学者はほとんど同時に極限兵器を発明している。大戦はいま(昭和五年当時)から四十年あるいは五十年以後に起こり、二十年ないし三十年は続くだろう。」(pp.160-161:強調は岩田)
 私=岩田は、廣松渉が昭和前期知識人の<近代の超克>論を昭和前期思想軍人の<世界最終戦>論と交叉させて検討していた事に廣松哲学のリアリズムを実感した。「ヨーロッパの文化と頭脳がアメリカに集中し、アジアの文化と頭脳が中国(と日本)に集中し」つつある令和の今日、米中(or中米)対立を世界最終戦=人類文明崩落に帰着させないために、あらためて<近代の超克>を思索する事に実質的意味があるようだ。 

 小林敏明氏は、廣松渉の「公開の遺言メッセージのようなものだと解釈してまずまちがいない」(p.175)朝日新聞に発表された一文を引用する。「新しい世界観や価値観は結局のところアジアから生れ、それが世界を席捲することになろう。日本の哲学屋としてこのことは断言してもよいと思う。・・・・・・。単純にアジアの時代だと言うのではない。全世界が一体化している。しかし、歴史には主役もあれば脇役もいる。将来はいざ知らず、近い未来には、東北アジアが主役を勤めざるをえないのではないか。・・・・・・。日中を軸とした東亜の新体制を!それを前梯にした世界の新秩序を!」(pp.174-175
 廣松渉がこう宣言してから、すでに四半世紀がたった。現在、世界の主要な経済活動はすでにアジアに移っている。21世紀央の経済力順序は、第一位中国、第二位印度、第三位米国、第四位インドネシアであると予測されている。東北アジアだけでなく、南アジアも東南アジアも世界の秩序形成者となるだろう。 

キリスト十字架像から釈迦涅槃図へ
 もう一つの私的感想をここで述べるとしよう。すなわち、このように廣松個人の視界を超えて、<近代の超克>を思念するとどうなるであろうか。私=岩田は、ヤスパースの語る枢軸時代Achsen Zeitを想起せざるを得ない。その時代、相互に没交渉に、東西文明の創始者が誕生した。私達の東洋文明の創始者は釈迦であり孔子である。西洋文明の創始者はソクラテスでありイエス・キリストである。私=岩田の直観によれば、文明創始者達の夫々に深く広いであろう思想信条の中味よりは、文明創始者の死に様、死にかたの方が夫々の文明の方向性により深く影響しているように思われる。
 釈迦は、紀元前6世紀の人、仏教の始祖。釈迦の死は入滅と呼ばれ旅の道中に病気で死す。80歳である。涅槃図にある如く、村人常民、弟子達に見守られるだけでなく、近在の動物達もまたあつまり、釈迦の入滅に泣いている。
 孔子は、紀元前6世紀から5世紀の人。林復生著『孔子新伝』(新潮社、昭和58年・1983年)によって孔子の往生の様子を記す。「・・・生命の泉が自分の中から退いて行くのを感じた。孔子は静かに、七十二年(74歳説有力:岩田)の生への別れを告げる歌を唱い出した。・・・。子貢の姿を見ると、待ちあぐんでいた、と言い、死期の遠くないことを語った。その日から病床につき、二度と起きなかった。七日後、子貢や他の弟子にみとられながら、孔子は息を引取った。弟子たちは声を失して泣いた。」(p.202
 このように、私達東洋文明の始祖達の死は、自然死(老病死)である。そして共に長寿であった。
 ソクラテスは、紀元前5世紀後半、ペロポネスス戦争時代のアテネ人哲学者。ポリスの裁判によって毒杯による死刑を宣告され、弟子達による逃亡・亡命の勧めを拒否して刑死した。
 イエス・キリストは、紀元前後に生まれ、パレスティナのユダヤの地で新宗教家として行動。紀元30年頃、十字架はりつけ刑にて死す。
 このように、西洋文明の始祖達の死は、不自然死(刑死)である。青年期、あるいは壮年晩期の突然死であった。そんな西洋文明の一角、プロテスタン的西欧が革命的に近代資本主義、近代科学技術文明を開拓した。
 自分の思想と理念のために刑死をいとわぬ不自然死文明は、革命的社会変革の時代を切り開いた。理念に殉ずる者は、反理念=反革命に厳しい。チャールス一世とルイ十六世夫妻は斬首され、ニコライ二世一家は銃殺された。国王ではなかったが、共産党王の如くに統治したチャウシェスク夫妻も亦銃殺された。
 それに対して、東アジアにおける近代革命的変革は、徳川家、李王家、愛新覚羅家を刑死させていなかった。自然死文明の慣性が効いていたのであろう。
 私達日本人は、明治維新以来必死になって西欧北米の近代文明を輸入吸収に努力した。そのプロセスで自然死になじむ人生観に不自然死の革命的意味を努力して納得させた。釈迦涅槃図に親和する個人的かつ社会的心性に十字架イエス像の、その惨虐を感じるのを抑制し、その思想的・「人類普遍的」意味を受容するように一世紀半努力して来た。
 今日、私達は、大上段に構えなくても、<近代の超克>を自然体で深く考え、かつ少しづつ行なえる時代にいる。それは、不自然死文明の到達水準である<近代の超克>であるだけでなく、自然死文明が創成出来なかった<近代の再生産>でもあろう。そして、かかる<超克><再生産>の主導性は、自然死文明の自覚にあろう。勿論、東北アジアに限定されない。    
 そうなると、欧米諸語を活用する、あるいは中国語を活用する知識人達だけでは不可能な事業であり、韓国・朝鮮語、ベトナム語、ビルマ語、タイ語、印度語諸語、インドネシア語等によって思考され書記される大東亜諸地域の新興オリジナル諸思想を吸収出来る諸多の知識人の群生によって始めて可能となろう。<近代の超克>とはそんな大事業だ。
</s 私=岩田のように、外国語といえば二三の印欧諸語しか知らない者の出番はなかろう。

令和元年10月13日(日)

 

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