「時間文化集団」から考える「年号」尊重論

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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二昔前ある旧帝大系研究所で研究者総会が開かれた時、議長を務めていたリベラル文化人の所長が「諸氏は世界に開かれる市民社会をとよく言われるが、学内の文書で年号を抵抗なく用いているではないか」と多くのリベラル的・左派的研究者の非一貫性に苦言を呈したことがあった。資本主義への左派的批判者と言う点では人後に落ちない私(非常勤メンバーであった)は、「はい」と手をあげて、「私は年号に賛成する者です」と公言した。年号をやめて、西暦を使用するだけでは、特定の世界に開かれるだけで、多様な諸社会に向って開かれるわけではない。日本の諸大新聞は、西暦(年号)、あるいは年号(西暦)のスタイルをとっている。私の希望する所は、せめて大新聞が年号(西暦=キリスト暦、イスラム暦、仏教暦、・・・)の形式を採用することであった。

平成9年(1997年)4月、千葉大学社会文化科学研究科の科長として大学院入学式で次のように挨拶をしめくくった。「平成の時代を、西暦21世紀を、イスラム暦15世紀を、仏教暦26世紀を人類社会に名誉ある地位を占める民族として、個人として、研究者として生きて行きましょう。」(千葉大学『社会文化科学研究』第2号)

ところで、今年の10月に半月ほどポーランドとセルビアを旅行したところ、ベオグラードで百年前の珍しい古本に出会った。セルビア王国の『国家カレンダー 1914年』である。パラパラとページを開いて見ると、驚いたことに私の希望がすでに実現されていたのを発見した。もっとも、聖書世界の多元性の彼方は、当時、視野の外であったが。『国家カレンダー 1914年』の第2頁に自分達のキリスト暦とイスラム暦、そしてユダヤ暦との月日対照表が掲載されていた。

諸例を示しておこう。

イスラム暦               西暦

1332年               1914年

サフェル        16日     1月    1日

サフェル        29日     1月   14日

レビユルーエヴェル    1日     1月   15日

レビユルーエヴェル   30日     2月   13日

レビユルーアヒル     1日     2月   14日

レビユルーアヒル    29日     3月   14日

ジェマジユルーエヴェル  1日     3月   15日

ジェマジユルーエヴェル 30日     4月   13日

ジェマジユルーアヒル   1日     4月   14日

ジェマジユルーアヒル  29日     5月   12日

ジルヒジェ        1日    10月    7日

ジルヒジェ       29日    11月    4日

1333年

ムハレム         1日    11月    5日

ムハレム        30日    12月    4日

サフェル         1日    12月    5日

サフェル        27日    12月   31日

ユダヤ暦                西暦

5674年               1914年

テベト         16日     1月    1日

テベト         29日     1月   14日

シェバト         1日     1月   15日

シェバト        30日     2月   13日

アダル          1日     2月   14日

アダル         29日     3月   14日

エルル          1日     8月   10日

エルル         29日     9月    7日

5675年

ティンリ         1日     9月    8日

ティンリ        30日    10月    7日

・                                                                                                         ・

キスレフ        29日    12月    4日

テベト          1日    12月    5日

テベト         25日    12月   31日

また、セルビア公国の『カレンダー・年鑑1870年』を見ると、第1頁に「東方教会計算によると今年は世界創造より7378年、西方教会では5819年、ユダヤ教では5631年。」と提示されている。セルビア王国の『年鑑・カレンダー 1891年』によると、それぞれ7399年、7607年、6652年となっている。21年後の数値としては、東方教会は丁度7378+21=7399となって整合性があるが、西方教会とユダヤ教に関しては全く不整合である。不思議である。それはさておき、私は、ここには様々な自分とは異なる時間文化集団を尊重する姿勢が見られることを高く評価したい。

現代日本の市民社会人が様々な時間文化集団を黙殺するような年号否定・西暦唯一論に陥るとすれば、それは世界に開かれる扉を半開きにするようなものであろう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1058:121101〕