「東日本大震災と菅政権のまずい対応」

著者: 伊東恵介 いとうけいすけ : 経済学者
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 3月11日、三陸沖を震源とする大地震(マグニチュード9.0の国内最大級)があり、超巨大津波もあって、死者は万単位の大災害となった。

 このたびの東日本大震災により被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 しかも観測史上国内最大という巨大地震によって、東京電力福島第一原子力発電所が被害を受け、“緊急事態”として国に報告され、その後、原発爆発、建物損傷、冷却不全等々、損壊連鎖が起こり、高濃度放射性物質が外部に漏れたため、周辺20~30キロ住民の退避指示が出された。

 今回の大災害ではとくに、①後手に回る政府の“危機管理”、②エネルギー行政の不備、③情報公開の正確・迅速性の欠如、④原発の「安全神話」崩壊、などでの問題点が目に付いた。

<後手後手の危機管理>

 まず緊急事態への対処として、首相はいうまでもなく、経済産業相、資源エネルギー庁、東電等々、関係者・部局の対応のまずさに不満がくすぶっている。

 基本的には、今回のように大地震、巨大津波、原発爆発、放射性物質の放出と、住民避難、農産物被曝、度重なる余震、・・・と危機レベルがどんどん上がっていく場合、最悪のケースを想定するのが「危機管理」のイロハであろう。しかるに大津波での壊滅的被害、原発危機と、未曾有の国家的危機にもかかわらず、菅政権は右往左往するだけの後追いの対応で、危機回避に向けた立ち上がりが遅すぎ、「危機管理」はまったく後手に終始した。首相官邸の態勢や、東電、監督官庁との連携も不十分で、政権と東電の相互不信は、原発対応にとどまらず、「計画停電」をめぐっても露呈した。また経済産業省の原子力安全・保安院は、東京電力を監視する立場にありながら、今回はまったく当事者能力を欠き、有事への備えも怠って、事故対応の鈍さが目立った。避難指示にもぶれが出て、米国の退避勧告範囲が原発80キロ圏外なのに対し、日本の避難指示は当初の半径10キロから20キロに拡大、さらに屋内退避が20~30キロ圏に指示を拡大するなど、日米両国政府間での大きな食い違いや、避難所の度重なる移転(安全地域への変更)、物資不足(食料品等供給難)等々、国民に大事な避難指示への対応の不手際がみられた。

<エネルギー政策の失敗>

 次にエネルギー政策の失敗、エネルギー戦略の崩壊がいわれている。“地震国”でありながら、しかも戦時に広島・長崎の原爆被害の悲劇に合いながらも、日本各地に原子力発電所を設置して、原子力エネルギーへの傾斜を強めてきたことに、反省の余地はないのか。

 原発は、事故や災害が起きれば多数基が一度にダウンし、運転再開までに時間がかかるので、電力供給の不安定を招きやすい。にもかかわらず原発を作り続けてきた経済産業省・電力会社の責任は重大であろう。もし原発事故によって電力不足が首都圏で続けば、日本経済への影響は計り知れない。今回の大震災に始まった原発事故による深刻な電力不足からの「計画停電」と、交通混乱、物不足への買いあさり、そして放射能汚染のひろがり、・・・と日本のエネルギー政策の誤りを露呈する現象が日々繰り返されている。

 しかも規模の大小はともあれ、地震の頻発する日本で、過去の経験・異常時(エネルギー不足や、原発危機)への対処法など教訓が生かされておらず、ただ手探りの原発修復と、電力不足への無理な「計画停電」の強行、・・・と、市民生活のみならず、交通機関や病院、企業・商店、あらゆるライフライン、そして経済・産業全般にわたって、原発事故による波紋がひろがり、日本全国に不安を高めている。

 「計画停電」は今夏・冬も続くという見通しが示された。しかし地域別のグループ分けによる停電「計画停電」が果たして最善の策といえるのだろうか。この実施によって、交通も、工場も、商店も、したがって市民生活も大混乱をきたしていることは確かである。思い起こすと第四次中東戦争時(1973年)に、アラブ産油国によるイスラエル支持国への石油輸出禁止に伴う石油不足と原油価格高騰によって、世界経済、日本経済は悪化し、“第一次オイルショック”となった。その時もガソリンがなくなり、カー・ナンバーの奇数・偶数別給油、ネオンサインの自粛、テレビ放映時間の短縮、エスカレーター抑制、その他省エネの徹底等々で難局を乗り切ったという経緯があるが、その教訓が生かされているようには思えない。

 すでに産業界からは、企業などの大口需要者の電力使用量を減らしてもらうという「総量規制」への転換を求める声が出ている。その方が企業活動の計画が立てやすく、石油危機当時にも実施した節電を徹底する手法とみられる。今回の「計画停電」では、停電想定時間が毎日変わり、停電が実際にあるかどうかも直前までわからないため、経済界からは「企業活動に影響が出る」と悲鳴があがっており、停電それ自体が生活や経済活動に打撃となっている。第一次石油危機直後の1974年1月には大口需要者の電力使用を制限した例もあり、ネオン消灯、テレビ放映時間の短縮、エスカレーター抑制、操業短縮等々、節電効果の大きい手立てはいろいろあるはずだ。経済産業省資源エネルギー庁と東京電力によるにわかづくりの対応には多くの疑問が残る。

<情報提供への不満>

 情報公開(公表)に関しても不満が多く聞かれる。「真の情報(真実)が伝わっていない」、「迅速・詳細・正確な情報を」といった声も多く、情報公開の遅れも目立った。とくに原発事故と、それに伴う放射能汚染では、測定値など原データの公表が不十分で、事故の全貌と、真実が明らかにされていないのではないかなど、研究者、専門家などからの政府批判が相次いでいる。

<原発“安全神話”の崩壊>

 最後に、今回の原発事故によって、「原発では大事故は起きない」といわれてきた“安全神話”は完全に崩れた。東京電力福島第一原子力発電所において、次々と想定外のトラブルが発生した。6基ある原子炉のうち、1号機から4号機までの計4機の原子炉が軒並み爆発するという原発“損壊の連鎖”が起こった。

 原発事故による影響は一気に拡大し、農産物被曝、水・土壌汚染とひろがりをみせている。かかる緊急事態に放射線対策のずさんさが目立ち、まさに「原発立国」は岐路に立たされたといえる。大気・水質・土壌への放射能汚染があまりにも広域に及び、農・水産物への深刻な影響が懸念されることは、国民の生命・安全・安心に関わる基本線であるだけに、原子力発電への不信は払拭できない。

 改めて「原発は安全か」の論争が再燃し、エネルギーの基本政策見直しが迫られ、国の責務が問われている。

 それとともに今回の大災害が東北のみならず、東京・横浜も含む広域なものとなったことから、東京一極集中の弊害も懸念され、「首都移転」構想も俎上にのぼることが期待される。

 それにしても今回の大震災は何の気配・前触れ・予知もなく、突如襲われたことで、まったく役立たなかった「地震予知」の‘無知’を痛感した。それにひきかえ消防、警察、自衛隊などの大活躍には頭が下がり、大いに感謝した。

 ともあれ一日も早い復旧(とくに原子炉の安全終息等)と皆様のご健康を心からお祈り申し上げます。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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