「校庭利用基準20ミリシーベルト」を考える

著者: 宇井 宙 ういひろし : ちきゅう座会員
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 文科省が先月19日、福島県内の学校の校庭における年間被曝線量限度を20ミリシーベルトと決定したことが大問題となっている。改めてこの問題の経緯を振り返ってみよう。

 福島県内の児童に許容される年間被曝線量について、文科省は4月9日、原子力安全委員会に「相談したい」と依頼を行い、その後数回議論が行われた。そして同月19日午後2時すぎ、政府の原子力災害対策本部が安全委に「福島県内の学校等の校舎、校庭等の利用判断における暫定的考え方(案)」に関する助言要請を行ったのに対し、安全委の5人の委員のうち、福島第一原発に派遣中の小山田委員を除く4人が午後3時頃から約1時間審議を行い、2つの留保事項を付した上、上記「考え方(案)」は「差支えありません」との回答を行った。小山田委員に対しては電話で了解を得たとのことであるが、これは正式な委員会でもなく、議事録も残していないという。なお、2つの留保事項とは、「学校における継続的モニタリングの結果について2週間に1回以上、安全委に報告すること」と「学校にそれぞれ1台程度ポケット線量計を配布し、被曝状況を確認すること」である。
http://www.nsc.go.jp/info/20110502.pdf
 そして、上記「考え方(案)」こそ、同日の文科省通達となったもので、福島県の児童生徒が通う学校においては、国際放射線防護委員会(ICRP)のPublication109(緊急時被ばく状況における人々に対する防護のための委員会勧告の適用)に基づき、「非常事態収束後の参考レベルの1-20mSv/時を学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安とし、今後できる限り、児童生徒等の受ける線量を減らしていくことが適切であると考えられる」としており、さらに児童生徒は1日のうち16時間を屋内(木造)、8時間を屋外で過ごすと想定したうえで、年間20mSvにならない許容線量として、屋外を3.8μSv/時、屋内を1.52μSv/時と算定した。そして、校庭の空間線量が3.8μSv/時未満の学校では平常通り校庭等を利用してよく、これを超える場合には校庭の利用時間を1日当たり1時間程度にすることを求めている。

 この文科省の通達も理由のひとつとして4月29日、菅首相自身が内閣官房参与に起用していた小佐古敏荘東大教授が辞任した。小佐古氏は辞任会見の中で、放射性物質の拡散予測データ公表の遅れなどとともに、文科省の決定について、次のように批判した。

 <今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、文部科学省から通達が出されている。これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、その状態は、通常の放射線防護基準に近いもの(年間1mSv、特殊な例でも年間5mSv)で運用すべきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2~3日あるいはせいぜい1~2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するのは、全くの間違いであります。・・・年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです。年間10mSvの数値も、ウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で(せいぜい年間数mSvです)、この数値の使用は慎重であるべきであります。小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。>

 さらに、文科省のこの通達に反対する「福島老朽原発を考える会」など5つの市民団体は5月2日、「放射能から子どもを守りたい」と、国会で「20ミリシーベルト撤回要求のための対政府交渉」を行った。交渉参加団体のひとつである「美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)」によると、その交渉は、まず厚生労働省、次いで、文部科学省、原子力安全委員会と行われたが、政府側の回答は驚くべきものだった。そのプレスリリースから政府側回答の要点を抜き出せば、以下のようなものである。(<>内は以下のサイトからの引用)
http://www.jca.apc.org/mihama/fukushima/pressrel_20110502.htm

 <・ 厚労省は、放射性管理区域(0.6マイクロシーベルト/時以上)で子どもを遊ばせてはならないと発言したものの、放射性管理区域と同じレベルの環境で子どもを遊ばせることの是非については回答しなかった。
・ 原子力安全委員会は、「20ミリシーベルト」は基準として認めていないと発言。また、安全委員会の委員全員および決定過程にかかわった専門家の中で、この20ミリシーベルトを安全とした専門家はいなかったと述べた。
・ 原子力安全委員会は、19日14時頃に助言要請を受け、16時に「20ミリシーベルト」を了解すると回答しているが、この間、正式な委員会は開催されなかったものの、4名の委員が参加する会議が開かれた。これをなぜ正式な委員会としなかったかについては、明確な回答はなかった。
・ 原子力安全委員会は、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーが、「100ミリシーベルト以下であれば、安全」と繰り返していることに関して、「調査し、それが事実ならば対応する」と発言した。
・ 文科省は、屋外活動を許容する「毎時3.8マイクロシーベルト」という基準に関して内部被ばくを考慮していないことを認めた。理由として、ほこりなどの吸引は、全体の被ばく量の2%程度であり、軽微と判断したと説明。しかし、内部被ばくの評価の前提としたデータを示さなかった。>

 労働基準法は「放射線管理区域」における18歳未満の作業を禁じているが、放射線管理区域とは1時間当たりの放射線量が0.6マイクロシーベルト以上となる区域であり、福島県内の小中学校の75%以上でこの管理区域の基準を上回る数値が出ており、今回文科省が平常通りの校庭利用が可能とした毎時3.8マイクロシーベルトは放射線管理区域の基準の6倍以上である。こんなところで小学校や保育園の子どもたちが遊んだり運動したりして安全であろうはずがないから、当然のこととはいえ、政府側は誰一人として文科省の通達が「安全である」根拠を示せなかった。とりわけ驚くのは、文科省が原子力安全委員会からOKをもらったと言っているのに、安全委がそれを否定していることだ。しかし現に、安全委がHPで公開している文科省への「回答」で「差支えありません」と明言している以上、「子供に対して年間20ミリシーベルトの基準は認めていない」などという弁明が通るはずがない。http://www.nsc.go.jp/info/20110502.pdf
 しかし、安全委の担当者が20ミリシーベルト容認を否定したという事実は、安全委自身が、この基準は危険だと認識していることの表れだと言えよう。

 結局のところ、政府側の唯一の根拠は「ICRPの基準」ということ以外何もないことが明らかになった。それではこのICRPの基準は妥当なのか?

 まず最初に指摘しなければならないのは、ICRPのリスク評価は、内部被曝を考慮していないため、大変甘いものであるということだ。矢ケ崎克馬琉球大学名誉教授によると、欧州放射線リスク委員会(ECRR)は1945年から89年までに核実験や原発からの放射線で6500万人が癌などで死亡したと推計しているのに対し、内部被曝を考慮しないICRPは117万人と推計している(「週刊現代」4月23日号)。ECRRの推計値の56分の1である。また、福島原発により癌になる人の数に関する予測でも、内部被曝を考慮しないICRPは約3000人と予測しているのに対し、ECRRは(すでに「原発事故による癌患者の増大は40万人以上――ECRR予測https://chikyuza.net/archives/8340でも触れたように)、今後10年間で20万人、今後50年間では40万人と予測している。ICRPがどのようなタイムスパンを想定しているのかわからないが、10年間とすればECRRの67分の1、50年間とすれば実に133分の1にすぎない。

 このように、政府が最後の頼みの綱とするICRPの基準自体が怪しいものであるが、それ以上に、今回の文科省の決定における最大の誤りは、(ICRPの基準を援用するにしても)「緊急時被ばく状況における人々に対する防護のための委員会勧告の適用(ICRP Publication 109)」を援用したことではないだろうか。むしろ(同じICRPの基準を援用するのであれば)、「長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用(ICRP Publication 111)」を援用すべきであったと思われる。
(*ICRP Publication 109とICRP Publication 111の日本語訳は「日本アイソトープ協会」のサイト<http://www.jrias.or.jp/index.cfm/6,0,76,html>から入手できる。)

 ICRPはPublication 103において、3種類の被曝状況、すなわち「計画被ばく状況」、「緊急時被ばく状況」、「現存被ばく状況」における防護体系の実施に関する一般原則を定めている。「計画被ばく状況」とは通常の原発運転時などにおける被曝状況であり、「緊急時被ばく状況」とは「計画状況の運用中に、又は悪意ある行為もしくは他の予想外の状況によって発生する可能性があり、望ましくない影響を回避もしくは低減するために緊急活動を必要とする状況」のことである。緊急時被ばく状況はやがて現存被ばく状況へと移行すると考えられているが、この移行の特徴は、「主として緊急性に迫られて取られた方策から、居住状態を改善するとともに、状況を考慮して合理的に達成可能な限り被ばくを低減することを目的とした、より分散的な方策へと変更」することであり、「汚染地域内において居住し、もしくは労働することは、現存被ばく状況に当たると見なさる」。ICRPはPublication 109において、年間被曝限度量を事故発生などの緊急時は20~100ミリシーベルト、収束段階で1~20ミリシーベルトと設定しており、政府は今回、事故が未だ収束していないことを理由に、緊急時と収束時の境界の数値にした、としているようであるが、これは大きな間違いであろう。今回、文科省の基準が適用されるのは、事故現場から半径20キロ圏外で、計画的避難区域にも入らない地域の学校である。そこではまさに、人々が長期にわたって生活していかなければならない汚染地域である。そして、そのような地域に人々が居住することを希望した場合に、政府当局が「放射線の潜在的な健康影響に対する防護と、しっかりした生活様式や政経手段を含む持続可能な生活条件を人々に提供する」ことを目的として定められた基準こそ、「原理力事故又は放射線緊急事態後における長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用」、すなわち「ICRP Publication 111」であり、政府が援用すべきはこの基準であっただろう。そして、そこでは、「汚染地域内に居住する人々の防護の最適化のための参考レベルは、(……)Publication 103(ICRP, 2007)で勧告された1~20mSvの範囲の下方部分から選定すべきである。過去の経験により、長期の事故後状況における最適化プロセスを制約するために用いられる代表的な値は1mSv/年であることが示されている」と明記されている。再度引用すれば、「1~20mSvの範囲の下方部分から選定すべき」であり、「代表的な値は1mSv/年」なのである。子どもの放射線感受性は大人の3~4倍と言われており、Publication 111でも「小児や妊婦などの特別なグループにも特に留意すべきである」と明示されているので、「1~20mSvの範囲」の中の最大値を選定するなど到底許されることではない。

 同報告はまた、利害関係者が政策決定の第一線に関与することは、「現存被ばく状況に関する放射線防護方策を策定し実施する上で、きわめて重要なものである」とも述べているので、文科省は早急に、福島県の子どもを持つ親と教育関係者などとともに、許容被ばく限度の見直しを行うべきである。同報告はさらに、「重要な情報はすべて関係者に提供されること、及び情報に基づく決定を目的として意志決定プロセスを追跡できるように記録を適切に文書に残すこと」が強く求められているとしたうえで、「住民による自助努力による防護措置を考慮に入れるべきである」とも述べている。したがって、郡山市などが独自の判断で校庭の汚染された土壌を取り除いたことに対して文科相が「余計なことはするな」などと非難するなど、とんでもない倒錯としか言いようがない。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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