「核なき世界」へつづく苦闘 「8.6」79周年のヒロシマ

 8月6日午前8時前。広島平和記念公園での原爆被爆79周年を迎えた平和記念式典の受付では手荷物検査が行われ、筆者もリュックの中身を開けるように指示され、水を入れたペットボトルも「一口飲んでください」。「合格」で幅2センチほどの黄色いテープを手首に巻かれた。例年にない厳しい規制だ。
 広島の酷暑は例年以上だ。被爆者をはじめ参列者が座る会場は大きなテントで埋め尽くされ、後方からは正面の慰霊碑と演壇は見えない。仕方なく、向かって右前方、峠三吉の碑の近くに置かれたモニターで平和記念式典を見守る。

 松井一実市長の「平和宣言」。戦後否定された「教育勅語」には良いところもあると言い放ち、パールハーバー「国立記念公園」と広島平和記念公園の姉妹協定に踏みきった市長。ただ、平和宣言では「核抑止」への依存からの転換を謳い、日本が核兵器禁止条約へのオブザーバー参加と締約国になることを主張。さらに、在外被爆者を含む被爆者支援策の充実を求めた。この間、市民から自身に対する批判が強まるなかで、核問題の一丁目一番地では「ヒロシマの良心」を演じたということなのか。

 一方、岸田首相の挨拶は核拡散防止条約(NPT)体制の強化を通じて核軍縮への機運を高める――と従来通りの姿勢表明に止まった。
 いま、この時もウクライナで、パレスチナで戦火は已まず、多くの犠牲者が出ている状況下の8.6。グテーレス国連事務総長はメッセージで「核による威嚇は容認できない」と非難した(中満泉事務次長が代読)が、会場に緊迫感はなかった。

 こども代表の「平和への誓い」。広島市内の小学校の男女児童による朗読には毎年、新鮮な感動を覚える。今年も「緑豊かで美しいまち、人でにぎわう商店街。まちにあふれるたくさんの笑顔。79年前の広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました」と澄んだ声が平和公園に響きわたった。そして1945年8月6日、原爆に焼かれて「助けを求める声と絶望の涙で、まちは埋め尽くされ…ある被爆者は言います。あの時の広島は『地獄』だったと」。

 その通りだ。が、ちょっと待てよ、と私の内なる声が聞こえた。「笑顔あふれる美しいまち」広島には当時、中国・朝鮮を侵略する帝国軍の軍需工場がたくさんあった。強制徴用された多くの朝鮮人がそこで働かされていた。米軍は三菱重工などの兵器工場を擁する軍都を破壊するため人類史初の原爆を広島に投下した。その結果、街は生き地獄と化した。そうした事実を直視しないまま、原爆がもたらした地獄絵図を語ることは「歴史」の教訓に目をつぶる生き方を許すことになるのではないか。

 さらに言えば、いま広がる戦火は「日米軍事同盟」化を強め、沖縄・南西諸島の基地化を進めて、やがて日本各地の港湾や工業地帯が軍の拠点となり、もし戦争に巻き込まれればそれらは核攻撃の標的になる可能性がある――。そうした危うい現実から目を逸らさず、「ヒロシマの真実」とは何なのかを、こどもにしっかりと教えることが今こそ求められているのではないか。
 「暗黒戦争」と「明朗平和」の対比は確かに分かりやすい。が、「誓い」を読む子供たちが成長し、「歴史の責任」を踏まえて世界平和を発信するようになるのか、少し心配だった。

 そんな気持ちを抱えて、午後には注目していた集会に参加した。
 シンポジウム「世界の核被害と連帯するために」は、袋町の広島市まちづくり市民交流プラザで開かれた。核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)主催で、今回は来年被爆80周年に「世界核被害者フォーラム」開催をめざす準備会合でもある。
 HANWAは核兵器禁止条約の推進や劣化ウラン弾の禁止などに取り組む森瀧春子さんと、韓国人徴用工被爆者への補償実現に尽力してきた足立修一弁護士が共同代表。核兵器と原発のサイクルを断って、核被害の根絶へ国際連帯ネットワークを築く活動を広げている。

 シンポジウムでは、米国で13年間、反核運動を続けるニューヨーク州の弁護士、井上まりさんが基調講演。「核問題を憂慮する米国の平和団体と市民社会から日本の人々への公開書簡」が示され、米バイデン政権に対して、日本政府に憲法9条破棄を促して軍事予算の増額を求めて圧力をかけるのをやめるよう、また米国が核兵器禁止条約を批准してすべての核保有国がこれに続くよう、多国間協議を開くことを求めた。

 米国の先住民アカマ・インディアン居留区のベトゥーチ・ギルバートさんはビデオ参加。1940年代から50年間も地元で続いたウラン採掘で住民への放射能汚染が広がり、今は若い世代にも癌が広がっていると報告した。ここよりもっとひどくウラン鉱山が放置されている米ニューメキシコ州の先住民ナバホ族の居住区では、1983年に廃坑となったが、それまでに放射性廃棄物貯留池のダム決壊事故で広範な地域が汚染された。同地区から参加したテラシィタ・ケヤンナさんは「鉱山会社による補償はまったくないし、環境回復はまだ途上だ。私たちは故郷を取り戻したい」と訴えた。

 「世界のヒバクシャと出会うユースセッション」の早稲田大学生・高垣慶太さんは、米国の水爆実験で第五福竜丸が被ばくしたビキニ環礁をはじめマーシャル諸島を訪問して被ばくの実態と故郷を失った島民たちの証言を聴いてきた。第五福竜丸のほかにも「千隻を超える日本の漁船と船員が被ばくしたことを、海外の人たちにどう伝えていくか。私たち若い世代が考えていかなくてはならない課題です」。高垣さんの熱のこもる、しかし力まぬ姿勢に、「核なき世界」実現の道を日本と世界の未来世代に託していいな――という実感が湧いてきた。

 加えて、前日の5日に広島平和公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊祭に参列した際、私が指導してきた早稲田大学と韓国・高麗大学の「日韓誠信学生通信使」交流で2015年に学生たちが植えたチョウセンゴヨウ松が、2mを超すほどに成長していることに感動した。「非核を願うヒロシマの心は決して枯れない」と信じたい。
                               (了)
<小田川 興氏の略歴> 
 おだがわ・こう。元朝日新聞ソウル支局長。在韓被爆者問題市民会議代表。早稲田大学アジア研究所招聘研究員。

初出:「リベラル21」2024.08.10より許可を得て転送
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