「核兵器使用は戦争犯罪である。」の表象・観念の未確立――碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから」の論理的帰結

 露烏戦争は、露国の性格付けによれば、戦争ではなく「特別軍事作戦」である。大東亜戦争の前半期、大日本帝国が対中国戦争を「満州事変」、「支那事変」と呼称していたのに似ている。
 最近、その「特別軍事作戦」における露国の劣勢がマスメディアで盛んに伝えられ、同時に露国の核使用予断許されずの声も強い。私見によれば、露国劣勢が続いて、戦争の性格を「祖国防衛戦争」、あるいは「露西亜連邦防衛戦争」に切り換えた時に、核使用の現実性が一挙に高まる。
 それとも、「特別軍事作戦」だからこそ「特別爆弾」を使用するのか?

 昭和27年・1952年8月6日に広島市平和都市記念碑/原爆死没者慰霊碑が建立された。周知のように、碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから」が刻まれている。
 日本の原水爆/核爆弾禁止運動は、この碑文精神を基本にして展開されて来たと判断できる。そこに欠落していたのは、原爆使用者がジェノサイド犯罪者、ホロコースト(大焼殺)犯罪者、一言で表現すれば、最悪極悪凶悪の戦争犯罪人であると言う表象・観念であった。
 大日本帝国は、中華民国を侵略した。そこで南京虐殺や重慶無差別爆撃等の戦争犯罪を犯してしまった。大日本帝国は、真珠湾奇襲攻撃で太平洋戦争、すなわち大東亜戦争の後半期・対米戦争を開始してしまい、フィリッピン等で数々の戦争犯罪を犯してしまった。その責任を痛感せざるを得ない主体状況の中で展開された原水爆禁止運動であったが故に、核兵器の反人類性の強調は出来ても、その使用者の戦争犯罪者性を訴える点でまことに弱かった。戦勝国アメリカを敗戦国ナチス・ドイツと並ぶジェノサイド国家、ホロコースト国家であると断罪することは、法理の示す所であっても、政治的に、かつ社会心理的にタブーとされた。
 その結果、今日核兵器を保有する第二次世界大戦の戦勝諸国には、核兵器の使用=最悪極悪凶悪の戦争犯罪であると感じさせる内発的社会心理が全くないように見える。
 したがって、同じ戦勝国である旧ソ連の継承国露西亜連邦の国家指導者が、核使用を平然と口に出す事が出来る。しかし、毒ガスや細菌兵器の使用は公然と口に出せない。理由は簡単である。前者の使用者には戦争犯罪人観念が全く刻印されておらないからである。後者の使用者にはそれが強く刻印されているからである。

 第二次大戦後の戦争責任・犯罪追及が敗戦諸国の責任者・犯罪者に片寄り、戦勝諸国の彼等を殆ど不問にして来た結果、21世紀今日、戦勝諸国間の核戦争直前状態を招いてしまったとも言えよう。

                            令和4年10月13日(木)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion12462:221016〕