今年の「歌会始の儀」の歌題は「和」であった。「朝日」朝刊(1月20日)に発表された天皇、皇后、皇族、選者、入選者二七人・二七首を読むと、「和」字を様々な含意で詠み込んでいるが、圧倒的多数は、詠み人の個人生活に即して発現する、あるいは滲み出る「和」である。いわば、私和である。
そんな諸個人の生活構造全体=大切な私和総体を破壊してしまう戦争に対しての否認語としての「和」、すなわち「平和」は、皇后陛下と京都府小池弘実氏(21才)の二首にのみ詠まれていた。専門歌人6人の中で一人内藤明氏だけは、戦争を素通りしていないようだ。
広島をはじめて訪(と)ひて平和への深き念(おも)ひを吾子(あこ)は綴れり
目を瞑り一分間を祈るとき皆が小さき平和像なり (強調は岩田)
上記双首は共鳴し合っている。皇后の吾子と小池弘実氏は、年齢的に姉弟の関係に当たる同世代人である。この世代は、油断すると勃発して日本を巻き込んでしまうかも知れない世界戦争の最大の犠牲者となる可能性がある。国民皆が念ふべし、祈るべし。
海山の怒りの風を和らぐる言葉教へよ樹の中の鳥
「海山の怒りの風」を戦争の象形として詠んで良いのであれば、これは平和希求の歌である。
かくして世界平和が揺れはじめている今、皇族に一人、選者に一人、入選に一人、和歌の力で戦争防止を祈念している。
現在、北米西欧市民社会を防衛するという大義の下、烏露戦争がたたかわれている。この戦争が続く限り、北米西欧市民社会を防衛するという同じ大義の下、倭(和)漢戦争が画策される確率はかなり高い。
ここで、私=岩田は、心情大和(やまと)の理論左翼たる大和左彦として一首を詠む。明治天皇の御製を想い起こし、次いで一首。
よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
大戦(おおいくさ)あな許すまじ大和彦(やまとひこ)その名のつとめ胸に刻(きざ)まむ
「大戦」は世界戦争、「大和」(たいわ)は世界平和。従って、日本人は「やまとびと」として世界平和人である。その名にかけて平和をつくる。令「和」の御代の語呂合わせにすぎないと言うなかれ。1999年・平成11年、市民的価値の大義の下、国際法を堂々と侵犯してNATO大空爆=対セルビア侵略を敢行した国際市民社会が自己批判を零0にして、プーチン侵略だけを無限大∞に批判する21世紀の20年代、上記一首は真面目な反戦祈念であると受け取っていただきたい。
令和6年・2024年衣更着3日 岩田昌征/大和左彦
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