「琉球弧の自己決定権の樹立へ」を受けとめる

二〇一〇年五月一四日から一六日にかけて、普天間基地包囲行動をはじめとする集会や行動の現場で、私たちが受け取ったのは、B4黄色い紙の片面に印刷された一枚のビラであり、そのメッセージだった。反転したゴチック活字の横見出しに「琉球弧の自己決定権の樹立へ」。メール・アドレスの記された署名は「『琉球弧の自己決定権の樹立へ』有志連合」とある。

〇八年五月、私たちは、沖縄の良心と知識を体現する人々とともに、そのささやかな一端を担って、那覇で「来るべき〈自己決定権〉のために 沖縄・アジア・憲法」と題するシンポジウムを開催した。この企画自体が、沖縄、日本を含む東アジア、さらには世界的規模での歴史の転換の兆しに促されたものであった。米国が行った西アジアにおける侵略戦争と、マネー経済、つまりは米帝国主義の単独覇権と新自由主義・グローバリズムの行き詰まりは徐々に明らかになり、それに代わって、貧しく、しいたげられた人々多数の意思が社会を動かす時代がはじまりつつあった。続いて現れた米国発世界金融恐慌と恐慌的大不況はこの事態をさらに明らかにした。だから日本における〇九年八・三〇政権交代と、鳩山連立政権の成立はその変化を示すものとして期待された。すでに辺野古新基地建設は、現地阻止行動の積み重ねによって、いったんは頓挫に追い込まれていた。これをさらに、普天間基地撤去、辺野古新基地建設阻止、高江ヘリパッド建設阻止に向かって、鳩山政権が踏み込むこと、同時に日米地位協定、さらには日米安保体制そのものの見直しに向かうことが期待されたのである。一〇年一月名護市長選挙における新基地建設反対を公約とした稲嶺進候補の当選は、この動きをさらに後押しした。しかしその後鳩山政権は、米国政府と日本の「日米同盟護持」勢力の圧力の中で迷走を繰り返し、ついに、「辺野古回帰」五・二八日米共同声明を決定するにいたった。沖縄の人々は、押しとどめることのできない怒りとともに、これを再びの「屈辱の日」とうけとめた。「有志連合」のメッセージは、この鳩山政権の破綻と屈服、琉球弧への米軍基地押しつけが強行されようとし、これへの抵抗の闘いが続けられる中で発信された。したがって、米日合作による琉球弧への軍事支配、なかんずく日本国家と国民に対する容赦のない批判と、苦闘の中で着実に進む沖縄の人々の闘う展望のメッセージが込められている。私たちはこれを正面から受け止める。

批判の一つは、日本戦後国家成立の条件そのものの中での沖縄の配置に関わることである。戦後日本国家と今日の「日米同盟」に関連して、『集団的自衛権とは何か』(豊下楢彦)は次のように述べている。

「マッカーサーは、占領を円滑にするうえで昭和天皇の「権威」を利用するために、天皇制の維持に執念を燃やした訳であった。しかし、天皇制を残すことについて国際社会の了解を取り付けるためには、日本の非武装が不可欠の前提となった。この意味で、憲法九条と一条は“ワンセット”として位置づけられたのである。しかし実は軍事的なレベルでみると、マッカーサーにあっては日本の非武装は沖縄の米軍支配と表裏の関係にあった。」(p225)

「つまり「戦後体制」とは、憲法体制においても安保体制においても、沖縄の犠牲の上に成立してきた「体制」に他ならない。」(p227)

もうひとつは、やはり戦後日本国家が、「アメリカ」を内面化していく中で沖縄を排除する構造の問題である。60年安保改定以後の日米安保・沖縄を論じて、長崎浩さんは「60年安保闘争・国民革命が排除したもの」として「岸、ブント、沖縄」を挙げているが、同時にそれは「安保と米国を忘却、内面化」するものでもあったとしている。(cf.『情況』10年6月号『アメリカ、アメリカ』)

一方で、現在に至るまでの沖縄における闘いの持続がある。他方、戦後日本国家批判としての全共闘・反戦運動はまさにこの安保の忘却とアメリカの内面化を問うものでもあったのではないか。70年安保闘争と72年沖縄「復帰」=再併合以後にこそヤマトにおけるその持続と、今日的な転質が問われ続けてきたはずだ。これが重たい宿題として今も私たちの目の前にある。

二つながらに沖縄の位置からする、戦後日本国家への批判である。わたしたち日本列島住民=市民にとってはどうか?六〇年代末以来の戦後民主主義批判を私たち自身の生活と経験からさらに深めること、改憲攻撃に抗しながら九条の選びなおしを通じて、東アジア、さらに世界のレベルにむかって日本国家そのものを開くこと、これが戦後日本国家批判をさらに推進するための、私たち自身の課題である。これは当然にも、その成立に際して『琉球処分』を行った日本近代国家への批判へと向かうものである。

この観点に立って、「問われているのは、沖縄自身の思想と実践の射程である。アメリカの影の下にドメスティックな安全と安心を享受し、アジアからの視線を封印した日本の〈外〉を想像し創造することができるのかどうかである。」という「有志連合」のメッセージを日本列島住民=市民の立場から受け止める。

さらにその実践のために、広範な市民運動としての「沖連」の立ち上げを呼びかける。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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