「美しき魂」の挫折が現実との新たな対決(実践活動)になる

著者: 合澤 清 あいざわきよし : ちきゅう座会員
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書評『青い花』ノヴァーリス作 1802年 青山隆夫訳(岩波文庫)

イントロ/ドイツ・ロマン主義

この本の原題は、“Heinrich von Ofterdingen”(ハインリッヒ・フォン・オフターディンゲン)という。

何年かぶりにこの本を繙いてみた。なぜ、今、この本を手に取ろうと思い立ったのか。多分に暑さのせいだろうと思う。もちろん、ここに書かれた物語に特に新鮮味は感じなかったのだが、それでもいくつか思いを新たにする点はあった。

まず、この物語の舞台がチューリンゲン州のアイゼナハ(Eisenach)であり、主人公(ハインリッヒ)が旅をして向かう先が母親の故郷であるバイエルン州のアウグスブルク(Augsburg)であることを再確認した。

アイゼナハという町は、これまで何度も訪れたことのある古い町で、城門から中へ一歩入ると、右手前方の植え込みの中に、マルチン・ルターの立像があたりを睥睨するように立っている。ルターは神学者というよりは、むしろ政治家といった風貌で、いかにも宗教改革に驀進する者の剛直さがうかがえる。

またここはヨハン・セバスチャン・バッハの生誕地で、その家宅址が「バッハ・ハウス」という小さな博物館になっている。ついでに触れれば、バッハと言えば、普通にはライプチッヒの聖トマス教会専属のパイプ・オルガン奏者兼音楽監督として知られているが、若い頃にはドイツのあちこちの教会で主にオルガン奏者として働いている。面白いのは、まだ少年の頃、リューネブルクのさる教会(名前は失念した)で、ボーイソプラノの歌手として歌っていたことがあったのは、あまり知られていないようだ。また、かつての「ドイツ農民戦争」の主戦場だったミュールハウゼンの教会にもその若い時の足跡を残している。

(閑話休題)この地には、有名な古城(Wartburgヴァルトブルク城)が山頂はるかに聳えている。そこはマルチン・ルターが難を逃れながら、新約聖書をドイツ語に翻訳した場所として名高い。加えて、ドイツで最初の学生団体(全学連?)=ブルシェンシャフトが結成されたのもこの城だったし、またヴァグナーのオペラ「タンホイザー」がその題材をとった、「ヴァルトブルクの歌合戦」が行われた場所でもある。

下の市街から専用のバスで、そこまで登ってみると、巌の上に築かれた見事な古城とそこから見下ろす絶景が強烈に印象付けられるのであるが、それ以上に、ルターが閉じこもって勉学に勤しんだ小部屋や、往時、「歌合戦」が行われたというホール(今は、壁一面にその模様が描かれている)など、全てに歴史の重みを感じさせるのである。

もちろん、この町で、1869年に第一インターナショナルのアイゼナハ綱領が採択されたことも忘れてはならない。

アウグスブルクへは、その昔一度きりしか行ったことがなく、記憶もかなりあいまいで、町の記憶よりは、何かで知った知識といった程度のものが残っているだけである。有名な金融財閥のフッガー家の発祥の地で、彼らが貧困対策に建てた、世界で最初の共同住宅(フッゲライ)が残っていたことや、ここで「宗教和議」(新・旧両キリスト教間の手打ち)が行われたのだという程のわずかな知識でしかない。

 

ノヴァーリスは1772年に生まれ、肺結核で亡くなるまでのわずか29年間の生涯を詩人として、また鉱山(製塩)技師として過ごしている。彼はイエナの学生時代に、大学でシラーの歴史の講義を聞き、大いに感銘し、詩人として生きたいと思って、シラーに直に接触したそうである。その時シラーから、何か専門の職を持ったうえで詩を書くほうが良いと勧められ、父親がやっていた鉱山(製塩)技師の仕事を引き継ぐため、鉱山専門学校で学び、資格を取る。この本の中に、謎めいた老鉱山技師(山師)が出てきて、採掘や鉱脈発見にまつわる神秘的な話を物語る場面があるのは、こういう自己の体験に基づくものであろう。興味深いのは、この老鉱山技師はドイツの神秘的哲学者ヤコブ・ベーメをモデルにしていると言われる。

イエナ大学時代にノヴァーリスは、もう一人の終生の友、F.シュレーゲルと出会っている。今でもイエナ大学の近くに「ロマンチカ―・ハウス」という緑色に塗装された瀟洒な平屋が残っているが、ここにシュレーゲル兄弟が住んでいた(かつてはフィヒテが住んでいた)という。初期のドイツロマン派がここに産声を上げたと言える。

ロマン派については、この本の訳者の注釈(脚注)を引用しておく。

「ロマン派という語が由来するロマン的という語は、ドイツですでに17世紀末に使われた。元は騎士文学に関するものを指していたが、やがて散文的な現実とは反対のもの、詩的、夢想的、憧憬に満ちたものを指す意味が加わり、さらに人里離れた自然の風景を形容したり、また古典古代に対して中世カトリックの生活にのっとるものを意味するなど多義的に用いられた。」(p.333)

 

彼らロマン派はゲーテにみられるような古典派文学の伝統に飽き足りず、それに批判的に対決する。ゲーテの世界は日常性の枠にとらわれすぎている(特に『ヴィルヘルム・マイスター』や『若きヴェルテルの悩み』など)が、彼らは無限性へと飛翔しようとする。実際にもノヴァーリスは、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』への批判を二度にわたって試み、それを機縁としてこの『青い花』を書くようになったという。

 

惟うに、ゲーテがあまりにも常識人=大人であったのに対して(このことはエンゲルスも、詩人ゲーテとヴァイマル大公国宰相のゲーテとの間にあるあまりに大きな隔絶を指摘し、実生活上のゲーテは「俗物」であると批判している)、彼らロマンチカ―は、やはり「フランス革命の申し子」として、その精神を共有していることが大きかったように思う。

もちろん、詩聖ゲーテが、この時代の趨勢に鈍感だったと言っているのではない。ライン河をはさんで、ナポレオン軍と対峙した時の有名な言葉、「歴史は、今、ここに始まる」を思い出すだけで十分であろう。

しかし、フランス革命を理想とし、あらゆる制約からの解放を真剣に願い、それをせめて詩文の中ででも実現しようとする。「自由への無限の渇望」(憧憬)をどう実現するか、これが彼ら若者たちの目指す課題である。この意味では、ヘルダーリンやシェリングやヘーゲルも同時代人であった。

 

ノヴァーリスは次のような断想をシュレーゲル宛に書き残している。

「わたしたちは、宇宙を旅することを夢見ている。だが宇宙は、わたしたちの内にあるのではないか。

わたしたちは精神の深みを知っていない―内に向かって神秘に満ちた道が通じている。ほかならぬわたしたちの内にこそ、永遠とその世界―過去と未来があるのだ」

 

『青い花』の粗筋と神秘主義

この断片から二つのことを連想してみた。一つは、ベルギー人・メーテルリンクが書いたメルヒェン『青い鳥』である。チルチルとミチルの兄妹が苦労して探し求めた幸せの「青い鳥」は、彼方にあるのではなく、実は身近に臨在しているというお話である。メーテルリンクは1907年頃、この本から着想を得て、この寓話を書いたと言われる。

 

今一つは、先にも触れた同時代人ヘーゲルである。彼は『精神現象学』の「Ⅵ.精神」「C.自己自身を確信している精神 道徳性」のc.で「美しき魂」die schöne Seeleについて論じている。その際彼の脳裏にあったのは、弱冠29歳で夭折した2歳年下のノヴァーリスであったと言われる。

先のメーテルリンクの『青い鳥』と、このヘーゲルの「美しき魂」を手引きに、ノヴァーリスと『青い花』について考えてみたいと思う。

最初に、この本の「解説」の中に次のような紹介が載っていたので引用してみる。

「未完のままに終わった『ザイスの弟子たち』に挿入されたメールヒェン「ヒヤシンスとバラ」…青年ヒヤシンスは奇妙な旅の老人の話にひかれ、恋人バラを置き去りにして、万物の根源を解明して女神のヴェールを揚げようと旅に出る。そして放浪の末ついに女神のヴェールを揚げると、胸の中に飛び込んできたのは恋人バラであったと、愛の合一と自己認識との達成とを、美しく象徴的に語って聞かせるものである。」(解説)(p.359)

 

ここでは恋人バラが「青い花」であり、探し求めた「青い鳥」であることはすぐわかる。

ノヴァーリスは、いずれも未完成のままであるが、これと同じような寓話をヴァリエーションを変えながらいくつか書き残している。

この『青い花』の中では、ある日ハインリッヒの夢の中に現れる「青い花」の印象が、彼にとってはどうしても忘れられない強烈なもの、なにか運命的な出会いとして脳裏を離れない。この「青い花」は自分にとってどういう意味を持つのか、このことの探求がこの本の主要テーマである。

 

物語は、母の故郷へ向かう旅路(この小説では時代ははるか遡って、中世期に設定されているため、旅程は山賊などに襲われる危険性をはらんでいる)の途中で出会う二人の不思議な人物(一人は、先ほど触れた、老山師であり、もう一人は洞窟の中でただ一人隠棲生活を送る「ホーヒェンツエラルン」―ドイツ皇帝と同姓―を名乗る騎士)にまつわる出来事、また道中ずっと同伴してくれた商人から聞く珍しい話、さらに、宿をとったある城中で遭遇した、ペルシャの高貴な出の母子(十字軍に捕虜としてつれ来られた奴隷)の哀れな身の上話、等々からなる。

そして、目指すアウグスブルクに到着したハインリッヒは、母方の祖父の豪邸で再び不可思議な体験をする。まず、祖父の親友の立派な身なりの初老の紳士に、初対面とは思えない、かつてどこかで出会ったことがあったような親しみを憶えるのである。記憶の糸を手繰っていくと、この人は、かの洞窟に隠棲する騎士の部屋で見た書物の中に出てくる人物であり、その横にまぎれもなく自分が描かれていたことに気づくのである。この人はまぎれもなく自分の先生であり、保護者だとハインリッヒは確信する。

そしてその夜のパーティの場で、さらなる運命的なめぐり合いが彼を待ち受けている。「青い花」、つまり彼があれほど憧れ、真剣に求め続けたものとの出会いである。それは他ならぬ、彼が自分の「先生」と確信したその老紳士の娘だったのだ。「青い花」の探求はここに一応完結する。

こういう神秘的なメルヒェンがこの小説の粗筋である。先に引用した、「ヒヤシンスとバラ」(あるいは『青い鳥』)と同様なテーマがここでも扱われていることがわかる。

 

しかし50年後に、カール・マルクスによって手ひどく批判されたように、所詮ロマン派は、現実の解放(戦いを通じての自由の獲得)を放棄して、神秘のメルヒェンに逃げ込みながら、ひたすら「観念界」における解放を得たにすぎないと言えるのかもしれない。つまり、フランス革命前の啓蒙主義の時代に、プロイセンのフリードリッヒ大王が宣言したように、「余の命令に従うのであれば、何でも自由に述べ、書くことは構わない」という代物である。制約された奴隷の自由でしかない。

 

「自己意識論」とノヴァーリス

ここで再び、同時代人ヘーゲルと対質しながらこの小論を締めくくりたい。

『精神現象学』でのヘーゲルは、このノヴァーリスのメルヒェンにおける女神(NetあるいはNeithという)の寓話を、他の内に自己を見る(自己意識)と改釈して評価している。以下は、私=評者が非常な共感を持って読んだヘーゲル学者・金子武蔵の翻訳の脚注にある解釈に拠っている。

オイディプスがスフィンクスの謎を解き明かし、スフィンクスを崖から河へと蹴落とすことの意味するところは、人面獣身のスフィンクス自身が、まだ自然(獣身)に取りつかれながら、そこからの解放を求めてもがき苦しんでいたのを解放し、自然の内に自己を見る(生身の自然ではなく、あくまで人間的な自然)、つまりは自己自身を見つめるようにした点にある。

またエジプトのサイスという場所にあると伝えられる女神(ネートまたはナイト)の神殿には、「われは現にあり、かつてあり、今後もあらんとするものなり、わが覆いを取りたるものなし」という銘文が書かれていた。非常な艱難辛苦の末に、やっとそこへたどり着いたある人が、そのヴェールをとることに成功する。彼は不思議の内に不思議を見る。なんと、そこで彼が見たのは己自身であった。

これらが自己意識にまつわるエピソードである。

 

私見では、ノヴァーリスは(メーテルリンクも)ヘーゲルの「自己意識論」レベルにまで達してはいない。そしてヘーゲル自身もそのことを承知している。

ヘーゲルの『精神現象学』の心髄は、意識はあるもの(etwas)に関わる、と同時にあるものは意識の対象へと変じ、意識は対象の知(対象意識)に変ずる、というものである。自然的な「(対象)意識」から「理性」へと移行する意識の経験は、途中で必ず「自己意識」という段階を経るようにならざるを得ない。

先に述べたように、ヘーゲルがノヴァーリスの中に強引に読み込んだのはその「自己意識」であった。しかし、同時にヘーゲルはこれらロマン派の「美しき魂」を「不幸な意識」とも呼ぶ。なぜか?

「美しき魂」たる自己意識が憧れ、追い求め、そして得るのは、先述したごとく、単なる観念上の自由にすぎず、現実遊離の世界での解放の喜びにすぎない。それは純粋であるが、やがて「錯乱されて狂気に陥り、そうして憧れの焦がれにおいて窶れ衰えて溶けるがごとく消えてゆく」(金子訳『精神現象学』下p.994)

自己意識とは、「Ich=Ich」(われはわれなり)の世界であり、それだけでしかない。確かに純粋ではある、しかしどこまで行ってもそこに止まり、展開(Entwichklung)しない。ただただ「憧憬」の世界に留まるのみであり、やがては消失する運命である。外的世界(内面化されながらも、そこに一定の区別を持つ)との絶えざる格闘(実践)の中において初めて生きた活動がある。それがヘーゲルの言う「理性」の歩み、人倫的世界の構築である。

これ以上ヘーゲルを論ずるのはこの小論の枠をはみ出ることになるため、ここでひとまず閣筆する。

2023年7月26日記

 

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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