「臓器移植法」の緊急アピール

2011年10月7日 連帯・共同ニュース第166号 

9条改憲阻止の会

■  9条改憲阻止の会の旗のもとでたたかう皆さん!「臓器移植法」の新たな攻撃について緊急のアピールを発信します。それは、いわゆる「臓器移植法」の「国民健康保険の被保険者証」の無差別「ドナーカード」化がこの10月1日から一斉に全国で実施さるようとしている。早いところでは、10月1日からすでに実施されている自治体があります。この攻撃の性格は、「国民健康保健の被保健者証」の「ドナーカード」化を利用して無差別の「人身売買」の「臓器移植提供」に道を開くものであることは言うまでもありません。人間として絶対に許してはならない大攻撃が加えられたのです。一つ目には、1997年の「臓器移植法」の改悪によって、「脳死後の臓器提供」による臓器摘出が可能になったことです。二つ目は、2010年1月17日施行された「親族に対する優先提供の意思表示」による「本人の意思が不明な場合の家族の承諾」による臓器提供が可能となり、それにともなって15歳未満の子供からの臓器提供による臓器摘出が可能とされた。このように、1997年に公布された「臓器移植法」は自由民主党政権下で国会議員の数の力で国民のコンセンサスを無視して人身売買の「臓器移植法」の大改悪が次から次と実施され、今や公然とアメリカ並みに「臓器売買の人身売買」が可能に至ったのです。

■ 3月11日の東日本大震災と福島原発第1号の水素爆発事故による広島型原爆200個分に相当する放射性物質の放出よる福島県民をはじめ多くの人々が被曝という悲劇に遭遇し、また、この「臓器移植法」を許してしまったことによるもう一つの悲劇をなんとしても食い止めるために全力投球を訴えなければならないことは言うまでもありません。ここに、国会議員として「臓器移植法案」の阻止にその先頭に立たれて奮闘され、その後も厚生労働委員会で「臓器移植医療」問題を追及してきた社会民主党政調会長の安部とも子衆議員の厚生労働委員会での「臓器移植法」問題追及の報告を紹介したいと思います。

■ 「昨年7月に改正臓器移植法が全面施行されて以来、15歳未満の少年からの1例目の臓器提供が4月12日にありました。原疾患は交通外傷との発表のみで、事故の詳細や少年への救命治療、臓器を提供するに至った経緯などの重要な情報は、未だに明らかにされていません。しかし、あるメディアは、警察を取材した情報をもとに『少年は事故死ではなく、自殺だった!? 』という報道を行っています。また、4月6日の地元紙は、13歳の少年がホームに侵入してきた電車に向って飛び込み、自殺を図ったことを伝えています。始業式の当日であり、学校でのいじめや教師との関係性など自殺の原因や背景について、綿密な検証が必要だったにも関わらず、院内に設置された虐待防止委員会での限られた調査だけで虐待の兆候はないとされ、脳死判定に至りました。安部とも子は、いじめによる自殺だったとすれば広義の虐待だとして、ドナーとすることの是非を質しました。また、普段から子どもの権利擁護に当たる子どもオンブズパーソンのような第三者機関を設置して、調査は検証を行う必要性を指摘しました。 (文責 伊藤正昭)

 再び久保田千秋君を想う。 「君は強かった」

■  秋がきた。経産省の横のテントにも秋風が忍び込む。テントを張ったときには暑い日々が続き、ランニング一枚で寝ても汗をかいた。蚊よけの為に蚊取り線香も焚いた。そして、9月も下旬になるとシュラフに潜り込んで寝た。充分注意していたはずなのに風邪を引いてしまった。小生よりも高齢の男達が労を惜しまず連泊をする。3連泊、4連泊にも愚痴の一言すら言わない。その姿を想い出しながら風邪薬をのんで床についた。小生も、テントを張った直後は3連泊などものともしなかった。今、風邪で4日間テントに姿を出していない。忸怩たる思いがある。連泊者しかり、昼間座り込む人しかり。高齢者であり、病持ちでもあろう。しかし、愚痴を聞いたことは一度もない。高言する人もいない。小生だけに疲労が襲ったわけではない。先月末に彼岸へ旅立った久保田千秋君のことが頭を過ぎる。週に三度の透析を受けながら授業をし、「9条改憲阻止の会」で会議に出席し、辻に立ち街宣をやった。体力的には相当の負担があったはずである。彼の口からは一度も愚痴らしき言葉は漏れなかった。彼の旅立ちのあと意外なことを聞いた。彼は「自分で、日に三回の透析を行っていた」そうだ。その体力であの行動を支えていた。壮絶な生き様である。

■ 沖縄・高江でも壮烈な生き様の女性に出会っている。90歳を超えたオバア軍団が一歩の気後れも見せず防衛局と対峙していた。身体ごとぶつかる女性も見た。日頃、権力に差別され続けている人の迫力であり、覚悟であろう。防衛局が工事に来ると分かるや、朝食もとらずに駆けつけた他の支援者の為にたくさんのおにぎりを持参してきているのもオバア軍団であった。戦いに臨む者の覚悟には凛とした姿勢がある。このような事態にありながら、風邪でテントに行けなかった自分の気の緩みが恨めしい。戦いは言い訳を聞いてはくれない。「風邪引いていたら仕方がないよ」と心遣いを見せてくれる人の言葉を期待する自分の甘さにドンビキする。 平和なときの権力とのジャレアイの秋は過ぎているだろうと思う。洒落た街角のオープン・カフェでコーヒーを飲みながら「戦い」を語り合う一刻一刻に放射能は子供たちの健康を冒し続けている。右顧左眄と揶揄されないような主体的な理論と行動が求められている秋は今なのであろう。この秋にあの強靱な意志を持ち、柔和な表情でわかりやすい言葉を駆使しながら通行人に話しかけた久保田千秋君の早世が惜しまれる。(文責 冨久亮輔)