『シャーリー・エブド』誌風刺画家大量殺人に抗議する「私はシャーリー」200万人市民デモ開始の直前、フランス大統領フランソワ・オランドは言い放った。「今日パリは世界の首都である。」ドイツ首相、イギリス首相、トルコ首相、EU首脳達、アメリカ司法相、ロシア外相等々が参集する場においてだ。パリは一発の核ミサイルを発射することもなく、世界の首都になった。流石、太陽王ルイ14世、ナポレオン、ドゴールの血を引く、しかも小粒になったフランス社会主義者だ。
かかる巨大デモの前日、すなわち1月10日、オランダ人風刺画家ベルナルド・ホルトップ(筆名ヴィレム、73歳)は次のように語っていた。「私達は新しい友人を沢山得た。法王、英国女王エリザベス、ロシア大統領プーチンのような人達だ。笑わせるね、実際。イスラム主義者達が全方向へ発砲し出した時、マリーヌ・ル・ペンは狂喜した。」「今になって『シャーリー・エブド』編集部の友人だというすべての者にむかつく。」
彼は、1970年『シャーリー・エブド』創刊以来の編集部員であって、あの時パリに向かう列車の車中にあって、編集会議に遅れたので、命拾いをした。(ベオグラード『ポリティカ』2015年1月11日、p.3)
私が思うに、彼は翌日の悲劇便乗型国際政治の大デモに参加していなかったかも知れない。あるいは、デモする市民一人一人の気持ちになって共に歩いていたかも知れない。
同じく10日、この風刺画家に名指しされたマリーヌ・ル・ペンの父親、フランス国民戦線の創始者ジャン=マリー・ル・ペンも発言していた。「12人のフランス同朋の死を悲しむ者だ。しかし、私は『シャーリー』精神の擁護に参加するつもりはない。あれは、政治道徳を押しのけるアナルコ・トロツキストの精神だ。残念ながら、私はシャーリーではない。」(『ポリティカ』2015年1月11日、p.3)
私が思うに、翌日の大統領発言「パリは世界の首都である。」について、2人のおろかな暗殺者の行為の結果に便乗して「世界の首都になった」とは、パリの名をけがす発言だ、と老ル・ペンはがっかりしたであろう。
老風刺画家にせよ、老民族主義者にせよ、たしかに筋が通っている。気骨がある。二人とも(ここでは)イスラムのテロリストに触れていない。許されざるテロリスト心の奥底の深い深い悲しみをわかっているのだろう。
同じ10日に、セルビア正教会は、『シャーリー・エブド』風刺画について自分達の態度を表明した。セルビア国内の諸電子メティアと諸印刷メディアがフランスのテロ犠牲者への連帯と「表現の自由」の表明としてマホメッド風刺画を転載した事は、セルビア国内のイスラム信者達の心を深く傷つける行為ある、と批判した。「十数億の同時代人達の宗教的アイデンティティを形成して来た諸歴史人物を愚弄する事は、法によって保護される表現の自由の限界外にあり、絶対に許容できない。」(『ポリティカ』2015年1月11日、p.5)
1990年代旧ユーゴスラヴィア多民族戦争においてセルビア正教、カトリック教、そしてイスラム教の信者やゆかりの者達が血みどろの戦いで倒れていった。
そんな記憶に生きるはずのセルビア正教が『シャーリー・エブド』事件に悪乗りして、イスラム過激派をたたくような姿勢を全く示さなかった。
平成27年1月26日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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