「辺野古和解」の勝利と今後の闘争方針について【高野孟のTHE JOURNAL】強気が一変、安倍政権が「辺野古和解」に急転したウラ事情

「辺野古和解」の勝利と今後の闘争方針について【高野孟のTHE JOURNAL】強気が一変、安倍政権が「辺野古和解」に急転したウラ事情(以下、『高野孟のTHE JOURNAL』より一部抜粋しました)
http://www.mag2.com/p/news/154754
3月4日、辺野古基地移設問題を巡り突如裁判所の和解勧告を受け入れた安倍総理。この動きを「政権の余裕の現れ」とする意見もありますが、メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で高野さんは「和解勧告の内容を精査した官邸が、国が敗訴するリスクの高さを察知し腰が引けた結果」と断言、その上で沖縄県が辺野古への基地定着を避けるために取るべき対策を具体的に示しています。
■辺野古「和解」はオール沖縄のひとまずの勝利である!
安倍晋三首相が3月4日、辺野古基地建設への強気一点張りの姿勢を翻して、裁判所の「和解」勧告を受け入れて沖縄県との対立を「一時休戦」に持ち込む決断をしたことについて、御厨貴=東京大学名誉教授は同日の報道ステーションで「安倍政権の余裕の表れ」とコメントしていたが、違うと思う。
もちろんそれは、誰もが指摘するように、6月の沖縄県議選と7月の参院選を前に柔軟姿勢らしきものを演出して世論の反発をかわしつつ、特に沖縄では辺野古移設の是非を争点から外して(1月宜野湾市長選の2匹目のドジョウ狙い!)、「歯舞」が読めない島尻安伊子=沖縄・北方担当大臣の落選を避けようという、小賢しい選挙目当て戦術という一面を持つ。しかし、それだけがこの君子豹変の理由ではなく、菅義偉官房長官が少数のスタッフと共に和解勧告の内容を精査して国が「敗訴」する危険が高いことを察知し、慌ててそれを受け入れることにしたというのが、もっと大きな理由である。
辺野古現地では海上とゲート前で頑強な非暴力実力闘争が続き、それを背景に「あらゆる手段を尽くして阻止する」と公言して止まない翁長雄志知事が執拗な裁判・行政闘争を展開した結果、国側は一旦撤退して態勢を立て直すことを余儀なくされたのであり、仲地博=沖縄大学学長が言うように「県が政府との争いの初戦に勝ったと言える」(3月5日付毎日)というのが本当である。
この初戦における成果をどう活かして、辺野古断念にまで行き着いていくかが課題である。
■和解勧告で官邸がビビった「敗訴リスク」
福岡高裁那覇支部による和解勧告の全容は、裁判官の判断により公開されていない。が、読売5日付によると肝心な部分は次の点である。
国はそれまで「訴訟は99%勝つ」(政府高官)と見込み、司法判断をお墨付きに米軍普天間飛行場の辺野古移設を着実に進める方針だった。自信を揺るがしたのは「想定外だった」(政府筋)裁判所の和解勧告だ。
1月29日、裁判所が示した和解案で、政府関係者が注目したのは、国の「敗訴リスク」に触れた部分だった。「(国が)勝ち続ける保証はない」「敗訴するリスクは高い」
国が代執行に踏み切ったことに、裁判長が「丁寧な手続きを欠いている」との心証をもっているのでは、との懸念が政府内には広がった…。
同様のことを毎日5日付も書いている。
和解勧告は政府に厳しい内容だった。
1999年の地方自治法改正で「国と地方公共団体が対等・協力の関係となることが期待された」のに、現状は「改正の精神に反する状況」だと批判。今後も訴訟合戦が続けば「国が敗訴するリスクが高い」とまで忠告した。
首相官邸関係者は「他に道はないというのが代執行訴訟の出発点。和解勧告は想定していなかった」と明かす。しかし、勧告は想定外に厳しく、政府内に動揺が走った…。
「和解勧告は『従わなければ国にとって厳しい判決になりますよ』というサインにも読めた。工事中断は痛手でも、自ら提起した訴訟での敗訴を確実に避けることを優先したのではないか」(仲地博)…。
毎日が指摘するように、99年の地方分権一括法の成立とそれに伴う地方自治法の大幅改正では、国が直接に指揮監督する「機関委任事務」が廃止され、国が関与するのは「法定受託事務」だけとされたが、その背景には、明治国家ではもちろんのこと、戦後になってもまだ中央政府と都道府県、都道府県と市町村は垂直的な上下の関係とされてきたのに対し、これからは国と地方公共団体とは水平的な対等・平等の関係であるとする原理的な大転換があった。
■国と地方自治体は「上下関係」という思い込み
1947年制定の地方自治法には「職務執行命令訴訟制度」が組み込まれていて、総理大臣は都道府県知事が命令に服さない場合にその知事を罷免する権限さえ持っていたが、さすがに1991年の改正でこの知事罷免の制度は廃止された。さらに99年の大改正では、その職務執行命令訴訟制度そのものを廃止し、代わりに現行の「代執行制度」が新設された。実は、代執行制度の内容は職務執行命令制度とほぼ同様の要件・手続きのものではあるけれども、国が都道府県を頭ごなしに指揮監督する権限を取り除くという地方自治原理の大転換の上に位置づけ直された以上、その運用は慎重でなければならない。
実際、改正された地方自治法の第11章「国と普通地方公共団体との関係」の第245条を見ると、国が知事に対して行う「関与」は、
イ 助言又は勧告
ロ 資料の提出の要求
ハ 是正の要求
ニ 同意
ホ 許可、認可又は承認
ヘ 指示
ト 代執行
と、7段階で順を追って丁寧になされるべきことが定められ、それらの措置を行う場合も「その目的を達成するために必要な最小限度のものとするとともに、普通地方公共団体の自主性及び自立性に配慮しなければならない」(第245条の三)と制約を付している。また「最後の手段」とも言える代執行については特に「(それ)以外の方法によつてその是正を図ることが困難であり、かつ、それを放置することにより著しく公益を害することが明らかであるとき」は、まずは文書で改善を「勧告」し、それでも駄目なら期限を定めて実行を「指示」し、それでも駄目なら主務大臣が高等裁判所に指示の実行を命ずる旨の「裁判を請求することができる」とされている(第245条の八)。
つまり今回の和解勧告には、安倍政権に対して、「あなた方、99年の地方自治原理の転換の意味を全く理解していないんじゃないですか。昔の職務執行命令訴訟制度と今の代執行制度は同じで、相変わらず国は地方を指揮監督したり命令を下したりできると思っているんじゃないですか。いきなり代執行訴訟なんて無茶ですよ。こんな裁判、私もやりたくないですよ」と、根本的な勘違いを正すアドバイスが盛られていたと考えられる。それが、上記の読売が言う「裁判長が『丁寧な手続きを欠いている』との心証をもっているのでは」という懸念を政府が抱いた意味である。
実を言うと、99年の大改正後、地方自治法第245条に基づく代執行訴訟が起きたのはこれが初めてであり、担当裁判官としても、安倍政権の根本的な勘違いを正さずにこのまま判決を出して、それを初判例として残すことをためらったというか、恥だと思ったのではあるまいか。
安倍は「地方創生」を語るときには、「地方創生は、地方の自主性、自立性を高め、地域の特性に即して課題を解決するという基本的視野に立って取り組む必要があります」とペラペラと答弁するが、沖縄に関しては自主性も自立性もへったくれもなく、一知半解のまま代執行制度に飛びついてそれを暴力的に振り回す。これでは翁長が怒るのは当たり前である。
■この束の間の「余裕」をどう活かすか
和解成立で一時の「余裕」を得たのは、安倍ではなくてオール沖縄側である。もちろん、何をするか分からない安倍政権には油断は禁物で、裁判・行政闘争、選挙闘争、現地実力闘争の3次元の闘いをここでもう一度落ち着いて組み立て直して、緩みなく進めていかなければならないことは言うまでもない。
しかし、まずは、2004年から4,300日を超えて辺野古の浜で座り込みを続けつつ状況に応じてカヌー隊を送り出してきたテント村の人々や、14年から600日を超えてキャンプ・シュワブの資材搬入ゲート前で泊まり込んだり朝5時に集まったりして抵抗してきた山城博治=沖縄平和運動センター代表はじめデモ隊の人々にとっては、半年か1年は工事が中止されることになったのだから、ボロボロになった体と心を少しは休めて英気を養うことができるだろう。
翁長知事も、国との間で3つの裁判を抱えて法廷間を走り回らなければならない「泥仕合」状態からひとまず解放されて、今後は、地方自治法に則った、落ち着いた法手続き過程を進めていくことになる。
前知事の「埋め立て承認」を翁長知事が「取り消し」たことに対して、国が改めて是正の「勧告」や「指示」を出す(第245条の八)。
県はそれについて「協議」を申し出て、双方は「誠実に協議を行うとともに、相当の期間内に当該協議が調うよう努めなければならない」(第250条)。
しかし「協議」は決裂するので、県は総務省に置かれた「国地方係争処理委員会」に対し国の指示を不服として審査を申し出る(第250条の十三)。委員会は、「国の関与が違法でなく、かつ県の自主性及び自立性を尊重する観点から不当でない」かどうかを審査する。
委員会の審査で国の指示が違法かつ不当でないという結果となった場合、県は高等裁判所にその指示の取り消しまたは違法の確認を求める訴えをすることができる(第251 条の五)。国の関与が違法かつ不当という結果が出たのに国がそれを無視して指示を実行しようとした場合も県は提訴することになるだろう。
その裁判は恐らく最高裁に持ち込まれ、その判決には両者とも従うのは当然だが、そこで1つの問題は、日本では1959年の「砂川判決」以来の悪名高き「統治行為論」があって、安全保障などに関わる「政治性の高い統治行為は裁判所の審査権の外にある」という司法自らによる3権分立放棄の不文律があるので、放っておけば政府に有利な判決が出るに決まっている(だから、上記の読売が言うように、国は「99%勝つ」と確信していた)。ここを突破する方策があるのか、県も日本の法曹界の力を借りて知恵を絞らなければならない。
仮にそこで敗れても、県や名護市には、埋め立て用の土砂の持ち込みに関する環境規制をはじめとして、工事の具体化に伴う様々な案件について許認可事項があって、それらすべてを動員して工事を差し止めることになろう。
こうして、県にとっても、一拍置いて、裁判で勝てなかった場合の対策まで含めて入念に準備するわずかなゆとりが生まれたと言える。
■ 根本的な解決はもちろん「県外・国外」
安倍はもちろん今回も、「辺野古への移設が唯一の選択肢であるという国の考え方に何ら変わりはない」と強調していて、そうである限りは県とはどこまで行っても折り合いがつかない。そこを解きほぐして行くには、
「中国が今にも尖閣を盗り、島伝いに沖縄を攻め、日本に侵略してくる」かのごとき妄想的な「中国脅威論」の横行をどう潰すか
その中国や北朝鮮の「脅威」を煽り立てて日本を操って、米国製の最新鋭兵器を買わせようとする米軍産複合体勢力やその末端の手先であるリチャード・アーミテージら「ジャパン・ハンドラー」と呼ばれる安保利権集団の策謀をいかに封じるか
その米冷戦派の言動を巧く活用して、南西諸島に大進出を遂げようとしている日本自衛隊の「南進戦略」の下劣な意図をどう暴露するか。自衛隊は、辺野古建設を推進して完成後は出来れば日米共同管理の基地にしておけば、いずれ米海兵隊は海外に出て行くから、その時にはこの超高性能基地を自分のものにしたいと思っている
米国内に根強くある海兵隊無用論、ないし前進配備不要論を掻き立てて、海兵隊を早期に海外もしくは米本土に移転させる国際世論をいかに喚起するか、
──などの戦略論レベルの議論を通じて「常識の嘘」を引き剥がしていくことが必要だが、残念ながら日本の現状ではそれを担える政治勢力はないに等しい。それが沖縄の闘いを孤立させてしまっている最大の理由である。
沖縄の闘いは今後も困難を極めるが、ともかくも、ここで初めて国はひるんだ。この束の間のゆとりを活かして、どう反撃に出るかが問われている。
image by: 首相官邸

『高野孟のTHE JOURNAL』より一部抜粋
著者/高野孟(ジャーナリスト)
早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/

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