「黄色いベスト」を扱ったフランソワ・リュファン監督(共同)”J’ veux du soleil! ” (太陽が欲しい)の公開が始まる

著者: 村上良太 むらかみりょうた : ジャーナリスト
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 昨年11月に始まり、今も毎週週末になると黄色いベストを着用してあちこちでマクロン大統領への反対運動を繰り広げる「黄色いベスト」を描いたフランソワ・リュファン監督(共同)のドキュメンタリー映画”J’ veux du soleil! ” (太陽が欲しい)の一般公開が4月3日に始まった。今回はジル・ペレ(Gilles Perret)との共同監督である。リュファン監督によると、過去1か月半の間に、先行的な上映会を各地ですでに80回行ってきており、およそ2万5千人が見たとのこと。そして今日始まる一般公開では140以上の映画館でかけられる。

 リュファン監督は今回の映画が未だ2作目だ。もともと彼はアミアンで発行しているファキル(Fakir)という新聞の社主であり、編集長なのである。基本的には活字の世界のジャーナリストである。ファキルは労働者に寄り添い、ともに闘うメディアとして今ではフランスで全国的に知られている。映画経験がそれほど多くないリュファン氏が、これだけの展開ができるのは処女作にあたる2016年2月公開の「メルシー・パトロン!」が爆発的なヒットとなり、翌年のセザール賞最優秀作品賞(ドキュメンタリー部門)を受賞しただけでなく、このドキュメンタリー映画が「立ち上がる夜」(Nuit Debout)という市民運動が立ち上がる起爆剤となったことにある。この映画「メルシー・パトロン!」は1968年の五月革命以後、長い間、政治的には眠ってきたフランス市民の闘う精神に火をつけたのだった。映画の公開から4か月でなんと50万人を動員したのである。そもそも「立ち上がる夜」が始まったのが2016年3月31日だったが、その夜、共和国広場に白幕を張って「メルシー・パトロン!」を無料上映したのが「立ち上がる夜」の始まりだったのだ。

 簡単に「メルシー・パトロン!」の筋書きをたどると、フランスの北部にあるテキスタイル工場の国外移転で失業者になった50代の夫婦にリュファン監督が味方し、自ら登場人物となって出演しながら、工場移転を決定したフランス一の大富豪で「ファッション界の帝王」ベルナール・アルノーと闘う映画である。この映画の製作で協力したのがフランス最大の労働組合CGTだったことも新しい映画の歴史の1ページだったと言えよう。メディアや著名政治家らに失業した後の窮状を書いた文章をばらまくぞといった脅しなども使いながら、あの手この手を使って闘い、銀行に抵当に入っていた家を失う寸前に至っていた夫婦の救済に成功するのである。

 「立ち上がる夜」はパリの共和国広場に毎晩様々な市民が集まって、今の社会で起きている様々な問題を論じあう運動で、とりわけ当時のテーマになったものが時の社会党政権による労働法の規制緩和法案だった。労働者の解雇が簡単にできるようになり、また労働時間が経営者の希望に沿ってよりフレキシブルに変更できるようにする改革である。さらに残業代も大幅に減らすことを可能にする改革である。現在大統領のエマニュエル・マクロンはその当時は社会党のマニュエル・バルス首相の下で経済大臣をしていた。その後、マクロンは経済大臣を辞職し、「共和国前進」を組織した。2017年に狙い通り、大統領になった。一方、フランソワ・リュファンは同年、国会議員に当選した。「銀行家がエリゼ宮に行くなら、人民を国会へ」というスローガンを掲げて選挙運動が行われたのだった。「メルシー・パトロン!」を見てリュファンを応援する市民が全国からのべ400人、アミアンに集まり手弁当で選挙運動に参加したのである。二人はもともと北方の都市、アミアンの出身でフランスのメディアではライバルと目されている。2017年の選挙運動でも二人はアミアンやパリで論戦する一幕があった。

 「立ち上がる夜」と「黄色いベスト」ではその最大の違いは「立ち上がる夜」が首都のパリが中心だったのに対して、「黄色いベスト」は津々浦々の地方発の運動だったことだ。もちろん、パリでも始まったのだが、その違いは大きい。というのも、パリの「立ち上がる夜」では教授や学生、様々な分野の知識人が即座に多数終結して運動に参加したが、「黄色いベスト」が行われた地方都市ではむしろ普通の労働者や年金生活者などが運動の中心になったようである。こうした広範な層は「立ち上がる夜」が十分取り込めなかった人々である。そして、フランソワ・リュファン監督が長年、根城にしてきたアミアンも地方都市であり、車の部品などの工場の多い街である。その意味で、リュファン監督にとっては「立ち上がる夜」以上に、身近なコミュニティの運動だったのではないか、と思う。「黄色いベスト」が始まってから、リュファン氏は国会の合間にたびたび黄色いベストの人々を訪ねて、インタビューをソーシャルメディアを通してライブ中継してきた。いろんな参加者の声を聞こうとしていたのだ。

 今回、リュファン監督は試写会の会場にマクロン大統領の大きな写真の入った額を持ち込み、大統領にも見てもらったと言っている。国会議員になったあとも挑発精神は衰えていない。

社会評論社刊。320ページ。数千人の「立ち上がる夜」の参加者一人一人を訪ねてパリや近郊の都市を訪ね歩き、彼らの暮らしの問題や人生を見つめたルポ。運動の仕掛け人となったフランソワ・リュファンへのインタビューも含まれている。


〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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