2016年4月下旬に拙著『プーチン露大統領とその仲間たち:私が「KGB」に拉致された背景』を社会評論社から刊行する。筆者は2月20日、モスクワで「KGB」の後継機関である「FSB」(連邦保安局)によって拉致され、4時間にわたって拘束、スパイとして活動するよう強要された。その一部始終を書いたのがこの本だが、このサイトに論考をアップロードしたのは、この本のためではない。同書「あとがき」の最終段落で、つぎのように記述した話を紹介したいためである。
つぎの目標は『ロシア革命100年の教訓:社会主義の虚構』(仮題)を書くことだ。実は、ここ数年間でもっとも感銘を受けたのは、鈴木啓史著「利潤分配制と社会主義:日本における大正期から昭和戦後期に至るまでの受容と変容の歴史」(2010年度大阪大学博士学位論文)である。この論考は標準的な社会主義像がまったくの誤りであることを論証している。廣西元信の指摘する、日本のマルクス理解の不備を受けいれ、その問題点を掘り下げようとする姿勢を評価したい。とくに、「共同所有」をめぐる「総有」、「合有」、「共有」という廣西の区分にかかわる掘り起こし作業、ゲルマン法とローマ法の「所有」・「占有」概念をめぐる考察に刺激を受けた。レーニンへの理解などに違和感はあるものの、鈴木のような考察はもっと知られていい。この論文に刺激を受けながら、ロシア革命が社会主義革命と呼ばれているものとまったく異なることを明らかにしたいと考えている。それは、「上からのデザイン」という設計主義を批判することにもつながる。
来年、ロシア革命から100年周年となる時期だからこそ、多くの方々に「社会主義」について考えていただきたいと思い、このサイトを利用することにしたわけである。
2017年に向けて、今後、一年ほどの間にロシア革命から100年を記念した多くの書籍や論考が公表されるだろう。筆者もその一人となりたいと希望している。ここでは、『ロシア革命100年の教訓:社会主義の嘘』(仮題)でなにを書こうとしているかについて論じたい。
この本では、ロシア革命をめぐって二つの論点を検討したいと考えている。社会主義の嘘と動員経済化についてである。後者については、拙著『ロシアの軍需産業』、『「軍事大国」ロシアの虚実』(いずれも岩波書店)において、ソ連が軍事大国であったという視点から、その本質を分析したことがある。ここでは、前者の社会主義の虚構について注意喚起してみたい。
『大月経済学辞典』の「ロシア革命」の項目で、米川哲夫は、「窮極的には社会主義政権を樹立した1917年の10月革命をさす」とのべている。同辞典には、「社会主義」そのものの項目はない(多くのマルクス主義者が執筆者を務めるこの辞典では、社会主義なる概念は自明のものとされているのだろう)。中学校の教科書でも、「レーニンの指導のもと、社会主義を唱える世界で最初の政府ができました。これをロシア革命といいます」(東京書籍)といった具合だ。だが、筆者にとって社会主義という概念はきわめて違和感のある言葉でありつづけている。こんな「嘘」を教えつづけていいのだろうかという問題意識からである。
拙著に『すべてを疑いなさい:バカ学生への宣戦布告』(Kindle版)がある。そのなかで、つぎのようにのべたことがある(一部変更あり)。
「社会主義は「社中主義」
より深刻であった問題は、societyに関連して、もう一つ、socialismなる《言葉》が20世紀にきわめて重要な概念として登場したことである。ぼくは、societyに会社を含めて考えない日本にあって、socialismを「社会主義」と訳したことが大間違いであったと感じている。
これまで、英語のsocietyの翻訳だけを問題にしてきた。英語のsocietyに近い概念としては、ドイツ語では、Gesellschaft、フランス語では、société、ロシアでは、обществоがある。これらはみな社会と会社を含む広範な空間イメージをもっている。だが、日本では、societyと同じく、他の外国語の翻訳においても、会社を社会に含めてイメージすることを意図的に隠蔽した。この結果、ドイツ語で書かれたマルクスの『資本論』の原義を理解することができなくなってしまったのである。
一般に、マルクスは協同組合的社会をその成熟度によって段階的に区別し、「資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会」と「それ自身の土台の上に発展した共産主義社会」とした、と理解されている。前者が社会主義社会と呼ばれているものだ。このとき、SozialismusからKommunismusへの移行が前提とされていたことになる。英語で言えば、socialismからcommunismへということになる。ここですぐにわかるのは、socialismを日本語で「社会主義」と訳してしまうと、societyを前提としたsocialismであるはずなのに、いきなり個人、家族、会社を超えて社会だけが関心の対象になってしまうことになる。その発展段階のcommunismはcommunityやcommuneといった共同体や共同空間をイメージしているはずだから、これでは、逆戻りしてしまう印象をあたえてしまう。マルクス主義者と呼ばれるような人々はみな、《言葉》を疑う姿勢に欠け、本来のマルクスが意図した主張をまったく理解していなかったのだ。逆に、《言葉》を疑う力をもった廣西元信のような人物だけがマルクスの本義を知りえたのである。
どう考えてみても、このsocialismが問題関心としているのは、社会だけではなく、個人から会社を含む、社会へと広がる空間であるはずだ。だが、つぎに訪れるcommunismがcommunityやcommune程度の空間をもとに考えられていることを考えると、socialismでは、個人、家族、会社までの空間が問題関心の領域でなければならないと想像される。したがって、socialismを日本語訳するとすれば、「社会主義」ではなく、むしろ、もっと個人に近い範囲の「社交主義」ないし、仲間の集いを意味する「社中」を使った「社中主義」と訳したほうが本来の意味にずっと近い。それが、発展すると、仲間の集いである会社を超えて、共同の領域にまで拡大するというわけだ。
なお、ドイツ語には、societyとほぼ同じ概念であるGesellschaftという《言葉》がありながら、なぜこれを派生させる形の造語をしなかったのか、不思議な気がする。わかる人がいれば、是非、教えてもらいたい。
「アソシエーション」への誤解
マルクスは社会主義(本書でいう社中主義)を、経営者と労働者の連合(アソシエーション)に基づく生産を前提に考えていた、というのが紹介した廣西元信の主張である。このアソシエーションを、マルクスはフランス語のアソシャシオンから借用したという。アソシエーションは組合、会社という意味をもった《言葉》である。本書で指摘したように、「社中主義」を意味するsocialismの段階では、連合的株式会社が存在し、まだ株主に配当という「利子」を払いつづけるので、資本所有から完全に解放されたわけではなく、共産主義になって資本所有から解放されると考えたことになる。つまり、socialismには、民間の会社の息の根を止めて国有化するなどという発想はそもそもなかった。
ところが、ロシアのレーニンは、「社会全体が、平等に労働し平等に賃金をうけとる、一事務所、一工場となるであろう」と、社会主義社会を構想した。マルクス自身も、『哲学の貧困』のなかで、「社会全体は、社会にもまたその分業があるという点で、工場の内部と共通点をもっている。近代的工場における分業を典型とみなして、これを一つの社会全体に適用するならば、当の生産にとってもっともよく組織されている社会は、たしかに、たった一人の企業家だけが指導者としていて、その人物があらかじめ定められた規則に従って共同体のさまざまな成員に仕事を配分する社会であろう」とのべている。ゆえに、レーニンに誤解されたとも言えるのだが、マルクス自身は「連合体(アソシエーション)構想」をいだいていたにすぎないのではないか。
したがって、socialismはあくまで「社中主義」であり、一国一工場として、国家が民間企業を国有化することなど想定していなかった。それを勝手に夢想したのはレーニンであり、その誤った見解を輸入したのが日本であったということになる。その結果、socialismを「社会主義」と訳した日本では、socialismが会社を含まない社会に会社を「社会化」するために、会社の国営化を基本としているという、誤ったイメージが広がったのである。
実は、『現代の社会主義経済』(岩波新書)を書いた故佐藤経明に上記の部分をメールして、「社会主義という翻訳は間違っているのではないか」と問い糾したことがある。彼は「なかなか難しい問題」という返事をくれた。少なくとも、彼は社会主義なる概念に大きな過誤があることを知っていた。だが、それと真正面から向かい合うことを避けたのである。
これに対して、この問題に真っ向勝負したのが徒手空拳の空手家、廣西元信であり、その学恩を受けた鈴木啓史である。「あとがき」に記したように、鈴木の業績はもっと読まれるべきであると強調しておきたい(検索すればすぐに論文をダウンロードできる)。
筆者は、鈴木論文で典型的な社会主義観を提示しているとされる、岡稔・宮鍋幟・山内一男・竹浪祥一郎著『社会主義経済論』を刊行したグループの学恩を受けている。鈴木の指摘するとおり、彼らの理解は浅薄で、マルクスの本来考えていたことと、その後のマルクス主義者の誤謬との区別をしていない。残念ながら、これは事実であり、はっきりとその過誤を認識しなければならない。そのうえでなければ、「ロシア革命100年」を歴史的に位置づけることなどできないし、そうしてはならないのだ。
ロシア革命から100年を迎えようとするいまこそ、過去の過ちをはっきりと糾すべきであると、筆者は考えている。いま筆者が危惧しているのは、無反省なイデオローグらが凝りもせずにまったく間違っている概念を振りかざし、ロシア革命の本質を糊塗しつづける事態だ。だからこそ、いまこうして機先を制するための論考を書いたということになる。
ウクライナ危機を契機に、筆者は『ウクライナ・ゲート』、『ウクライナ2.0』を刊行したが、これらの書物を書きながら、「真実」に肉迫しようとしない似非学者や似非ジャーナリストの圧倒的多さに愕然とした。その危惧がいま、この論考を書かせている。
2013年2月、ロシアでは、プーチンの中等学校向けのロシアの統一歴史教科書策定という命令から、そのためのプロジェクトが開始されたことを思い出してみよう。同年10月、「国内史に関する新学習教材の概念」がまとまり、これをもとに作成された3社の歴史教科書が2015年5月にロシアの文部科学省によって承認され、9月から使用されるようになった。当面、統一歴史教科書の刊行は断念されたのだが、この「概念」が定められたことで、歴史教育の一定の方向性が決まった点が重要だ。その結果、新しい歴史教科書から「社会主義革命」の表記が消え、今後「偉大なロシア革命」と表記されることになった。「概念」で、1917年を「偉大なるロシア革命」(Великая российская революция)と教えるように定められた結果である。
ソ連時代、1917年の10月革命は「偉大な10月社会主義革命」と呼ばれていたが、1991年以降、「10月変革」となり、それが「偉大なる革命」になったというわけだ。その理由は、2月革命と10月革命を合わせて「1917年の偉大なるロシア革命」と呼ぶことにしたものと説明されている。そうであっても、本家本元のロシアで、「社会主義革命」という言葉が消えた事実は重い。生涯をかけて「社会主義」や「マルクス」に影響を受けた人々は、この問題から目をそらしてはならない。自分の考え方がだれによってどのように歪められてしまったのかを考察し、そのメカニズムを叩き潰す努力をしなければ、同じ過ちが幾度となく繰り返されることになるだろう。
念のために書いておくと、筆者はマルクスの本来の思想とロシア革命の社会主義思想との齟齬を批判したいわけではない。言葉や概念の混乱や無理解を整理しておきたいだけである。「運動」や「政治」によって、学術的な考察そのものが歪められてきた事実を事実として指摘しておきたいだけだ。
ロシア革命そのものの評価については、むしろもう一つの論点である「動員経済化」にかかわっている。戦争に備えるという目的を設定して、その目的のために「上」から経済を設計し、モノやサービスを動員するという手法が国家全体を覆いつくす計画経済化への道筋が批判の対象となるだろう。こうしたものの見方こそ批判されるべきであると思う。だからこそ、筆者は拙著『プーチン露大統領とその仲間たち』のなかで、Ridley, Matt (2015) The Evolution of Everything: How New Ideas Emergeを紹介しておいた。この本も必読かもしれない。こうした近年の成果を取り込みながら、『ロシア革命100年の教訓:社会主義の虚構』に取り組みたいと考えている。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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