たけもとのぶひろ著『今上天皇の祈りに学ぶ』(明月堂書店、2018年11月10日、第1刷発行)を一読した。
新聞記者の吉田文人氏が巻頭に解説「たけもとのぶひろの思考、その『非転向』について」を書いている。
――本書は、「ならずもの」「過激派の教祖」滝本修こと、たけもとのぶひろさんの象徴天皇制擁護論である。今上天皇の退位を巡る信条と論理を、天皇本人の言葉(の行間)から読み取ろうとする形で展開されており、かつての彼を知る多くの読者にとっては、あまりに激しい「転向ぶり」に戸惑いを覚えるかも知れない。しかし、たけもとさんの、現実を直観で読み破り、そのための論理を膨大に積み上げてゆく思考形態は、滝田修時代から本書まで一貫している。――(p.5)
――直観を現実のものとするための論拠を延々と探し続け、いつしか、その論拠の山、論理の塊が現実そのものになるスタイル自体は、滝田修から一貫している。その対象が、かつてとはあまりに違うため、まるで完全に「転向」したかのようだが、実のところ、何も変わっていない。――(p.28)
解説者は、24ページの長い解説の始と終をほぼ同じ文で提示している。ここで解説者は、「転向」概念の変更を求めているように思われる。しかし、私見によれば、「転向」とは、「回心」「戒心」「改心」の一種であって、政治上、宗教上、読んで字の如し、「向きを一転させること」である。解説者の文言を用いるならば、「その対象が、かつてはあまりに違う」事であろう。思考形態・思考スタイルの一貫性と転向は十分に両立する。
たけもとのぶひろ氏の「象徴」分析は非常である。まさに「常に非ず」の視角である。
象徴=symbolの古代ギリシャ語symbolon、ラテン語symbolumについて「ウィキペディア」と『新明解』に従って次のように記す。――sym-が「一緒に」、boleが「投げる」「飛ばす」を意味し、合わせて「一緒にする」や、二つに割ったものを突き合わせて同一のものと確認する「割符」や「合言葉」を意味する、と。……、「割符」の意味……「木の札の中央に文字・印を書いて、二つに割ったもの。別々に持ち、後で合わせてみて証拠とする」とあります。――(p.145)
ここから著者の思考は跳躍して次のように書く。――天皇と国民というと一見別々の存在のように見えるけれども、「合わせてみると」もともとは同じ一つのものだったことが分かる、象徴天皇と国民とはそういう、いわば“割符の関係„なのだと。――(p.146) 憲法第七条の国事行為ではなく、今上天皇79歳の誕生日記者会見にある「国事行為のほかに、天皇の『象徴』という立場から見て公的にかかわることがふさわしいと考えられる『象徴的行為』という務め」こそ、「二つの木片――天皇と国民という――を合わせてみる行為」であり、それなくして「天皇は象徴天皇になることができません。」と断言する。
私=大和左彦は、昭和の終わりから平成の終わりに至る然るべき時に天皇をテーマに腰折をいくつか詠んで来た。このコンテクストで提示したい。
おほきみのやまひあつしと聞くからに
大和島根に長雨そ降る
平成の民君ともの弥栄を
願ひて究めむ社会科学を 平成2年
日の御子の日継ぎの御子の姫御子の
あれませましし日冬陽ただ射す
「君が代」と「インターナショナル」口ずさみ
いそとせ学ぶ社会科学を 平成21年
もも余りふたそぢ余り八つ代の
日継ぎの皇子を得たりけるかも
万津千代ときをしらせしすめらぎの
大和の民は継のよろしも
歌意から年月がわからない、つまり私の個人史がからんでくる歌の所だけ詠年を記してある。私が著者の象徴天皇と国民の割符関係論のコンテクストで自分の腰折を紹介した動機は、特に、第二首にある。第二首の「民君」という表現は、右翼寄りの人々は気に入らない。「君民」でなければならない。「君と民」、「君の民」こそが日本史を貫くと考える。私はそんな時代が長く続いた事を知っている。しかし、何時の頃からか次第次第に「民と君」、「民の君」に変容して来たと直観していた。この歌は、平成2年に中央大学商学部でユーゴスラヴィアの労働者自主管理社会主義に関して講演した時に、学部の記念帳に何か一筆せよと求められて、記したものである。たけもとのぶひろ氏の感性と知性が発見した割符関係論によって、「民君」の方が「君民」よりも適切な表現であると今更自己納得した次第である。
平成31年1月26日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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