第二次世界大戦終結から80年のこの年、「やられた側から戦争を記憶する」というテーマで、日本はもちろん、中国東北部、フィリピンや、沖縄、香港の旅をしていました。5月後半以降、旅ばかりが続き、ピースフィロソフィーのサイト更新ができていませんでした。旅の合間に、過去2回(25年4月と、6月)の『朝鮮新報』連載記事を2本、転載します。
イスラエルによるジェノサイドは今も続いています。それも食料配給所に集まった人たちを狙い撃ちするという卑劣な方法で。殺されたジャーナリスト、ホッサム・シャバットさんのアカウントは今も仲間たちの手で、ガザの子どもたちが殺され続けている残酷な状況を発信し続けています。https://x.com/HossamShabat
カナダもイスラエルと同様、セトラー・コロニアリズムの国です。2つめの記事は、「タートル・アイランド」で起こり続けている先住民族女性殺害失踪 Missing and Murdered Indigenous Women and Girls についてです。
〈私のノート 太平洋から東海へ 3〉
パレスチナ人ジャーナリスト殺害 明けない夜はない
乗松聡子
2025年04月01日
原文リンク→https://chosonsinbo.com/jp/2025/04/31sk-13/
ガザでまたジャーナリストが殺されました。3月24日、カタールのTV 局「アル・ジャジーラ」のレポーター、ホッサム・シャバットさんが乗っている車をイスラエル軍が銃撃し、23歳の若さで命を奪われました。シャバットさんはガザ北部に残って取材を続けた数少ないジャーナリストの一人でした。死後、シャバットさんの「最後のメッセージ」が、仲間によって、17万人のフォロアーがいるかれのXに投稿されました。

ホッサム・シャバットさんを悼むパレスチナのジャーナリストたち(ホッサムさんのXより)
「あなたがこれを読んでいるということは、私は殺されたということです。おそらくイスラエル占領軍に標的にされたうえで。これが始まったとき私はたったの21歳でした。他のみなと同じように夢に満ちた大学生でした。過去18ヵ月間、私の生活のすべてを私の民族に捧げてきました。闇に葬り去られようとしている真実を世界に伝える決意で、北ガザの惨状を刻一刻と記録しました。道ばたでも、学校でも、テントでも、寝られるところならどこでも寝ました。毎日が生き延びるための闘いでした。何ヵ月も空腹の日々でしたが、民族のもとを離れることは決してしませんでした。私は神にかけて、ジャーナリストとしての務めを果たしました。真実を伝えるためならどんなリスクも厭うことはしませんでした。そして今、私はやっと休息を得ています。18ヵ月の間知らなかった休息です。パレスチナの大義を信じていたからこそやってきました。この土地は私たちのものです。この土地を守り、民族に仕えた上で死ぬことは人生で最高の栄誉でした。お願いです。ガザについて語ることをやめないでください。世界がそっぽを向くのを許さないでください。闘い続け、私たちの物語を語り続けてください。パレスチナが自由を得る日まで。最後に、ホッサム・サバット、北ガザより」
同日には朝日新聞通信員も務めていたムハンマド・マンスールさんもハン・ユニスの自宅で殺されました。これで、23年10月7日のハマス蜂起以来イスラエルによって殺されたジャーナリストは208人となりました。
シャバットさんは殺害される3日前の3月21日、「終わったと思って、ようやく休めると思ったのに、ジェノサイドが再び本格化して、また私は最前線に戻った」と投稿していました。イスラエルとハマスはトランプ次期大統領の働きかけもあって、1月19日に6週間の停戦を開始しました。「停戦」は、シャバットさんが「休めると思った」と言ったように、ガザにしばしの希望を与えました。しかしイスラエルは「停戦」中もガザの民間人殺戮を継続し、支援物資搬入を阻止するという戦争犯罪を重ね、同時に西岸地区への攻撃を激化させました。
イスラエル軍のガザからの撤退などを含む停戦第二段階への移行を妨害したのは明らかにイスラエルであるのに西側メディアは「ハマスが停戦拒否した」かのような印象操作をしました。3月18日、イスラエルは本格的な攻撃を再開、この日だけで400人のパレスチナ人(うち200人近くは子ども)を殺しました。イスラエルは米国の支援がなければパレスチナ占領も攻撃もできません。トランプ大統領がこれを許したのです。シャバットさんの最後のレポートはこの大虐殺についてでした。
いま、「ジェノサイド」がバイデンからトランプにバトンタッチされたことは動かぬ事実となりました。これを「民主主義」を標榜する米国および西側諸国が止めようとせず、逆に国内でジェノサイドを批判する者を「反ユダヤ主義」とレッテルを貼り、デモを禁止したり、声を上げる人を標的に拘束・逮捕したりといった表現の自由の否定が行われています。多数の例から一つ挙げると、3月26日にタフツ大学のトルコ出身の博士課程学生ルメイサ・オズトゥルクさんが自宅の外で、覆面をした私服のICE(米国移民関税執行局)職員に取り囲まれ拉致され、ルイジアナのICEの施設で抑留されています。米国は、ICJ(国際刑事裁判所)でイスラエルを訴えた南アフリカのエブラヒム・ラスール大使も追放しました。しかし大使はケープタウン空港で市民による熱い歓迎を受け、「私はこの“ペルソナ・ノン・グラータ”(好ましからざる人物)という烙印を、誇りのバッジとして身につける」と語りました。アパルトヘイトと闘い、何度も拘束や自宅軟禁されたことのあるラスール氏は、明けないかに見える夜の長さを知っていると同時に、明けない夜はないことも知っているでしょう。
シャバットさんが、「ジャーナリストになりたい!」と目をキラキラさせて語るパレスチナの女の子を励ます動画が拡散されています。民族と正義に殉じたシャバットさんと無数のパレスチナ人の遺志を胸に刻み、「夜明け」に向かって行動し続けたいと思っています。
初出:「ピース・フィロソフィー」2025.7.12より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.com/2025/07/settler-colonialism-of-israel-and.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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