『脱原発』と「戦後との決別」をめぐって

加藤哲郎氏はhttps://chikyuza.net/archives/10288で〈「脱原発」は、日本の国家と社会のあり方の全般的転換、「戦後との訣別」を意味します〉といわれています。確かに「脱原発」は重要ですが、それは「戦後との訣別」を意味するのでしょうか。たとえば、沖縄が現状のままで、「戦後との決別」といえるのか。こんなふうに言うのは、揚げ足取りになるかもしれませんが、戦後と訣別するためには脱原発では済まないこと、また「原発事故」で問われているのは『戦後』という枠を超えた問題であること、を確認しておくことは無駄ではないでしょう。

「荒ぶる神の鎮め方」(内田樹氏)、あるいは「観察する理性」と『ムラの論理』
まず原発の問題を考えてみます。
福島から数万キロ離れたドイツでは人びとは早々に『脱原発』に踏み切りましたが、福島から二百キロ余の東京の政治家たちには、いまだにその決断ができません。
「自然科学的な理性」というものが存在するのなら、そもそも地震大国に原発を並べることには、何処かでブレーキがかかったはずですし、原子炉4基が爆発しても、なお原子力発電に執着するなどありえないことです。ですから今回の事態を見ていると、「この国に『自然科学的な理性』というものが根付いているのかどうか」疑問を持たずにはいられなくなります。

原子炉が爆発しても、日本では事態を国民から隠蔽することが優先で、有効な対策は二の次、三の次でした(注1)。ところが米国大統領が自国民に退去勧告をだし、その拡大を示唆すると、途端に菅首相たちは自衛隊に『命懸けで放水しろ』などと言いだします。
まず気にかかるのは、「強い者の御意向」であって、「自然力」のほうは、なぜか二次的にしか気にかかりません。しかしこの場合、アメリカがどれだけ強力な権力であろうと、「放射能」という『物理力』のほうが、直接的な脅威のはずです。「日本人は自然に対する畏怖の念がある」と言われますが、それはどうも「五感」で経験できる範囲の話で、「絶対的な自然法則」などというものは視野に入っていないのではないでしょうか。
これはどういうことなのか。内田樹氏は、「荒ぶる神の鎮め方」で次のように述べています。

(以下、一部のみ引用)
中東の荒野に起きた「一神教革命」というのは、人知を超え、人力によっては制することのできない、理解も共感も絶した巨大な力と人間はどう「折り合って」いけるかという問題に対しての一つの「答え」であった。
おのれの理解も共感も絶した存在に向けて、おのれの知性の射程を限界まで延長し、霊的容量を限界まで押し広げるという「自己超越」の構えそのものを「信仰」のかたちに採用することによって、人類はその宗教性と科学性の爆発的な進化を成し遂げた
爾来、一神教文化圏においては「主」を祀る仕方について膨大な経験知が蓄積されてきた。
原子力は20世紀に登場した「荒ぶる神」である。
欧米における原子力テクノロジーは、ユダヤ=キリスト教の祭儀と本質的な同型的な持つはずである。
それに対して、日本人はこれにどう対応したか。
最初それは広島長崎への原爆投下というかたちで日本人を襲った。
それは「神の火」ではなく、「アメリカの火」であった。
だから、日本人は「神」ではなく、アメリカを拝跪することによって、原子力の怒りを鎮めることができるのではないかと考えた。
それが日米安保条約に日本人が託した霊的機能だった
神そのものではなく、世界内存在であるところの「その代理人」「その媒介者」「そのエージェント」に「とりなし」を求める。
これはきわめて日本人的なソリューションのように私には思われる。
神仏習合以来、日本人は外来の「恐るべきもの」を手近にある「具体的な存在者」と同一視したり、混同したり、アマルガムを作ったりして、「現実になじませる」という手法を採ってきた。
日本人は原子力に対してまず「金」をまぶしてみせた。
これでいきなり「荒ぶる神」は滑稽なほどに通俗化した。
日本の人々は荒ぶる神を金儲けの道具にまで堕落させ、その在所を安っぽいベニヤの書き割りで囲って、「あんなもん、怖くもなんともないよ」と言い募ることで、「心のリスクヘッジ」を試みた。
そういう話型にすべてを落とし込むことによって、私たち日本人は原子力を「頽落し果てて、人間に頤使されるほどに力を失った神」にみせかけようとしてきたのである。
(引用終わり)http://blog.tatsuru.com/2011/04/07_1505.php

内田氏の論は、本質をついていますから、これ以上の説明は余分かもしれません。
しかし蛇足を許していただけるなら、第一に、「理性」の成立が「一神教」に依っていること、第二に、「(観察する)理性」は「普遍的なもの」(法則)の存在を前提していること(注2)、第三に、『神仏習合』的な日本では「普遍的なもの」がそれ自体としては認識されず、日本の『近代化』の過程でも、「普遍的なもの」が社会に受容されたとは言い難いこと、は付け加えてもよいでしょう。さらに、日本の西欧思想・科学の受容が、おもに『官学』によって、「国策」の一環として行われたことも付け加えるべきでしょうか。
こういっても「一神教が多神教にたいして優越している」と言いたいわけではありません。「一神教」的思考が行き詰まっていることは確かでしょうし、「原発問題は近代技術文明の限界を示す」という認識や、「神仏習合的文化を手掛かりにそこからの脱却を図る」という戦略が無意味だ、というつもりもありません。しかし、まずなすべきことは、私たちが属している文化の問題――たとえば『ムラの論理』が「観察する理性」に優越する事態――を、その文化の内側から批判していくことではないでしょうか。
いずれにせよ、「原発」の問題を「戦後」という枠組の中だけでとらえるわけにはいかないでしょう。
(内田氏の指摘のうち、「敗戦後の日本にとって核とは、そもそもどのようなものとして現れたのか」という点も大事なのですが――今日の日本にとって核はどのようなものとして現れているか、に通じる問題――ここでは論じません。)

沖縄、「従属国」日本、そして憲法
さて、「戦後との決別」の問題に移ります。
そもそも「戦後」という枠組の出発点とは、何処にあるのでしょうか?
もちろんそれには、様々な答えがありうると思いますが、昭和天皇とマッカーサー元帥の会談を出発点と考えることは可能でしょう。
「そこで何が確認されたのか」ということ以前に、(第一回)会談の際に撮られた(そして公開された)写真は「戦後体制」を公示するものとなりました。昭和天皇とマッカーサーの体躯の差は、そのまま日本と米国の圧倒的な力の差であり、昭和天皇の盛装とマッカーサーの略装という「服装」の差がそのまま「権力構造」であると受け止められたわけです(注3)。
さてその後、数回にわたる昭和天皇とマッカーサー会談で「何が確認されたのか」といえば、その一つが沖縄の処分であることは、言うまでもない(注4)。

このようにして始まった沖縄の問題が、六十余年立ったいまも、解決せずに残っています。基地の問題は、もちろん沖縄だけの問題ではありませんが、これらの基地が「日本の防衛のためにある」というのは、――「原発は安全」というより以上に――日本にとって根源的な「嘘」でしょう。
辺野古への移設に無理があり、米国議会からも「辺野古移設見直し論」が出ているのに、依然として菅政権は「辺野古移設」から一歩も出ようとしません。いったい菅氏は日本の首相なのか、米国の『代官』なのか(「だったのか」というべきか)。この事態が端的に象徴しているように、いまの日本の有様はあきらかに『従属国』です。
こうした状況からの脱却なくして、『戦後との決別』はあり得ないでしょう。

このように言うと、マルクス派の一部からは批判されるようです。「資本輸出国である日本は『帝国主義国』であって従属国ではない」(日帝自立論)といわれるわけですが、問題はこうした立場の前提となる「レーニン帝国主義論」の妥当性です。あるいは「レーニン帝国主義論」を「普遍化」することの妥当性というべきでしょうか。戦後まもなくギャラハーとロビンソンは、レーニン帝国主義論を批判し、「非公式帝国」と(形式的には独立している)「従属地域・従属国」との関係を論じています(注5)。こうした視点は、ウォーラーステインの「世界システム論」やP.Jケイン/A. G. ホプキンズの『ジェントルマン資本主義論』にも継承されていますが、「非公式帝国」/「従属国」については、また別の機会に論じたいと思います。

もう一つ、「戦後との決別」を問題にするとき、避けて通ることができないのが「憲法」でしょう。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という「憲法」は――日米安保と表裏一体をなして――米国への従属を誓約するものではないでしょうか。「左派こそ憲法をタブーとすることなく論じるべき時期に来ているのでは?」と思いますが、如何でしょうか。

(注1)先日(6月4日)広河隆一氏の話を聞く機会がありました。氏によれば、旧ソ連「チェルノブイリ事故」の際も様々な隠ぺいが行われています(たとえば公式被害者数は呆れるほど少ない)。しかし避難の計画立案と実施は極めて迅速に行われたとのことです。しかし自称「民主国家」の「民主党」政権が行ったことは、「安全だ」という嘘の情報で、人々の避難を止めることでした。
(注2)第一点と第二点に関しては、「精神現象学 (C)理性 A観察する理性 a 自然の観察」、ならびに同書(翻訳)岩波版の金子武蔵 の総註p.663以下を参照。
(注3)写真は1945年9月27日に撮影され、29日に新聞発表されたもの。この写真の受け止められ方については、松本健一「昭和天皇伝説」(朝日文庫 p.120~p.127)を参照。
(注4)「この日[1947年9月19日]、マッカーサーの政治顧問であったシーボルトに対し[会見の通訳となった]寺崎から、「二五年から五〇年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション」のもとで米軍による沖縄占領の継続を求める、という天皇のメッセージが伝えられたのである」(豊下楢彦「昭和天皇・マッカーサー会見」岩波現代文庫p.107~108)。[ ]内は引用者による補足。
(注5)ここでは、ギャラハーとロビンソンの「自由貿易帝国主義」から二つの文を引用する。
「イギリスが、一九世紀を通じて、厳密な国制的(コンスティテューショナル)意味での領土の獲得に劣らず、「非公式的帝国」informal empire によって、海外に膨張していったことは、別に目新しいことではないはずである。」(「自由貿易帝国主義」御茶ノ水書房「帝国主義と植民地主義」所収p.130)
「自由貿易帝国の政策を、通常「貿易すれども統治せず」と要約するが、それは「でき得る限り非公式な支配によって貿易をし、やむ得ない時には、支配して貿易をする」と読むべきなのである。」(同上 p.154)
なお、このサイトでは、孫崎享氏の「(日本が)去勢の結果、管理出来ず利益出ない国になれば[アメリカにとって]元も子もない。米国経済界その危険に気付き始めたのでないか」https://chikyuza.net/archives/10385という分析が示されており、さらに浅川修史氏がこれを「鋭い指摘だと考える」としている。
「自由貿易帝国主義」を読むと、『従属国』の「直接支配」が、しばしば、かえって管理を困難にし、本国の利益を減少させることに、あらためて気付かされる。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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