札幌の中野さんの『護憲運動への疑問』を読んだが、その護憲の学者が何を論じているのかが具体的に全く解説されていない。それもあって中野さんの『馬鹿じゃないか』という感想が浮いているのだが、その状況そのものはわからなくもない。
僕は最近、第九条に凝っている。特にマッカーサーの3原則からGHQ憲法草案グループへのコミュニケーションの問題についていま書いているところで、ケーディスや若いグループの連中が、ヒロヒトの訪問時にかぶれてしまったマッカーサーと右翼のウィロビーに対して恐れることなく、しかしレトリックとしての『民主憲法』をでっち上げたのではないかという仮説を持ち出している。幣原たち翻訳者側は天皇条項では天皇制リベラルの立場で正直に格闘したといえる。特にthe japanese peopleを日本人民ではなく『国民』に押し込めた点ではさすが天皇制リベラルどもだと非国民としては感心してしまうんだね。
僕は護憲運動そのものが現在どういうものかはわからない、というのは日本人というのは芯から帝国主義的な連中で、外国でも『日本では、日本では』を繰り返すエスノセントリックで不器用なナショナリズムから離れられない『日本集団』主義者なのだ。企業の連中も、学者連中も、みんなそれ。おまえ、日本を宣伝しに来たのかよ、と思わせてくれるやつばかり。そういう連中の使う意味での『護憲』は、要するに「憲法前文」の意味が全くわかっていない反憲法主義者のものなのだ。こういう連中は神輿担ぎの神知らずによく似ているわけだが、中野さんの説明では現在の『護憲運動』というものの実態を知らない『ちきゅう座』(まさか恥丘座じゃないよね)の読者にはその『護憲運動』を体現する学者の像がきちんと伝わってこないのである。
最近、天皇の侍従の手記が騒がれているのだが反省、反省、反省、、、しかし、全くそれはReflection ではないよね。ヒロヒトは、木戸孝一が手記に残したように戦勝の続いているときには危機と喜んでいた。負け始めたら悔しがり、軍を叱り、近衛を叱り、そのうち負けが込んできて沖縄決戦となるとどうでもよくなり、負けた時点で後悔を始めた。そう、完全に後悔であって、1945年9月27日にマッカーサーに会ったときには『俺の責任じゃない軍部と国民の勢いに負けたのだ』風に言ったに違いなく、それは実際憲法に反映しているのだが、憲法草案グループも、その天皇を見抜いていたということはできるだろう。反省などは何処にもないのは文庫本の加瀬氏が書いた『天皇家の戦い』でもわかるだろう。
第九条については法思想史的にではなく実定法的に解釈しないとわけがわからなくなる。国家の武装は憲法違反ですよ、違憲立法の機能は完全に右翼に抑えられていますけど、民間武装で抵抗権も可能であればレジスタンスも可能ですよという説明は不可能ではない。
ちきゅう座界隈には広松さん担ぎも多いけど、広松さんの精神は、読解への集中力を磨きなさいと言っている。ドイツ旅行もいいけれど、読みのない旅行は『馬鹿じゃないか』と言っても良い。国内でも何処でも、zeit.de やjungewelt の記事を開いてしっかりと読み込むことはできるのだ。広松さんはそういう時代が開けた矢先になくなった。
今後も僕は第9条の実定法的な読み方を考えて行きたいし、それは「護憲」につながると思う。ただし、既に何年も前から『日本国民』を驕慢の民であると確認し続けているので、この『護憲運動』をそいつらと共有する気はない。1964年頃からの日本人の驕慢化から脱して、彼らがみずから、海外で作った子供たちの現在の存在をわがこととして受け入れることができるまで成長することを祈るばかりだ。中野さんの感想は片手落ちな感じを受けるが、議論を誘ってくれる分だけ、現在の左翼メディアにはない空気を含んでいるだろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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