内田マルクスの歴史理論
日本は幕末以降に欧米の列強と交わり、前代の徳川封建制から近代資本主義へ、そしてそれを乗り越える社会主義へという歴史意識を生んだ。それが20世紀も末になって、ソ連を中心とする社会主義陣営の崩壊と東西冷戦の終結以降、どこからどこへという単線的な移行の意識は薄れてしまった。資本主義陣営の内部では歴史的文化的な土壌を異にするさまざまな資本主義の制度比較や資本主義の環境適応の仕方に目が向けられるようになり、新たな歴史作りの方向を探りつつある。また以前からのことだが、非ヨーロッパ諸国では西欧の近代を参考とするだけでない別の歩みを進める動きが、そして世界的には東西体制と南北対立を超えた地球環境問題も出てきている。内田の経済学史研究はこういう新たな問題にもかなり答えてくれるのだが、新たな世代には新たな時間と空間の見方が必要となろう。以下でそのことをも頭に入れつつ、『世界』におけるマルクス歴史理論の中身を開いてみたい。内田はマルクスを単なる発展段階論者と見てはいない。
(1)『資本論』を1-3部構成とつかむ
まず「資本論の世界」の「世界」の内容は大づかみに言うとこうである。内田は近代資本主義がそれまでの私有財産制と異なって独自であることを強調した。資本主義は前代の封建領主のように財産をただ持つことに甘んじておれないのである。土地を所有する領主は領民から地代や年貢を強制的に取りたてて政治権力を行使するが、近代の資本所有者は他の資本との競争上、不断に経営を革新して生産力を発展させねばならない。その結果、大工業が生まれ、資本は自然を掘り尽すまでに開発し、労働者の能力を多面的に発揮させる。また労働者は資本と法的に契約するさいには対等に向かい、家庭や街では賃金を自分の意志で消費する。だから労働者は自由に動くように見える。これが近代に独自な事である。だが他方で、賃金は生産力の発展に比例して上がることはなく、自由時間も得られない。人間的な労働は工場や農場で資本によって直接に管理される。自由な消費が終ると労働者は再び会社に向かわねばならない。労働者はこの点で資本に間接的に支配されていると言える。近代資本主義は財産所有者による労働者の支配という点ではこれまでの私有財産制である古代の奴隷制や中世の農奴制と変わるところはないと言えよう。
アメリカの南北戦争は以上のことを目に見えて示したのであった。ここで『資本論』初版の「序言」における南北戦争への言及の意味が明かされる。アメリカ南部のプランテーション主は奴隷を使って綿花を栽培していたが、北部の近代的工業資本と戦争になる。それに対してイギリスの綿工業資本は、歴史的には地主貴族と闘って議会の構成を改革したり穀物法を破棄してきたのだが、アメリカ南部の農場主に対してはその利害を支持する。近代的産業資本が古い土地所有と同盟して人間を支配するのである。ヨーロッパの労働者階級はそのことを嗅ぎとって同盟に対抗した。戦争によって南部の綿花はイギリスに入ってこなくなるが、それは綿業主だけでなく、綿業労働者にとっても賃金や雇用の面で苦しまされることになる。でも労働者は目前の利害に縛られず、大義のために北部を応援した。リンカーンが奴隷解放を宣言し、マルクスはそれを応援する。内田はこういう事情を知って、近代資本主義はそれまでの私有財産制と異なる特性をもつが、人間支配の点では同じだと捉えたのである。国際間では「近代」は「前代」と手を結ぶことがある。これは世界史を見るうえで重要な着眼点であった。
以上の洞察が『資本論』を1-3部構成とつかむことにつながるのである。それまでのスミスやリカードの古典派は社会をいきなり3つの階級(地主・資本家・労働者)に分けて総生産物の生産と分配の仕組を研究していた。マルクスは彼らと違って、『資本論』第1部で社会を大きく資本と労働の2階級に分け、剰余生産物が労働者によって剰余価値として生産されて資本家に搾取される仕方を研究する。その後で第3部において剰余価値が資本家以外の他の諸々の所有者に分配される仕方を研究していく。それが価値の生産価格への転化を前段とした商業利潤・利子・地代の理論である。内田はこういう1-3部構成の立場にたつので、賃金は古典派のように分配分の一つとして扱ってはいない。以上が「世界」の内容である。
ところで内田は第3部自体を競争による物象化の観点から独自に検討することはなかった。また利子生み資本論でのように自由企業が株式会社となって私的所有の範囲内で私的所有を乗り越えるという見方――現代資本主義論、第1部より具体的な社会主義像の提示――をとりだすこともない。その点では「世界」の内容に欠けるものがある。それに内田は第2部再生産論の意味を知ってはいても独自に取りあげていない。再生産は個々の企業における資本と労働との関係のなかで、あるいは全体としての資本階級と労働階級との関係のなかで考察されるが、産業部門間で社会的に行われる再生産としては考察されていない。この再生産論の不備は彼のスミス論でも同じであった。平田のケネー論『経済科学の創造』(1965年)がそれを批判して出てきていた。
さて近代工業資本の革新性の実態についてはマルクスの時代を越えてもっと検討すべきことがある。前にも述べたが、テーラー式科学的管理法やフォード式流れ作業、日本における戦前・戦中の大河内正敏による科学主義工業、そして戦後のトヨタ看板方式(管理における指揮統制と提案改善の2重性、工場内の在庫ゼロをめざした不正規の期間工雇用)、地球規模での多国籍企業間の提携など。……内田はそれらの現代的に進化した経営を見てもそこに体制の貫徹を見ようとしたであろうが。
(2)唯物論は諸個人の意欲や倫理的・法的な行為を認める
マルクス主義の唯物論は自然史とは別の人間社会を対象とする。内田もそのことに同意するが、注意すべきことは、社会の中で動く諸個人の目的設定や意欲を認めていることである。その点で人間は生き生きとつかまれる。マルクス経済学者のある者は人間の心理を分析したり思想の歴史を追うと、それを唯物論でないブルジョア理論だと批判することがあった。だがそれは粗雑な批判であった。内田はその心理的動因をまず認めたうえで、その総結果は個々の目的設定と異なってくると捉えるのである。そしてその原因と結果の連関をたどるのが歴史だとした。こういう歴史の見方は大塚久雄の歴史叙述の方法と類似していることが分かる。そうすると個々の目的設定の背後で規制するもの(下部構造)が特定できる。それがもろもろの経済的範疇であり、専門術語である。社会の歴史を自然史的に客観的な経済過程とつかむ(『資本論』初版「序言」)とは以上の意味においてなのである。これは内田が特に強調したことであった。
さて内田は経済過程を法律や政策の面での階級闘争と関係させていく。彼はその例としてマルクスの工場立法論を取りあげたが、その理解の仕方は次のように主体的であった。イギリスでは19世紀になって労働者を保護(=保全)する工場法が成立するが、その立法は議会で人間が意識して行なうから主観的だとしても、そうせざるを得ない客観的で必然的なものがあったと言える。でも工場主らの支配階級は(自由主義経済学者やマルサスも含めて)その実現を邪魔した。だから労働側はそれに対して意識的に抵抗する。この間、ブルジョアに対抗していた地主政府やトーリ―は彼らの敵の敵である労働側についたり、R.オーエンが仁愛的かつ合理的な経営者の立場から工場法の改善に協力したことはよく知られている。イデオロギーは下部構造に究極的に規定されるとよく言われるが、以上のことが内田も言うように真の意味なのである。土台と上部構造は直接つながるのでなく一応区別されねばならない。前にも出しておいたが、範疇の人格化ということは範疇に含まれる2者闘争性を乗り越えることを含むと考えねばならない。内田はこのことを強調した。彼はこの点で大河内一男の生産力論とは異なるのである。大河内は労働立法は資本制経済の再生産過程から出てくる必然なことであり、労働運動なくしても可能と考えるべきだとまで言うことがあった。それは工場法の実現を歴史的な必然とおさえる点で優れているが、それだけでは一面的であり、人間の意識的な行為が立法の媒介になるのである。
労働立法は資本の行動を規制するから労働者は経済的な利益を得るが、内田はそれだけでなく、規制は市民の全人間的存在(生存・労働尊厳・正義・政治参加等)に関係するとおさえた。このことは過労死を生む今日でこそ必要な視点であろう。マルクスの方も工場法は労働時間を短縮させるから、労働者は自分の労働時間の主人公になる、そして権力を得ようという道徳的エネルギーを得ると、積極的に評価していた。日本の労働運動はそこから学ぶべきものはあったと思う。
(3)歴史の複数性の可能性
内田はマルクスが1850年代に東洋に関心をもったことに注目する。人間にとって資本主義とは何かという問題は非西欧諸国にとって資本主義とは何かという問題でもあった。マルクスは初期の『共産党宣言』までは西欧の資本循環が非西欧地帯を文明化するとその積極面を認めていた。この頃のマルクスはまだ非西欧諸国が独自に歴史を開くものとは見ていないのである。彼にとっての国際問題はドイツをイギリス並みにすることであった。その点ではF.リストも同じであった。19世紀前半のドイツはイギリスよりも遅れた農工状態にあり、リストはそのドイツをイギリス並みの商工業国にしようと保護貿易を主張していた。しかしマルクスはリストがゴールとしたイギリスが抱えていた問題、つまり資本主義下では財産が人間を支配していることを自分の問題とし、人間のために財産をおき直そうとしたのである。マルクスはその立場からドイツは先進のイギリスに学ぶことができると考えた。内田はそのマルクスを受けいれる。でもここで注意!その考えが妥当する場合は非西欧諸国がイギリスに追いつくだけの多少とも力のある産業国――粗雑な工業をもつ農業国または幼稚産業国――である場合だろう。その産業国でない場合に問題が発生する。
マルクスは50年代の中期から60年代以降の後期および晩年にかけて、非西欧が西欧と異なる歴史をあゆむ可能性を考えるようになる。内田は『世界』で後期マルクスの『資本論』を取りあげ、そこでのマニュファクチャ論においてインドは停滞社会とみなされているのをあげたが、マルクスの方はそれと異なる見方を次第に出していったのである。中期の論文「イギリスのインド支配の将来の結果」ではイギリスの綿織物と自由貿易がインドの共同体での家庭内綿業と生活を破壊し、その上に新たな生産力がイギリスの電信化と私的所有制度・蒸気鉄道によって作られると予測したが、他方で彼はセポイの反乱がインド人自身に歴史形成力があると認めてもいた。内田はどうか。彼はインド共同体や狩猟民族は「協業」的労働をしているとか、その原因は人間が種族に埋もれていて生産手段を「共有」していることにあると、共同体を理解する姿勢を見せるが、協業や共有は私的所有や資本主義の観念から出てくるものであり、共同体に固有の労働交換=「結」や「総有」の観念とは異なる。(結や総有の現代的なありかたにも彼の思いは及ばない。)よく見ると、マルクス以前から、西欧資本による非西欧の文明化作用や共同体への私的所有の適用が現地の土地収奪を正当化していることが知られていた。日本では矢内原忠雄が戦前に日本の朝鮮・台湾の植民地経営を調べてそのことを指摘していた。斎藤日出治の論説「海南島における日本人の「学術調査研究」と植民地責任」も問題提起的である。内田は『生誕』のルソー論でそのことを注記することがあったが、固有に展開することはなかった。その点では大塚久雄の『近代欧洲経済史序説』の小生産者的発展論における注記(――このことは斎藤英里氏から教えられた)と同じである。川島武宜は法社会学の立場にいたから歴史理論的な大塚史学や内田学史と少し異なる見方をしている。晩年の70年代のマルクスがフランス語版『資本論』やザスーリチ宛ての手紙において、ロシア等の共同体を研究して複数の歴史の可能性を問題としていったことを忘れてはならない。
労働運動や階級闘争が歴史の複数性を自分の問題とすることはあっただろうか。私はまだ確かめていない。
(4)個体的所有の再建と物質代謝の再建
内田は『世界』で社会主義は「個人的所有」を生む――生むでなく再建するが正確である――という規定を『資本論』から掘り出している。マルクスは『資本論』の各論理次元で新しい社会のありかたを推定しているが、資本蓄積論では人間個体の「自由」に関わらせていた。つまり自然と社会への埋没から脱した人間が資本主義経済の矛盾的展開のなかで主体としての自己を回復するということであった。この個人的所有論を社会的に定義するとどうなるか。内田はこう答えている。生産者が生産手段と生産物を所有するようになると、生産力の発展は労働日の短縮や生活水準の上昇、次年度の生産的投資や保険となって現われるが、その配分を決めるのは生産者の意志である、と。それは『経済学史講義』(1961年)における「最後の鐘が鳴る」規定――個別的な私的所有の資本制的私的所有への転化、資本制的生産における協業と生産手段の共同占有を土台とした資本制的私的所有の克服――とはちょっと別のものであった。「個人的所有」と言えば、平田清明の鮮烈で画期的な論文「社会主義と市民社会」(1968年)が頭に浮かぶが、内田のこの発掘はそれ以前のことである。もっとも私はどちらかに優先順位を与えようとする者ではない。内田と平田は常日頃から意見の交流をしており、平田は『社会思想史概論』(1962年)におけるマルクス論で実質的には内田と同じようなマルクス社会主義像を出していたことに留意しておきたい。
マルクスの「個人的所有」論は労働運動と階級闘争の問題であることは見やすい。ではもう一つ、以下のことも階級闘争に入らないであろうか。
内田には別の重要な社会主義規定の発掘があった。それは資本主義で攪乱された人間と自然との物質交換を再建するというものである。これは当時の環境破壊に対する批判として、また再建の実践として、もっと展開されてよかったと思うが、それは彼の晩年にかけての仕事になる。『世界』が出た翌67年、雑誌『思想』は『資本論』100年と『帝国主義論』50年を記念する特集を組んで自然科学者と文学者による座談会を開き、そこで野間宏が『資本論』から同じ箇所を取りあげることがあった。ここでも内田と野間の親密な交友からしてどちらかを先行者とすることには意味がないであろう。内田は『世界』で大地への関わり方が迂回的になればなるほど大地の可能性は深く利用されることになって大地のもつ意味は大きくなると述べたが、その意味をもっと具体的に示してよかったと思う。資本制的農業における地力の枯渇や鉱物資源の取りっぱなしとその再生不可能性など。この点ではJ.S.ミルの『経済学原理』(1848年)における短い1節での議論が参考になる。内田の人間・自然論は『世界』ではまだ全体として工業的加工の発想が支配的であり、農的に自然の生命力を保持するという見方はないようだ。彼が参加していた以前の技術論争では農業技術には工業と異なって暦があることは知っていたのだが。
これまでの「生産力」の考え方に修正が必要である。人間の生産力は大地や海がもつ自然生命力に聞いて発揮されるべきであろう。
エンゲルスは『自然弁証法』のなかで人類史における労働の役割をマルクス的に論じていたことは前述した。注意すべきはその後の論述にある。エンゲルスは人間が自然を支配したと思ったのは傲慢であり、森林の刈り尽しが洪水と砂漠化を引き起こして自然からしっぺ返しを受けたのだが、その度に人間は自分が自然の真只中にいることを思い知らされると書いていた。ふり返ってみれば、マルクスやエンゲルス以前に、17-18世紀の近代科学はすでに自然界は土の中の分解者と地上の植物界、そして動物界の間で物質を借りたり返したりしていることを、つまり循環していることを発見していた。また先端の農業は輪栽農法によって地力を永続させる仕組みを開発していた。その時代の経済学はケネーやスミスのものであるから、彼らは自然をどう捉えていたか目を向けてよいであろう。近代と言えば自然支配とおうむ返しをするだけではそれこそ近代からしっぺ返しを受けてしまう。近代の学び直しが求められる。
以上、内田の『世界』は今の問題を考えることにも幾つかのヒントを残していると思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study917:171207〕