『週刊金曜日』発行人兼(株)金曜日社長就任ご挨拶  植村隆

著者: 植村隆 : ジャーナリスト
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ご挨拶

みなさま、9月26日に『週刊金曜日』発行人兼(株)金曜日社長に就任しました植村隆です。1982年に朝日新聞に入社し、32年間、記者をしました。2014年に『朝日新聞』を早期退職した後、16年3月から韓国カトリック大学の客員教授をしております。これからは、韓国の大学教員と『週刊金曜日』の責任者を兼ねることになります。日韓間をLCC(格安航空会社)便で行き来しながらの二重生活となります。

北村肇前発行人兼社長から、9月6日に「後任を引き受けて欲しい」と頼まれました。しかし、それは「平穏な社長業」ではありませんでした。リスクを伴う仕事だというのです。誌面にも、こう書いてありました。「いま『週刊金曜日』は経営的に極めて重大な事態を迎えております。このままでは廃刊の危機もありうる」。社員の賃金引き下げが決まり、経費削減・身を削りながら、再建を目指すというのです。『週刊金曜日』は1993年の創刊以来、人権や平和、言論の自由を守るために、果敢にペンを執ってきました。私はそのぶれない方針に共感を抱いていました。「リベラルなジャーナリズムの灯火(ともしび)を消してはならない」という思いと正義感から、後任を引き受けることにしました。私は「社員の中で一番低い給与にして欲しい」とお願いしました。

私自身、『週刊金曜日』の報道に勇気をもらい、闘い続けることができるようになった人間です。私は1991年、『朝日新聞』大阪本社版に韓国人元「慰安婦」に関する記事を書きました。この記事をめぐり、右派メディアを舞台に元東京基督教大学教授の西岡力氏や国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏から「捏造」という誹謗中傷を繰り返し受け、2014年から、激しい「バッシング」を浴びました。そして、私の人生が狂いました。就職が決まっていた女子大への抗議が相次ぎ、結局、転職を断念せざるを得なくなりました。娘を「殺す」という脅迫状まで届きました。

絶望的な状況の中、この「植村バッシング」を最初に詳しく伝えてくれたのが『週刊金曜日』です。「元『朝日』記者の社会的抹殺を狙う“テロ”を許すな」(2014年9月19日号)でした。そして、その後も数々の記事が掲載されました。2016年3月11日号では、伊田浩之編集記者がこう報じました。「植村氏が『捏造記者ではない』ことは本誌が具体的な証拠で論証してきた」。実際、その後の法廷でも、西岡氏や櫻井氏が私を「捏造」としていた根拠をデッチあげていたことが明らかになってきています。本日発売の9月28日号は、それについて詳しく報じています。西岡氏や櫻井氏は、私をスケープゴートにして「慰安婦」問題を否定しようとしたのです。証拠面からも、私が「捏造」記者ではないことが、はっきりと証明されました。「植村バッシング」の背景には、排外主義の広まり、ヘイトスピーチの蔓延があると思います。私のようなことが二度と起きない世の中を作りたいと思っています。

いま日本では、憲法改悪に向けた動きが本格化しつつあります。本誌編集長の小林和子は「私たちは、市民のみなさんといっしょに9条を守り、憲法をとりもどすためにたたかう覚悟です」と訴えています。私は社長として、この方針に強く共鳴し、支えていこうと思っています。

『週刊金曜日』に救われた私が今度は、経営危機に直面した『週刊金曜日』の再生の先頭に立つことになりました。言論人としての私の新たな人生の始まりです。「憲法を守る!『週刊金曜日』を守る!」というのが、私の新スローガンです。みなさま、『週刊金曜日』を応援してください。どうぞよろしくお願いします。

2018年9月28日

『週刊金曜日』発行人兼(株)金曜日社長  植村隆