最近よく「後方支援」という言葉を耳にします。
「後方支援かぁ、最前線じゃないからまぁいいんじゃない」というとんでもない妄言まで飛び交っているようです。歴史から学ばないというのはこういうことかと思います。
最前線の戦場と同時に、後方支援という戦場もあります。最前線の戦場では主に敵味方の兵士が犠牲になりますが、後方支援の戦場ではそれに加えて市民、女性、こどもたちまでもが犠牲になります。私たちはアメリカとの戦争でそのことを体験したのに、すべて忘れ去られているようです。
近代国家となった日本が最初に後方支援を行ったのは西南戦争のときでした。当時の日本軍に輸送用艦艇などありませんから、明治政府は岩崎弥太郎の三菱から商船を借りて将兵を積み、鹿児島まで輸送しました。日清日露戦争で日本は後方支援の確保に闘いの勝敗を懸けます。鉄道で広島に集めた部隊を輸送船で釜山に送り再び鉄道で満州に送るのが日本軍の兵站線でした。玄界灘は日本のアキレス腱になります。近衛歩兵第一連隊の将兵約千名は常陸丸で輸送中にウラジオ艦隊に捕捉されて撃沈され全滅します。これが常態化したら日本の兵站は壊滅するはずでした。だからこそ日本は必死で旅順要塞を攻略して湾内のウラジオ艦隊を沈め、そして国運をかけてバルチック艦隊を迎え撃ったのです。すべて後方支援のための作戦でした。
第一次大戦の大西洋と地中海でも日本は後方支援作戦に従事しています。連合国の商船が何千隻もドイツUボートに撃沈される中、日本も30隻あまりの商船を喪い、地中海では日本の護衛艦は連合国の輸送船に迫る魚雷をわが身で遮って自爆します。後方支援部隊に対する「通商破壊」という戦略の過酷さを欧米は身をもって体験しますが、その教訓は日本にまでは届きませんでした。
第一次大戦時のアメリカの輸送指揮官にフーバーという男がおり、のちに大統領になります。フーバーはアメリカの対日戦争戦略を考察しています。日本の陸海軍とも極めて強力だが、唯一最大の弱点は後方支援の脆弱さであり、日本の後方支援を叩くことで日本軍に打撃を与えられる。
アメリカはその戦略を実行します。だから真珠湾攻撃の直後、アメリカ軍が発動した最初の命令は「無制限潜水艦作戦」すなわち日本の船は民間船だろうがなんだろうが無制限に沈めろという「通商破壊作戦」の発動でした。
昭和17年5月に撃沈された大洋丸という船があります。大洋丸には南方派遣に選抜された官僚や技術者、三菱商事、三井物産、岩井商店、鐘淵紡績、小野田セメント、江商などの選りすぐりの人材が乗っていました。南方の占領地での資源開発や農業再建、工業生産などの技術指導を行う予定の人材でした。この船はなんと早くも長崎沖で撃沈され、800名以上が犠牲となって日本の南方経営は頓挫します。
終戦時までに日本は2568隻の商船と5000余の小型船舶を撃沈されます。南方で採取した鉄鉱石を満載した輸送船は一発の魚雷で簡単に沈み石油は爆発炎上しました。それでもかろうじて日本に届いたなけなしの資源で生産した大砲や戦車、弾薬や医薬品、食料は最前線に届く前に将兵もろとも撃沈されました。戦争の全期間を通じて陸海軍将兵の戦死比率は10~20パーセントであるのに対して船員の戦死率は40~50パーセントに達します。民間人の犠牲も多く、沖縄の学童と教員が悲劇の最期をとげた対馬丸もその中の1隻でした。病院船の看護婦も犠牲になりました。
後方支援の戦場こそ、最大の殺戮の戦場だったのです。歴史から学んでいないとこういうことはわからないのです。安倍政権が「最前線ではなく後方支援の戦争」に参加するぞと言っているのはつまり、「兵士だけではなく民間人、市民、女性、こどもまでも巻き込んだ大殺戮戦争」をおっぱじめたいと言っているのと同じことなのです。「後方支援かぁ、最前線じゃないからまぁいいんじゃない」というのはそれほど愚かなことなのです。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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