聞き手・今村優莉
「辺野古基金への関心が高まって欲しい」と話す菅原文子さん=山本和生撮影
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古(同県名護市)移設を阻止するため4月に作られた「辺野古基金」に、全国から1億1900万円を超える寄付が寄せられた。その共同代表の一人が、昨年11月に81歳で亡くなった俳優菅原文太さんの妻、文子(ふみこ)さん(73)。「現政権への不服従を示すため」に代表を引き受けた思いと、文太さんと平和について語った日々を振り返った。
特集:辺野古埋め立て
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初めて辺野古に行ったのは約5年前です。以来、菅原と一緒に沖縄に行くたび足を運びました。白い砂浜に突き刺さる鉄条網に強い違和感を持ちました。
昨年11月、菅原は沖縄県知事選で翁長雄志知事の応援演説をし、こう訴えました。
〈政治の役割は二つあります。一つは国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと〉
結婚生活47年。菅原とは「同志的連帯」みたいな感じで、仕事を選ぶ時も社会にとって良いことか、ということで選んできました。私が彼から教わったのはジャズとボクシングと格闘技の知識くらい(笑)。忙しい彼に代わり、新聞や本を読んで気づいたことを「いまこんな事が問題みたい」と伝えると、彼は「おお、そうだな」と。そんなふうに2人でやってきました。
県知事選応援は、菅原が自ら願い出たことでした。壇上では、彼が口述し、私が大きな字で書いたメモを持っていました。
〈沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も、空気も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。勝手に他国へ売り飛ばさないでくれ〉
沖縄の基地問題は、憲法や人権の問題なのです。戦後70年間耐えてきて「もっと我慢しろ」と言う権利が誰にあるのでしょう。税金を払う者として、諸外国との同盟のために国民の生活を軽んじる政治姿勢に信託することは出来ません。
晩年、菅原は、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をし、安保法制の整備を進める安倍政権の動きを心配していました。「子どものころの雰囲気に似てきた」と。軍国主義時代に生まれ育ち、死ぬときも軍事国家に向かおうとする国で一生を終えるのか、と先行きを憂えていました。演説でも体験を語っています。
〈私は小学校の頃、戦国少年でした。なんでゲートルを巻いて戦闘帽をかぶって竹やりを持たされたのか。今振り返ると本当に笑止千万です。あの雨の中、大勢の大事な大学生が戦地へ運ばれて、半数が帰って来なかった〉
原発事故が解決していないのに原発を輸出したり、武器輸出三原則を撤廃したり。「日本を取り戻す」とは言うのに、沖縄に対しては冷たいまま。北風政権だと思えてなりません。
私は敗戦の時、3歳でした。小学校の遠足では先生が戦争孤児に弁当を分けていましたね。同級生は「お父さんが戦死した」と話していた。ある日突然、今日のような世界が生まれたわけじゃないんです。
沖縄は、もう少し早く終戦を決断していればあれほどの犠牲を払わずにすんだ。サンフランシスコ講和条約を結んだ後もアメリカの統治下に置かれ別扱いされた。これを差別と言わずに何というのでしょうか。
基金が集まれば、温かい心の「仁」と正しい行いの「義」のある使い道を、みんなで考えていきたいと思います。そろそろ日本全体で米軍基地の移転先について議論を盛り上げる時ではないでしょうか。(聞き手・今村優莉)
■辺野古基金、13日に初総会
辺野古基金は、新基地の建設阻止を目的として、沖縄県議会の与党議員や経済関係者らが中心となり、4月9日に作られた。企業や市民などから県内外問わず活動資金を募り、米国メディアに意見広告を出すことなどを検討している。今月13日に初総会を開き、基本計画を作る予定。
1日現在、基金の共同代表には、沖縄県内でスーパーなどを展開する金秀グループの呉屋守将会長ら経済人のほか、元外務省主任分析官の佐藤優氏らも就任している。事務局は、098・943・6748。