【汚染水を流すな! 福島→東京キャラバン】 の報告 (9.6郡山出発→9.11東京・霞が関)

6日(水)第1日目は大雨。昼過ぎ郡山を出発→三春町→東海村→水戸泊。

車の到着が大幅に遅れてしまったことから、日帰り予定の H さん不参加は残念。軽ワゴン車に3名、三春町「まほら」の屋根のある駐車場で看板取付けを完成し(木枠を作ってくれたSGさん、素敵な看板デザインのSさんに感謝)、いよいよ出発。豪雨で結局いわきスタンディングはあきらめ、水戸まで直行。避難者でもある、何年かぶりのKさん夫妻に会えた。どうしたって事故直後の話になり、ザワザワ感がたちまちよみがえる…。でも、私ら、これを忘れちゃいけないよね。あちこちで本当のことを話そうね、忘れないように書き留めておいた方がいいかもよ〜などと。お互いに身体に気をつけてやっていこうね。

 

7日(木)水戸→東海村街宣→我孫子駅前街宣→成田・日本山妙法寺泊。

この日は天気に恵まれて街宣もやりやすかったが、予想外に移動に時間を取られてしまった。夜7時半にやっと三里塚・日本山妙法寺道場に到着。庵主さんのご両親に温かく迎えていただいた。由季庵主さんは3.11には必ず福島入りして、私たちの主催する集会とデモ行進に参加されている。今日は、やはり福島から行進中でお会いはできず。(9.11新橋で会いましょう)

ささやかな、しかし、いくつもの祈りが大きな流れとなって、フクシマの ’本当の復興’ への道が開かれますように!

 

8日(金)浦和駅前街宣。台風の影響下、横から吹き付ける風雨で全身びしょ濡れ。寒くなってしまったが、車中の温風で乾かす。→高崎駅前金曜行動参加。311直後、緊急避難先が肉親のいる高崎だったことから縁があり。高崎・G労組事務所泊。

 

9日(土)群馬の森「朝鮮人慰霊碑」訪問。この追悼碑が撤去されようとしていて、現在裁判中だ。→「藤岡の関東大震災100年 朝鮮人犠牲者慰霊祭」に参加。虐殺犠牲者の遺族の言葉のあと、慰霊の舞と慰霊の歌。歌は李政美。→滑川町「ギャラリーかぐや」。戻って、高崎・T農場泊。

 

10日(日)熊谷駅前街宣→「道の駅はなぞの」街宣→川越駅西口デッキ街宣→所沢駅東口街宣→北朝霞駅発「さよなら原発・戦争、朝霞デモ」参加&一部コール。最強行の日。クタクタ。練馬・Tさん宅泊。

 

11日 (月)埼玉地裁「サンケン裁判」の傍聴&尾澤孝司さんの判決公判集会参加→東京・新橋駅でイ・ウオンニョンさんらと合流→テント広場での集会参加→キャラバン慰労会→郡山・帰宅。

経産省前テント広場 12周年。そして、イ•ウオンニョンさん の1600km徒歩行進の最終日。皆さんとの合言葉は「汚染水を海に流すな!」

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今回、特に「原発再稼働に反対する埼玉連絡会」のSさんには、お世話になりました。「平和を守る市民ネット」「さようなら原発川越の会」「所沢への福島原発汚染土持ち込みを考える市民の会」「さよなら原発in所沢連絡会」の方々も駆けつけてくださいました。各所20~30人も集まって下さった皆さんに、心より感謝いたします。ありがとうございました!

二日目までは三春町の写真家・飛田晋秀さんが同行し、マイクアピールもされました。「本当のフクシマ」を伝える写真・大15枚をお借りしてミニ(路上)写真展を兼ね、ずっとキャラバンを盛り立ててもらいました。視覚に訴えることはとても重要。バナーも数枚用意し、多くの通行人に足を留めて見てもらいました。

もっと綿密な計画を…等々の反省点は、少なからずあります。‘れっきとした高齢者’(←娘の表現)の私たちでしたが、ともかくも強行軍を無事にやり抜きました。同乗してくれた方々が「珍道中だったけど、面白かったヨね」といってくれるのが救いです。

浪江の海を背景にした車上の看板は、とても好評でした。これをもっと使わない手はない、と思っています。次は1、2泊でいいから近隣近県をまたキャラバンしたい。興味のある方はぜひご一報ください。(黒田節子・記)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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