いかれた 時代の日本の最期?を見とどけた男

著者: 大木 保 おおきたもつ : 心理カウンセラー
タグ:

荒くれ男の生涯に心から敬意を表します!。

わたくしごとで恐縮ですが、昨日
敬愛していたひとりの男の告別式にまいりました。

若い衆のころの男は、六歳下のわたしの眼には、、おおきな体躯にちからを漲らせ、
その血走ったギョロ眼はなに者をも倒さんとする意志でつらぬかれているようにみえたものだ。

それはおそらく、おのれがさびれゆく漁師の息子であることに由来している
鬱屈であり、もどかしさであり、荒くれぶりにほかならなかった。

このころの浜での「決闘」話を、相手の荒くれ男からずいぶん年月がたってからきかされた。
決闘の相方は居酒屋のおやじになっていて、
こん棒で渡りあったシーンを身振り手振りで懐かしそうに語ってくれた。

この相方の話によれば、どうにもこうにも漁師の暮らしでは飯が食えなくなったので、

荒くれ男はほどなく漁師から足をあらい、
食いぶちをもとめて地場の織物工場に勤めるようになったという。

何千本ものたて糸よこ糸を一本ずつあつかわなければならない織物の世界へ。
その意外におもえる転身は、荒くれの男からは想像できないことで、
それこそ忍び難きをしのぶ苦渋の決断であったことが思いはかられる。

だが意外にも荒くれ男は、漁師であることの鬱屈ともどかしさから放たれたことが
よほど精神を健康にみちびいたのか、
またたく間に一端(いっぱし)の職工になっていった。

ただし、男が自転車で小一時間の工場まで通う道中には、
その地場にたむろする悪たれどもが立ちふさがったという。
どうでもただで通すわけにはいかないとおもわせる男の面構えをみせられて
悪たれたちの意地にかけても勇みだったのだろう。

多勢に無勢でやられたつぎからは、匕首を懐にして
体を張ってしのいだという。
いやはや、堅気にもかかわらずよけいな立ち回りまで背負わされ男の荒くれぶりに
頼もしさとともに、いささか同情をおぼえたものだ。

若くして所帯をもった男はあいかわらず大酒を食らう以外は、
おのれの荒くれをしだいになだめることができ、
また見かけの荒くれ風とはちがい、仕事のおぼえがよくて、周りにみとめられていった。
やがてお互いが中年となった頃から、ややひんぱんに男とわたしとが接するようになった。
まったくちがう世界で生きてきた二人が酌みかわす与太ばなしに、あきることがなかった。

悪たれだった男は独立して工場をかまえていた。
あいかわらず相手を射抜くように眼光するどく、
かつ知力、胆力にかけては並ぶものがないとおもわせる男だった。
もちろんわたしなどは男の足元におよぶべくもない。

かれを見知っただれもが、
男の器量にただあこがれと敬愛と畏怖をいだかされるのだった。

しかしどんな咎めか、むかし荒くれだった男はそののち
長い年月をベッドの上で涙だけをあふれさすほかは微動だにできずに生きることになった。
あの大男がやせ縮んで骸になった姿に、
わたしは不覚にも目を開けていられなかった。 ・・・
おそらく日本中のどの地方にも、かれのような男がいたにちがいない。
荒ぶれども驕らず、ごっつい笑顔でまわりのものを心ゆたかにする男が
そこここにいたにちがいない。

人間としての魅力に満ちた男たちが本当はこの社会をあまねく心ゆたかにするという考え方は
うそ臭い社会学やらを簀巻きにして放りだす一方、
光石富士朗監督の映画「大阪ハムレット」の「おかあちゃん」のはてない<ゆるさ >
がうみだす
すべてのふつうの者やふつうでもない者をつつみこむ精神のゆたかさに通低するものであろう。

まわりのものすべてが互いをみとめたうえで、自立をめざす生き方には
ゆたかな煩雑さをもいとわないほんとうのやさしさがもとめられる。

だからせめて、わたしたちが
男たちと女たちの壮烈にして敬愛すべき生き様から
この生き難い時代に、精神のゆたかさへの手がかりを学ぶことで
かれらに報いることができるようにおもえるだが。・・・

ブログ・心理カウンセラーがゆく!http://blog.goo.ne.jp/5tetsu より 転載.

 〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0609:110907〕