いざ新居浜へ

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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いくらもしないうちに、丸の内の調達室から新居浜の事業所に紹介に行ってもらえないかと電話がかかってきた。

「やった」

自分でも呆れるというのか、情けないというのか、まるで勝ち戦に出ていくような気分だった。早速羽田から松山空港へ、そして新居浜への切符を手配した。初めての四国だった。工作機械というニッチに生きてきた、それも社内でも機密という試作機械の設計から、極端に飛んでアメリカでサービスに走り回った経験しかなかった。転職して大阪支店や名古屋支店と、そこから営業マンの車で近間の客に同行したことはあったが、自分で作り上げた遠距離の出張は初めてだった。

 

松山空港からタクシーで松山駅についた。列車までまだ小一時間ある。なんといっていいのかわからないが、東京とは違う空気のようなものを感じて街に出てみた。昔の日本はこういう感じだったんだろうなという街だった。町屋生まれの都下育ち、何代も続いた東京人の家系で田舎がない。通りの向こうに路面電車が走っていた。ちんちん電車(都電荒川線)を見ながら育ったが、町屋にはなかった絵に描いたような街並みだった。都市計画の欠片もない貧しさがばかりが目につく場末とは違う。ちょっと行けば、道後温泉まである。ゴミゴミしたせわしない東京の生活しか知らないものには、夢のような街に見えた。ここまで来たからには、道後温泉に一泊してやる。大した宿に泊まれないにしても、温泉だ、役得だと喜んでいた。

松山駅に着くたびに道後温泉に泊まらなきゃって思っていたが、住重での要件が片付いた時には、もういい時間になっていて、いつ来ても、初めて来たときに紹介されたビジネスホテル、アルファーワンに泊まっていた。三年ほど通い詰めたが、すぐそこまで来ているのに道後温泉には行きそこねた。

 

名前も聞いたことのないアメリカのメーカでしかないということなのだろう、相手をしてくれたのは三十半ばのエンジニア一人だけだった。この人が事業部へのドアのようなもの、このドアを開けて新しい風を吹き込めればと説明に力も入る。ただ製品まででその先がない。製品ごとに見ていけば、ただの制御機器。形ながらのメリハリのない説明しかならない。

ざっと全体像を紹介して、キーとなる製品の主な機能を説明して、気になる点や課題としていることを少しでも聞き出せればいい。はじめての訪問でそれ以上を求めてもしょうがない。細かなことは、実案件でもなければ、誰も本気になって聞きゃしない。

ところが気になることをお伺いしているうちに、妙なことに気がついた。個々の製品の仕様まではいいのだが、製品間の通信ネットワークの話になったとたんに、日本の制御機器メーカの独自ネットワークとの比較になってしまう。

 

八十年末から九十年代中ごろまで、通信ネットワークの標準化でヨーロッパとアメリカの制御機器メーカがしのぎを削っていた。そこにGMが自動車生産ライン用ということで独自のネットワークMAPを制御機器メーカに押し付けた。

なぜGMがそこまでと思う人もいるだろうが、ちょっと想像してみてほしい。自動車生産工場は日常生活からは想像できないほど大きい。巨大な工場のひとつの建屋のあっちのラインとこっちのラインで通信ネットワークが異なると、一つの建屋ですら生産ラインを統合管理できない。機械装置メーカがメーカの都合で制御装置を持ち込んできたら、統合管理どころか保守部品もそれぞれのメーカごとに用意しなければならないし、保守担当員のトレーニングに至ってはほとんど不可能になる。

 

MAPだけでもひと騒ぎのところに、半導体のクリーンルームで使用する機器のネットワークに焦点を絞ったメーカが独自のネットワークLONWORKSを提案してきた。半導体メーカの大手といえどもGMのように自社の都合で装置メーカに標準ネットワークを強制するまでの力がない。そこに目をつけたアメリカの制御機器メーカがいた。

 

標準化は、ヨーロッパはヨーロッパ、アメリカはアメリカというのではなく、世界市場でデファクト・スタンダードを狙っての競争だった。ところが日本メーカは世界市場にどう進出するかという考えもなく、相も変わらず日本の同業他社との差別化の発想から抜けきれないでいた。何か考えや戦略があってのことなのかもしれないが、アメリカのメーカにはそうとしか見えなかった。

 

日本メーカの標準のままで海外市場に出てゆくと、極端な場合はセンサー一つから個々の製造、検査装置や機械だけでなく、工場全体の一括監視制御するホストコンピュータまで、すべてを日本製で構成しなければならなくなる。世界市場の標準化の波に巻き込まれて動きが取れなくなるのを恐れた日本メーカが差別化に走って、独自の標準化に固執した弊害が二十一世紀になっても尾を引いている。

 

「えっ、そうなんですか」

「いえ、どうもお話を伺っていると、世界のネットワーク標準化の情報がちょっと欠けているように感じるんでが」

かいつまんだ、ほんの表面的な話をしただけなのに、予想を超えた反応にびっくりした。なにかとんでもないことを話してしまったのかと慌てた。アメリカの会社にいれば、日常会話でしかないデファクト・スタンダードを目指した開発競争がまるで別世界の話のように聞こえたらしい。

「日本の日本の仕事なら、日本メーカの独自のネットワークで十分でしょうけど、一歩外へ、それがヨーロッパでもなければ、アメリカでもない。中国でも韓国で東南アジアでもSiemensかACのネットワークをどう使うかという話になってしまうと思います」

「二社で競合しながらも、世界中でネットワークを共通化しようとしてます。そこから外れたら、現地でのサポートも難しくなるでしょう。なにかあったら、日本メーカをピッツバーグへデトロイトへ、あるはシュツットガルトや上海に連れてってわけにはいかないでしょう」

 

「いやー、今日は本当にためになる話を聞かせて頂いて助かります。なにしろ田舎なんで、日本のメーカもあまり来てくれないんですよ。日本のなかの動きからも置いてけぼりを食った気がしてたんですけど……」

いわんとしていることはよくわかる。外資にいると似たようなことが起きる。アメリカやヨーロッパの情報は何をするわけでもなく入ってくるが、日本のご同業の技術動向や販売政策の変更や、動向とまでいかないにしてもちょっとしたイベントのようなものですら気がつかずに恥ずかしい思いをすることがある。採用するネットワークが決まってしまってから、プロジェクトの話を聞いてもどうにもならない。応札しようにもネットワークにインタフェースできる物がない。

独自ネットワークを外資締め出しのツールとして使っているつもりなのだろうが、自らをガラパゴス状態にして、おてけぼりを食っているのに気がつく人が驚くほど少ない。

 

「ええっ、それはないでしょう。新居浜は松山から一時間ですし、羽田から飛べば、日帰りの大阪と似たようなもんですから」

「そうなんですよね。時間でみればたした違いはなんでしょうけど。でも四国と聞いただけで、気持ちの上で遠いって感じがするんでしょうね。東京から大阪や名古屋の手軽さはないですから」

 

世間話をしながら時間が気になってきた。ざっと紹介して、できれば日を改めてデモ品も持ち込んでセミナーもどきに話を持ちこもれれば上出来。そこまでいったら、今日はさっさと日帰りのつもりだった。それがネットワークの標準化の話で海外情報提供者のような感じになってしまった。ネットワークでこれほどまでに遅れているのであれば、PLCによる計装制御については何も知らないんじゃないかと話題を切り替えた。

 

「あのー、PLC本体の仕様について、ちょっと確認させていただいてもいいでしょうか」

え、まだあるのって顔をしている。もう時間も時間で日帰りは諦めていた。これを話したら、それこそ常識がひっくり返っちゃうんじゃないかと思いながら続けた。

「PLCはご存知のようにProgrammable Logic Controllerの略なんですけど、中身はコンピュータそのものです。事務所でお使いのパソコンとの違いは、極端にいえば、製造現場のきつい環境に耐えられる堅牢な作りと、外部とやり取りする信号が多いということだけです」

言われてみればその通りいうことでしかない。何を言いだしたのかと思っているのが見える。

 

一呼吸おいて続けた。

「そうPLCはコンピュータで、日本のメーカのシーケンサとは違います。シーケンサ、こう言っちゃ語弊がありますけど、機能限定でオンオフの接点信号までしか扱えないですよね」

なんかもったいぶって遠回りな話をしているようで自分でも気持ちが悪い。

「PLCはコンピュータそのものですから、開発当初からアナログ信号も処理できるように作られてます。温度や圧力や流量のようなアナログ信号はアナログモジュールで受けて、A/D変換してデジタル信号として処理して、処理結果をD/A変換して制御機器にアナログ指令として出力します」

 

はっと気がついた顔をしている。そうなんですよと思いながら、

「ご存知のようにアナログの制御対象が必要とする処理速度はしれてます。お風呂の温度なんかそんな短時間に変えることないですから、まあ百ミリ秒ぐらいで十分でしょう。オンオフのデジタルデータの処理を十ミリ秒程度で終えて、アナログデータはバックグラウンドで処理すればいいじゃないですか」

「シーケンサではアナログデータの処理にループコントローラとかDCS(Distributed Control System)を持ってこなければならないですけど、PLCならそんなもの全部要らなくなります」

 

本当かよって顔をしている。そりゃそうだろう、恐らく十年以上常識と思ってきたことが、常識でもなんでもない、日本メーカの技術的後進性からくる制約でしかなかったことをするっと言われりゃ、誰だってそう思う。

変な比喩になるが、テレビは受信装置と画面が別々になっているのが常識だと思っているところに、それは日本メーカの技術的限界でしかないですよ。アメリカでは最初から一体物ですと言われたようなものと考えれば分かり易い。

 

言われたことの重要性を反芻していたのだろう、ちょっと間をおいて、

「ループコントローラの表示はどうするんですか」

制御機器メーカの開発エンジニアでもない限り、使う側の人に見える表の部分の質問までで、制御の基幹であるアルゴリズムに関する質問がでてくることはない。

「簡単です。工場での使用に耐えるタッチパッドのパネルコンピュータを使います。表示器じゃなくて、パネルコンピュータです。どのみちオペレータ・インタフェースとして必要ですから共用します。PLCとは別に計装制御機器をもってくる必要もないし、アナログ制御だけ別のアプリケーションとして開発することもないです。PLCとのデータのやりとりをどうするかなんて面倒なこともなくなっちゃいます。購入コストはゼロだし、アプリケーションの開発コストも半分とはいわないまでも、かなり削減できますよ」

 

ここまでくると、もうほとんど虚脱状態だった。

これ以上の説明はもう入らない。後日、製品を持ち込んでデモをしましょうということで終わった。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9989:200801〕