[バーリンの自由論] アイザック・バーリンの自由論(みすず書房)がすでに指摘するように、自由はさしあたって、「~からの自由」と「~への自由」に大別することができる。たとえば、「圧政からの自由」が前者の具体例であり、「政治的決定への自由な参加権」は後者の例である。両者の例のように、自由への欲求は、自由について考えることを求める。圧政から自由になる(解放される)にはどうしたらよいか、圧制者は勝手に振る舞い、我々には彼らへの隷属しかないのは、なぜかと考えるようになる。このような思想が本格化するのは、近代史以後である。
[コペルニクスの強かさ] その近代自由史のなかで、特に近代天文学史は、科学的研究の自由の獲得の始点の様相を記す。宗教権力からの地動説弾圧を目撃しつつ、コペルニクスは、地動説の古典となった『天体の回転について』の刊行について強かに慎重に対応した。時によっては、迂回作戦も必要である。直進だけで活路が開かれるわけではない。前進するために、立ち止まり熟慮することが必要な場合がある。
[自由の実践と理論] しかし被抑圧者は、場合によっては迂回せずに、圧制者に抵抗行動を起こす。圧制者に反乱を起こす。行動しつつ、自分たちの行動の正当性を考え、理論武装する。たとえば、近代イギリス市民革命史を顧みれば、ピューリタン革命が発生し、トーマス・ホッブズが『リヴァイアサン』を書く。名誉革命の過程で、ジョン・ロックが『市民政府論』を執筆する。明治日本では、大逆事件が捏造され、若き徳冨蘆花が『謀反論』という幸徳秋水弁護論を書く。中国の魯迅は「阿Q正伝」を書き、その徹底した否定精神の土壌で、毛沢東が『実践論・矛盾論』という日本帝国主義打倒=人民解放論を書く。
このように、自由の獲得には、自由への実践とその理論的正当化が随伴する。圧政の鎖を取り払う。なぜ取り払うのか。取り払うのはなぜ正しいのか、「なぜなら人間は生来、自由な主体である」と、人間は考える。人間は実践主体であり、かつその実践について考え理論化する。近代史は、自由な主体の登場を核心とする。圧政の下で考え、その思想に励まされて実践し自由な主体になる。思想と実践とは、区別されつつ相互に刺激し媒介しあい、より明確になり、より高い段階に前進する。アダム・スミスの『国富論』にはイギリス名誉革命の歴史的基盤が据えられている。
[多数派の誤謬] 人間は「確信をもって間違うこと」(内田義彦)がある。ドイツ・ナチズム、昭和軍国主義の経験などがその苦い具体例である。多くの者たちが考えることが、常に正しいとは限らない。正しさは根本的には多数決では規定されない。民主主義というと多数決と自動的に考える「数の民主主義」がいまもあちこちで支配的である。一人ひとりが自己の判断に責任をもち連帯する社会にしか、結局未来は開かれない。
[見えにくい歴史の赤信号] 歴史は、ときとして岐路にさしかかる。しかし、「歴史における赤信号」は、たいてい不可視である。少数者には見えるかもしれないけれど、「見える」と言う人間は異端者扱いにされるかもしれない。1600年にローマで地動説を主張して異端の咎で火刑にあうブルーノは煙で咳き込む。その姿を群衆は遠巻きに目撃しつつ、彼の死を待った。先の15年戦争中の日本の街々の隣組は、政府批判者を「アカ呼び」する密告社会であった。皆がしていることは、結局のところ、自己の行為の決定基準にはならないのである。
[戦時日本の実相] 戦時にレジスタンスがあったイタリアに対して、日本では敗戦直後、なお獄中に幽閉されている戦争反対者を解放する国民運動が発生しなかった。三木清の獄死(1945年9月26日、豊多摩刑務所)はその犠牲例である。占領軍内部の機関新聞『星条旗』の記者による三木清獄死の告発で、その他の獄中者が解放された。敗戦直後、日本国民のほとんどは、15年戦争を批判することなく、生活に追われ、ただ生き続けることに懸命であった。多数の日本国民にとって戦後の自由とは、まず生き延びることであった。
[戦時は王道楽土か] 先の日本の15年戦争(1931~1945年)のさなか、「美味い飯」を食った者たちの多数は、特に占領軍から「批判の嵐」が吹く敗戦直後、沈黙を守った。その戦争は日本のその者たちにとって「自由な時期」であった。朝鮮半島で、満洲で、台湾で、東南アジアで、そして中国本土で、「自由に振る舞った」。「王道楽土」を満喫した。昭和天皇が認可した特攻機搭乗員のなかで、エンジン故障で出撃の機会がなかった帰還兵は、ただ沈黙を守った(2021年8月14日『朝日新聞』「声」参照)。
[戦後日本人の沈黙] 沈黙する者は彼だけでない。戦争体験者の男性(大抵は父親)は、(「終戦」後ではなく)「敗戦」後、寡黙になって、たとえば、煙管でたばこを吸っていた。辺見庸が『1・9・3・7(いくみな)』で実父の寡黙な姿を回顧している。敗戦国・日本の父親たちは、たいてい寡黙であった。罪悪感からなのか、虚脱状態なのか。戦後日本社会はそのような暗部を抱えていた。それが、しばしば無条件で肯定される「戦後民主主義社会」の実際の姿であった。
[未決の戦後史] 戦争協力者としての民衆のその寡黙は、権力によって強制される「沈黙」(遠藤周作)ではない。「戦中の自由」の「罪」に内心うずくものがあっても、それを曖昧模糊にして、彼らは戦後史を生きてきたのである。そのような「未決の罪を内包する日本戦後」は、無条件には肯定できないのではなかろうか。いわゆる「戦後民主主義」は、15年戦争史を一部の「戦犯」に戦争責任を押しつけて、凌いできた。国民的規模で正面から根底から見つめ内省してきたのではない。戦後日本(1945~)は、「未決の戦後史」なのではなかろうか。
[竹内好の国民思想] 戦後の自由と民主主義は、このような未決問題を抱えたままの歴史ではなかったのではなかろうか。「自由と民主主義」は、「日本国民自身」の歴史的反省の中から樹立すべきものであったにも拘わらず、その主体的条件を欠如したものではなかったのではなかろうか。その意味で、竹内好の「国民主体の思想」は、今は忘却されているかもしれないけれども、深刻に思い起こされ、日本国民のナショナルな再生の精神的な糧でなければならない。
[自由の探求とは何か] 人間の生存にとって、意味ある自由とは、たんなる夢想ではない。現実生活の中から生まれてくる欲求である。自由の実現は、その欲求の実現を制約するものの認識に向かい、その制約を克服し、それを実現するにはどうしたらよいか、その方法の探求に向かう。自由とその科学的探求とは、目的と手段との関係にある。現実的に有意味な自由の探求は、その実現の「方法」(method=meta+hodos=目的を実現するまでの道筋をたどること)を解明することに向かう。したがって、自由の探求は科学技術の発展を促す。
[自由のための科学] このことを、天文学史におけるコペルニクス(望遠鏡工作)からガリレオ(レンズ制作)を経てニュートン(万有引力説・光学研究)に至る道筋は明示する。自由の探求と科学技術の発展とは随伴する。自由探求史と科学技術史とは表裏一体なのである。人類の近代史が、自由を求める運動の歴史であると同時に、科学技術史でもあるのは、その表裏一体性を明示する。イギリス近代史における市民革命と産業革命とは深部で連動している。フランス革命を起点にしてフランス産業革命が始まる。日本でも明治維新以後、明治後期から大正期にかけて産業革命が始まる。
[コロナ時代の自由] 今日のコロナ災禍は、人間の自由の探究史の一大転換期である。なぜなら、コロナは、いわゆる「三密」(密集・密接・密閉)を禁じてこそ、克服できるのではないかと判断されているウイルスなのである。自由に「集まること」、自由に「親密になること」、自由に「親しい者どうしが密室にいること(プライバシー)」は、人間の根源的な本性である。
[自由探究史におけるコロナ] しかし、それらの人間本性を勝手に発揮してはならない、抑制しなければならない。これがコロナ対策であるというのである。コロナは、そのような人間の本性を抑制することによってのみ、克服可能なかもしれないウイルスである、と判断されている。その意味で、「コロナとの戦いは人間性抑制を必須の条件としている」。人間として生きるようになるためには、人間であることを抑制する長い道(=方法)をたどらなければならない。
であるとすれば、コロナ史は人類史の一大転機である。コロナとのこれからの闘争史=克服史は、人間の本性を根源的に変質させはしないかと憂慮される。昨日(2021年8月13日)の新聞にも、コロナ・ワクチンで死者が出たと報道されている。コロナ克服=自由獲得でも、科学技術の深化=発展が不可欠である。
[自由な討論の自発的な自己抑制] 昨日の別の朝刊には、或る地方自治体の野党議員たちが、現今のコロナ災禍のもとでは、副次的な対立を一時棚挙げにして大同団結しなければない、そのために協議し始めたという動向が報道されている。この動向がファシズムへの第一歩にならないことを強く願う。
日本人はたいてい、御上の声が内面化している自主抑制の国民である。たいていの日本人は、「法令」でなくても「上からの指令」なら、「我が事」として・率先して、担う。マスクをしていない歩行者に他の歩行者たちが、無理矢理にマスクをさせたことがある。この事例と同じことが、今後一挙に拡大浸透しないかと、憂慮される。
コロナ災禍のもと、人間の自由史は大きな転機にさしかかっている。特に日本人はコロナ事態に異常な反応をしないか、注意しなければならないのではなかろうか。(以上、2021年8月14日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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