「中国のサービス体制」の続きです。
https://chikyuza.net/archives/106630
日造からとんでもない話がでてきた。
「藤澤さん、青海省行けるかなー」
聞き間違いじゃないよな。まさかと思いながら聞き返した。
「えっ、青海省って、あのはっきり覚えてないですけど、もしかしてあのモンゴルの方の青海省ですか」
中国の地理に詳しいわけじゃないが、青海省がどのあたりにあるかぐらいは知っている。ただ、「もしかして」とぼかさないと言いにくい。
「うん、まだ青海湖の近くだっていうだけだから、そうだと思うんだけど、どうなんだろう」
どうなんだろうって、いくら仕事がなくても、そんなところまでいったらそれこそ貧血で倒れちゃうんじゃないか。本気で行く気なのって顔をみた。
「いやー、青海省なんて考えたこともなかったんで、どうしたもんかと思って」
そんなこと言われても困る。そもそもどうしたもんかなんて考えることか? 何を馬鹿なことを、そんなところまで、あのアメリカ人が行くか?なかには変わったというか、おかしなヤツが一人や二人いるかもしれないが、行くかって訊くことすらためらう。
「そうですね、一応事業部に聞いてみますけど、期待しないでくださいよ。マックのないところに長逗留できるような人種じゃないですから」
メールを書けば馬鹿な記録が残る。大した立場じゃないから、構いやしないと思わないわけでもない。それでもメールを転送されて、あちこちで笑い話のタネにされるのもイヤだし、どうしようかと考えていた。そうだ今晩電話で軽く聞いてみりゃいいじゃないか、電話なら証拠が残らないしと思った。ところが、ちょっとして、そうはいかないことに気がついた。青海省、英語でいえばQinghai Provinceだが、そんなことをいったところで、聞いたこともないだろうし、どこにあるのか見当なんかつきっこない。日本と韓国の違いですら分からないのに青海省なんていったって、それなんだ?から始めることになる。どうしものかと思って、メールでQinghai Province、Chinaを見ておいてくれ、明日にでも電話入れるからと連絡した。今日の今日では地図を見る時間がないかもしれないと一日おいた。
「Qinghai Provinceは見つかったか」
「ああ、あの辺りは、もう砂漠じゃないのか」
「右上の方に大きな湖、Qinghai Lakeあるだろう」
なにも特徴的なもののないところに、ぽかんとある湖。見つからないなんて言うなよと、ちょっと時間をあけて、
「その近くの製鉄所の近代化のプロジェクトなんだけど、応札するか」
できるだけ軽く、冗談交じりの口調でいった。自分でいいながら、しっこないじゃないかと思ってる。
「こんなところにも製鉄所あるんか」
「あるらしいな。日造が応札しようかっていってきたけど」
結論はでてるのに、自分から言うのをためらった。
「おいおい、そんなところまでどうやって行くんだ。まさかラクダにまたがってなんてこともないだろうけど、どうやって資材を運ぶんだ」
「中国のこった。ダムでもなんでも人力で作っちゃう国だし。任せておけば持ってってくれるんじゃないかな」
「でも、コミッショニングにいったら、パオで寝起きなんてことないよな」
もう笑い話のようになっていた。
「そりゃないだろうけど、三週間や一月交代で帰国ってわけにはいかないだろうな。ちょっとタクシー呼んでエアポートになんてわけにゃいかないだろうから。まあちょっとした抑留みたいなもんかな」
「まあ、変わったヤツがいればだけど、プレミアム払っても誰もいないだろうな」
「そうだよな。分かった。今回はスキップする」
「おい、見積見積ってのはいいけど、そろそろ注文持ってこいよ」
「周りも気にしだしてるから」
「ああ、申し訳ないな。でもアーカンソーの次はタイの方もあるし、もうちょっと我慢してくれ」
辞退しますって電話入れるのもなんだし、なにか言ってきたら、その時と放っておいた。いくら腹が減ったとはいえ、さしもの日造も青海省までいく勇気?はなかったのだろう。何もいってこなかった。
何も言ってこない。まさか撤退したわけじゃないよなと思っていたら電話がかかってきた。
「本渓なんだけど、いいよね」
「ホンケイって、どこですか。また青海省のどっかなんてんじゃないでしょうね。事業部に電話したら、呆れられちゃいましたよ。どうやってそんなところまでいくんだって」
「ああ、あれ、あれは忘れちゃっていいから」
「で、本渓製鉄なんだけど、瀋陽は知ってるだろう。ほら満州の州都、昔は奉天って呼んでたところから車で一、二時間ぐらい行ったところなんだけど」
「ああ、大体位置は分かります。瀋陽なら大きな街だし、便はよさそうですね」
「じゃあ、見積依頼送っておくから」
「了解です。なにかこれといった注意事項あったら、後日でもいいんで教えてください」
宝山鉄鋼への足場を失ったのか。まあ瀋陽なら北京から飛べば小一時間。もういい加減に受注しないと、他もあるから馘にはならないけど、日造の事業部があぶない。
電炉屋のタイの合弁会社向けのプロジェクトで、事業部部長と見積作成の担当者と一緒になんどもタイに行っていた。客先での会議といっても当初は、日鉄の後ろに東芝と一緒になって付いていればいいだけで、何も特別はことはなかった。夕飯には決まって街をほっつき歩いて、土産物屋を冷やかしたりで、半分バケーション気分のようなところがあった。まだまだアジアが遠い時代だったこともあって、メコンで土産話に尾ひれがついて広がっていった。このあいだはお前が行ったじゃないか。今度はオレの番だろうという話になっていた。出張でえらい目にあって、このあいだはオレが行ったんだから、次はお前の番だという逆の話よりはいいが、仕事優先で人選してもらわなければ困る。ただ、連鋳機はいくつも経験していて技術的な課題に遭遇するとは思えない。そこで、今回は現地設置(コミッショニング)担当のプロジェクト・マネージャを送るからといってきた。悪い考えじゃない。見積担当は注文が決まってしまえば用はない。もっとも大事な人材は経験豊富なプロジェクト・マネージャだった。
万が一の時の命が安いから、上海に行ったときと同じように中国のエアラインを使いたくなかった。成田から国際便で北京へ、北京から瀋陽へ国内便を予約しようとしたが、国内便の予約がとれない。コーポレート契約でお世話になっていた旅行会社が音を上げた。
「なんとかならないかとやったんですけど、ダメですね。もう国際線も中国にしなけれりゃ、予約とれないですよ」
まったく、せせこましいことをしやがる。意地でも乗ってやるかと思ったが、これもあんたたちが口にする中日友好なんでしょうかね?って、一言いいたくなる。
「面倒なお願いしちゃってすいません。もうしょうがないすね。中国のでいいですからお願いします。間違ってもどこかの発展途上国なんかにしないでくださいよ」
つい余計なことまで言ってしまった。行くたびに文化の違いというのか、ぼったくりのような話でうんざりしてきていた。
メールと電話でポールと日程を確認した。国際線は一時間二時間の遅れなんてのは誤差のうち、ましてそこは中国、たっぷり余裕をもっておかないとコネクションをミスる。瀋陽へは夕方七時発なのに、二人とも午後早い時間に北京に着くようにした。
万が一のときはイェンを頼みになる。二人のフライトスケジュールをメールで伝えたら、電話がかかってきた。
「なんだ今度はメコンからポールもくるのか」
ポールとは会ったこともないのに、旧知の知り合いのように言ってくる。
「例の技術検討会だから来てもやることないって言ったんだけど、いい経験だからって。ジェコインスキーが送るから、面倒みろって」
「バラバラに瀋陽じゃあぶないから、北京で落ち合って瀋陽に飛ぶことにした。二人とも三時過ぎには北京に着く。瀋陽へは七時だけどな」
「ああ、こっちから北京に一人、瀋陽に一人送るから。北京についてくれれば後はこっちがやるから心配するな」
「いや、そんなことまでしなくても大丈夫だから」
と言いかけたら、
「ここは中国だぞ。アメリカでもなければ日本でもない。まして国内線だろ。なにが起きるかわらないからな」
「なにがおきるかって、おどかすなよ。瀋陽まで行けば、あとはタクシーに乗って本渓のローズガーデン・ホテルってで終わりだろうが」
「シナリオ通りならな。まあ、任せろって」
China ACの営業マンと一緒に待っていたら、ポールがハイキングにでもいくような恰好で出てきた。まだ四時ちょっとすぎ、七時までには時間がある。何が起きるか分からないから、国際線ターミナルで時間をつぶすより、まずは国内線ターミナルに行った方がと三人で歩いて行った。すさまじいところだった。人と荷物で溢れかえって座るどころか立っているのも苦しい。
こんな事だったら、国際線ターミナルで時間を潰した方がよかったと思っても、戻るもの面倒くさい。三人でなにをするわけでもなく世間話になったが、そんなものいつまでも続かない。奥の方にコーヒースタンドを見つけて、人混みをかき分けるように歩いていった。遠目にあれはなんなんだろうと思っていたのは カウンターの上に山のように積まれたカップヌードルだった。コーヒーサーバーのポットにはお湯が入っていて、あっちでもこっちでも背をかがめてカップヌードルをすすっている人たちがいた。床は汁の残った発砲スチロールの器で溢れていて、足の踏み場もない。とてもじゃないが、そんなところにカバンを持って立っていられない。入ってきた方にもどったが、三人とも口を開く元気もない。
窓の外を見て驚いた。エンジンをふかして滑走路に向かっているジェット機の横をオヤジさんが自転車に乗って走っていた。耳栓でもしているのだろう、ヘッドホンをつけていない。ポールもびっくりして、おい、あれって指さしていた。それにしても、なんでみんなこんなに機内持ち込みの荷物を抱えているのか。オーバーヘッド・コンパートメントに入りきらないし、座席の下にというような量じゃない。チェックインした荷物が出てこないことを心配してのことだろうが、エアラインに対する信頼がないからとしか思えない。
フライト・インフォーメーションの表示はどこかの中古屋で拾ってきたんじゃないかと言いたくなる古びた十四インチのCRTだった。画面が小さすぎて、六便しか表示できない。やっと予約していたフライトが一番下にでてきた。いくらもしないうちに、八時発、九時発と三便も続けて瀋陽行が表示された。ここにいる人たち、ほとんどが瀋陽に行くわけでもないだろうに。できれば、もうちょっと時間間隔をあけたスケジュールの方がいいのにと思いながら、画面を見ては、On Timeになっていることにほっとしていた。後一時間もすればと出発だと思っていた。
七時を過ぎても表示はOn Timeで、もう一番上に表示されている。なんのアナウンスもない。
AC Chinaの営業マンに聞いた。
「どうなってんだ。なにかトラブルか」
「No problem」
何がNo problemだ。DelayならDelayと表示しろ。いつになったらと聞いた。
面倒くさそうにエアラインのカウンターに行って帰ってきた。
「No problem」
おい、おまえ九官鳥でもあるましい、なにがNo Problemだ。
「十分Problemだろう」
肩をすぼめて、
「No Problem」
そんなやり取りをしているうちにCRTからフライトが消えた。八時のフライトも九時のフライトも消えた。もうどうしたと聞く元気もなくなって、立っていた。ポールもうんざりしていたが、忍耐強いのには感心した。デブの大男が涼しい顔をして、銅像のように立っていた。犬は引いてないが、まるで上野のお山の西郷さんのようだった。
一時過ぎにやっと、飛行機が来た。なんだ、八二年に乗ったパックツアー同じじゃないか。上海から桂林に行く日が一日遅れた。上海のガイドは名前が英雄で、自己紹介のとき両親が親日で付けた名前で「ヒデオです」と言っていた。いかにも裏方という体で親切な人だったが、北京の本部からきたガイドに頭があがらない。この北京からが煩い。こっちは中国四千年の歴史と思って観光で来ているのに、口を開けば解放前はが枕詞のようについていた。明日は桂林にという夕食のとき偉そうに、
「中日友好にもとづいて、明日は列車で無錫へ行って、桂林には明後日にゆくことにしました。往復軟車で快適な旅になります」
へっ、オプション料金の追加なしで得したような気になった。後でそっと「ヒデオさん」に聞いたら、呆れるほど正直な人で、
「無錫へというより、桂林に飛ぶ飛行機の手配がつかないだけですよ。よくあることですから。無錫、泥人形以外に何もないとこですけど、列車から中国の景色を見るだけでも意味があると思います。上海は中国の中でも特殊な街で、ここが中国だと思っちゃうのもよくないですから」
七時、八時、九時と三便あるわけじゃなくて、まあその時間あたりには機体の都合がつくだろうから、ついたらついたときにということだったのだろう。後になって考えてみれば、「No problem」というのも分かるような気がする。遅れたり欠航はいつものことで、それが当たり前になってしまえば定刻のほうが普通じゃない。毎日当たり前のこととして起きている(普通の)ことをProblemとしていたら、一日中Problem、Problemと言い続けて、まともな神経じゃやってけない。数時間どころか一日二日遅れたところで、生きる死ぬの騒ぎでもなければ地球の最後でもない。何があったところで鷹揚に受けいれてNo problem。在るがままなりでいいじゃないかと言われれば、まあバタバタしたところで何があるわけでもなし、まあそれもありかなと思ってしまう。ただ真似るつもりはないし、たとえ真似ようとしてもできるような性質じゃない。したくもないし、する気もないが、相手あってのことで、流されるしかしようのないときもある。
我さきにドアを出て、みんな飛行機に向かって走っていった。なんでそんなに先を争ってと思ったが、機体に入って直ぐにわかった。手に余る荷物を押し込むオーバーヘッド・コンパートメントの場所どりで、あっちもでこっちでも言い合になっていた。映画でみた戦後のどさくさのときの列車の席の奪いあいと同じだ。
機体は新しいが、メンテナンスができていない。出てきた紙パックのジュースを置こうとテーブルを出したら、床に落ちてしまった。テーブルを何とか安定させたいが、どうにもならない。面倒くさいから、足元に落ちたまま、どこかに滑っていかないように足を乗せていた。
飛んでしまえば瀋陽までいくらもかからない。それでも到着は三時過ぎになる。イェンが瀋陽のエアポートにも一人送っておくからと言ってはいたが、こんな時間まで待っていてくれるとも思えない。まあ、適当にタクシー捕まえて、本渓のローズガーデン・ホテルと言えば何とかなるだろう。何とかなるまでがなんとかなるまでで、なるようにしかならない。こんなことで驚きゃしない。それにしても腹が減った。チェックインしたとき成田で買ってきた魚肉ソーセージともらった紙パックのジュースで今晩は終わりだ。
そんなことを考えていたら急に降下し始めて、あっという間に着陸した。窓の外は真っ暗で何も見えない。どこがエアポートなんだ。みんなの後ろについて、タラップを降り始めたら、遠くの方に小さな点のような明かりがみえた。まさか、あそこまで歩くんか? みんなその明かりを目指して、まるでアリの行列のようだった。
小さな安普請のビルだった。建物に入ったとたん熱気に圧倒された。忍耐強いというのか、慣れているからなのか、なんでこんなに大勢の人がこの狭いホールにいる、それもこんな時間に。天井から下がった「熱烈歓迎」の横断幕に一言言いたくなる。歓迎してくれなくていいから。普通にしてくれればいいから。大きな国で、この普通がありそうで、なかなかない。
ポールが目立つ。溢れんばかりの人混みの中から一人ささっと抜け出来た。こんな時間まで待っててもらってといいかけたら、いつものことだからという。
「この時間になにかトラブったら、それこそ大変なんで、オレもタクシーに乗って一緒にホテルまでいくから」
と言いながら、タクシーを捕まえに表にでていった。
真っ暗闇のなかにハイビームに照らされた道だけが続いている。何も見えなければ、ぶつかる物もないという定理でもあるかのようにタクシーが突っ走っていく。普通に走れば二時間近くかかるのだろう、一時間半ほどでホテルに着いた。
暗くてよく見えないが、大した大きさのホテルじゃない。それでもフロントの天上から大きなシャンデリアが下がっていた。こんな田舎まできて、悪くないじゃないかが第一印象だった。もうチェックインするだけだし、いつまでもタクシーを待たせておくものと、二人でAC Chinaの営業マンにお礼をいった。ほっとした顔がなんとも申し訳ない。
パスポートをだして、チェックインしたのに部屋のカギを渡してくれない。チェックインカウンターから出てきて、エレベータへと歩いて行った。早く乗れとでもいっているのだろう、手招きされた。四階のボタンを押して女性は降りてしまった。四階に上がったら、別の女性が待っていた。四階の担当者ということなのだろう、部屋のカギを二つ持って、フロアを真っすぐ歩いて行った。真っすぐな廊下の右と左に小部屋がならんだ独身寮のような作りだった。
最初にポールの部屋だった。カギを開けてポールに何かいった。言葉は分からないが身ぶりで分かる。
「じゃあ、明日の朝、一階のキャフェテリアで」と言って別れた。もう二人とも疲れ切って、口をきくのもおっくうになっていた。女性がキーをもったままでポールに渡さない。これが中国流ということなのか。まあキーがどこかにいってしまってということもないし、ロックアウトされることもないからいいって言えばいいけど、なんか監視されてるようで気味が悪い。
部屋に入って、荷物を整理して、さっさと寝なきゃと思ったが、魚肉ソーセージを思い出した。小さなテーブルの上にひと昔前の骨とう品のような魔法瓶があった。何年使ってるのか、しっかり黒ずんだコルクの栓を抜いて茶碗に注いだら、生ぬるいお湯だった。できれば熱いお湯を貰えないかと、機内で貰った紙パックのジュースもって、四階の管理の女性にチップ替わりにと部屋からでた。二三歩あるいたときに後ろの方で大きな音とともにドアがあいた。なにかと思って振り返ったら、奥の方の部屋から女性が飛び出るように出てきた。白いワイシャツのボタンを留めながら、もう一方の手でズレ下がったスカートを抑えながら走ってきた。なんか見ちゃいけないものを見てしまったようでバツが悪い。女性も気にしてるのだろう。何もなかった、何も見なかったという、二人ともどうにもぎこちない。ジュースを渡して、ポットをだして、紙に「熱」「湯」と二文字かいた。女性の部屋の奥に小さなキッチンがあった。そこから熱い湯を注いでポットを返してもらった。
お湯を入れて魚肉ソーセージを食ったが、失敗した。食べたら余計腹が減ってると感じることがある。さっさとシャワーを浴びて寝てしまった方がよかった。蚊がいる。なんてホテルだ。どこかに蚊を叩く何かないかとみわたしたら、雑な作りの二百ボルトラインで使う大陸版ベープマットとでもいうものが置いてあった。見たところマットは新しそうだ。プラグをもってコンセントに差し込もうとしたら、放電?なのか派手な火花に散びっくりした。まあ、それでも蚊をやっつけてくれればいい。シャワーの前に歯を磨いしてしまおうと、洗面台の蛇口をひねってたまげた。バタバタと配管のなかの空気を押し出すようにまっ茶色な水が散った。出しっぱなしにしておけば、そうだ、バスタブの蛇口も開けとけばとひねったら、洗面台以上にバッバツバッとまっ茶色な水が吹き出てきた。三十分経っても茶色の水はかわらない。空気は出きったのか水だけがジャーと流れているが茶色が薄くなる気配がない。フロントのシャンデリアに騙された。ろくでもないホテルだった。
しょうがない。魔法瓶から茶碗二つにお湯を注いで、冷まして歯磨きに使うことにして、口を一文字に閉めてシャワーを浴びた。どことなくヌルヌルしているようで気持ちが悪い。細かな粘土のような土が混ざっているだけで、バケツにくんで一晩おいておけば、きれいな水になるかもしれないが、こんなところに二泊三日は勘弁してほしい。
ろくに寝ていないのに六時半に起きたとき、妙にすっきりしていた。ただ気が張っているだけだろう。ろくでもない一日の始まりとしては悪くない。茶色の水で清められたのか?
2020/9/27
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〔opinion10252:201103〕