お金というものは物の生産と流通やサービスの授受を促して経済活動を盛んにし、人々の生活を豊かにするために生まれてきたものであろう。そして、経済活動とは本来は物やサービスを生み出して社会に経済的な価値の増加をもたらす活動(実体経済活動)であったと考えられる。アダム・スミスの時代にあっては、市場になじまない公的な事業以外は市場に任せていれば、“見えざる手”に導かれて必要とされる物やサービスが生み出され、それが欲しい人に届くようになって、経済は発展し人々の生活は向上すると考えられていたし、事実そうであったと言えるように思う。
しかし、現在では状況が変って実体経済活動以外の活動──投機により利潤を得る活動(投機経済活動)──が増えてきている。投機経済活動は結局は他から富を移転するだけであって社会に価値の増加をもたらすことがないばかりか、人的資源を含む資源・エネルギーを浪費して経済的価値を逆に減少させることになる。しかも、世界中で投機経済活動のために動いているお金の額は実体経済活動に使われている資金額の数倍から数十倍にもなると言われている。投機経済活動と実体経済活動とでは資金の使われ方が異なるので、上記の数倍から数十倍という数値にどれほど意味があるのか疑問ではあるが、かなりの額の資金が投機に使われていることは確かであって、その資金は社会の発展に寄与するどころか逆にこれを阻害する作用をしていることになる。そしてその結果、以下述べるような悪い影響を社会に及ぼしていると言える。すなわち、実体経済活動が物やサービスの生産、販売等を通じて、当該企業に収益をもたらすほか、広くその生産物を購入した人々にも便益をもたらすのに対して、投機経済活動は、真の意味での経済的価値を生み出すことがないばかりか、実体経済活動に使われる資金を結果的に奪うことになるし、また、自らの活動による収益を当該企業で独占して他に恩恵を及ぼすことがない。このことは、雇用の悪化や富の格差の拡大をもたらし、飢餓人口を増加させる原因となっていると言える。
国連食糧農業機関(FAO)は2012年10月、世界の人口の18人に1人に当たる約8億6800万人が慢性的栄養失調状態にあるとの報告書を発表した。国連加盟国は飢餓人口半減等の目標を定めてこの深刻な人道問題の解決に努めているが、投機経済活動はそれに逆らっていることになる。
なぜそういうことが規制もされずに許されるのであろうか。
本サイト「スタディルーム」での2011年9月5日掲載の拙文「市場経済の現状を放置しておいてよいのか」においても述べたように、「経済」には「物資の生産・流通・交換・分配とその消費・蓄積の全過程、およびその中で営まれる社会的諸関係の総体(大辞林より)」という意味と「金銭の出入りに関すること(大辞林より)」という意味があるので、「経済活動」にも生産、流通等にかかわる活動のほかに収益のみを目指す活動があって、この両者が区別されることなく同じ経済活動として捉えられているところにその原因があると私は考えている。
営利企業が収益の増加を目指すのは当然であるが、その企業が行う事業には収益増加への努力が物資の生産、流通等につながり、ひいては経済的価値の増加につながるものがある反面、投機事業のように経済的価値の減少につながるものもある。そして、この両者が経済的価値の増減にかかわりなく事業収益の規模さえ同等であれば同等の経済活動を行ったものとされ、従業員への報酬と企業利潤とが事業所得としてGDPに計上されて、経済規模増加に寄与したと評価されるのである。これでは投機活動であるからといってこれを規制しようとしても実現は容易ではなかろう。
ではどうすればよいのであろうか。
公的な事業は社会的便益を提供する程度によって評価される。営利事業であっても実体経済活動により社会の経済的価値を増加させる事業は社会的便益を提供している。一方、投機的事業は経済的価値を減少させるものであるから負の社会的便益を提供することになる。従って、営利事業に対しても、事業収益のような私的便益の大きさのほかに、社会的便益を提供する程度──社会への貢献度──によって評価を行うようにし、負の社会的便益を提供するような事業や事業が提供する社会的便益の評価額が事業収益の額に比べてかなり小さい事業に対してはその程度に応じて税を課すことにより、その事業活動を抑制すればよいと考えられる。投機活動が抑制されれば現在これに使われている資金が実体経済活動の方に移るものと予想され、実体経済の活性化に寄与することとなろう。ただ、実体経済活動により多くの資金が回るようになったとしても、地球環境維持・改善、エネルギー開発、水・食料不足解消等のために国家の枠を超えて行うべき公的な事業にも資金が回るとは考え難い。上記の投機活動への課税により得られた資金をこのような事業に投入するのが望ましい。(このような課税についてより具体的に記述した論文として「市場経済における基本的問題点とその解決案」を別途用意している。)
ただし、上述の社会的便益の評価算定に際しては注意すべきことがある。それは、費用便益分析において将来時点の価値を現時点で評価する際には割引をするという誤った算定法が現在行われており、この算定法の考え方を踏襲すれば社会的便益の評価値が偏ったものとなって適正な課税が行われないことである。従って、先ずはこの誤った算定法が是正されなければならない。(この算定法の誤りについては当サイト、カテゴリー「スタディルーム」に掲載された拙文「費用便益分析で使われる社会的割引率はその存在自体が誤りである」(2012年10月5日付け)において述べているし、更に詳細については論文「費用便益分析の現行算定法における問題点とその解決案」を用意している。)
なお、上で提唱した税は、すでに提唱されているトービン税、金融取引税等と類似しているものの、事業に必要な資金の額、その事業が提供する社会的便益の評価額及び事業が得る私的便益の評価額に基づいて全事業に課する税額(事業によっては負の課税額、すなわち助成額となる。なお、公共事業はその助成により実施される事業と解し得る。)を決める点が、金融取引や投機的取引のみに課税する上記諸税とは異なる。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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