この国の近未来が予見可能な来る選挙(続)

私が、交流の広場への投稿(「この国の近未来が予見可能な来る選挙」)中で、言及しながら、選挙戦の只中で書くことを逡巡した一篇の懐疑を、醍醐聡先生が歯切れよく指摘されています(「安倍政治批判、野党共闘、日本共産党の政治姿勢について思うこと」)。

私は、特に、野党共闘と言いながら、その実質は、共産党が、一人区に於いて一方的に候補者を下ろした事実に着目し、共闘の前提に為る政策協定にも実が無いまま、無原則に候補を下す危険性を共産党議員等にも指摘して来ました。

理由は厳しく言えば、民進党等の政権に就いていない政党に不信感を持っているからです。 共産党を除く政党は、何時何時、安倍自民党に協力するかも知れない、潜在的翼賛体質があるからです。 即ち、極言すれば、現下の議会では、共産党のみが野党と思われるからです。

例えば、先の議会で成立した盗聴法、それに、極一部の被疑者取り調べ過程の可視化を疑似餌にした刑事訴訟法の改悪等に、他の野党は賛成しました。 加えて、民進党等は、同和対策基本法の今世紀版を制定する企図を鮮明にしました。 これは、共産党が批判を控えているものの、前世紀における社共共闘の崩壊を招いた根本的対立の再来を、自民党が狙っているものと目される処、民進党は、その利権擁護体質のために、まんまと担がれてしまった訳です。

そもそも民進党の実体は、本当に護憲でしょうか。 私には、そうは思えません。 加えて、例え護憲の立場に立つとしても、それだけで一般国民が票を投じるでしょうか。 無党派層が棄権するのは、護憲に首肯しつつも、それだけでは、生活が出来ないからです。

護憲の立場で、政権に就けば、経済、財政、に始まり、高齢化社会の中での介護等、福祉政策を如何にするのか、を明らかにし、安倍自民党に代わる政権の抱負を語れなければならないのです。 今の野党共闘にはそれがありません。

翻って、EU離脱を選んだ英国民の信託を受けた議会議員は、切迫した政治状況の中でも国民の選んだ道に忠実な政治を目指し必死の努力をしています。 国民の離脱選択を眼前にして潔く辞任表明をされたキャメロン首相の後任には、保守党内で国の存亡を賭けた危機にあって議員と党員が、最適な党首(首相)を選ぶべく日々努めています。 英国では、議員に為るにも、選抜試験を潜る必要があり、政治の道に入るには、その資質が要るのです。

日々、報道される中で感じ入るのは、政治に携わっている人の実力を観る思いがすることです。 報道機関も容赦の無い質問をして政治家に肉薄します。 国民の切迫した思いを背景にしているからでしょうが、厳しい質問が政治家へ飛びます。  この国では、それがありません。

この国では、報道機関がその使命を果たさないのならば、国民は、沈黙せずに声を上げなければならないでしょう。 身近な政治家に問い掛けてみましょう。 まず、消費税を値上げせずに、財政破綻しないのか、と。 戦後インフレのように物価が100倍になればどうするのか、と。 株で損した年金資金は、どう補填するのか、と。 原発が、もう一回、爆発すればどうするのか、と。