これもコミュニティ

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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Die Welt(ドイツの日刊紙)が八月一〇日付けで、節操のないアメリカの典型を揶揄するかのようなニュースを伝えてきた。表題以下たった三行の記事で言葉はいらない、観れば分かると言わんばかりのビデオニュースで、そこにはドイツのように規律を重んじる社会の常識からは信じられない光景が映っている。英語に拒否反応のある人にはちょっとつらいかもしれないが、たいした英語でもなし、細かなことを気にせずに観ていただければと思う。
表題と三行の記事を機械翻訳したものをつけておくが、下記urlからビデオをどうぞ。

「Defying COVID-19 measures, Sturgis Rally kicks off」
「COVID-19対策を無視してスタージスラリーが開催される」

サウスダコタ州ではCOVID-19の感染者が増加しているにもかかわらず、毎年恒例のスタージスモーターサイクルラリーが開催されました。ほとんどのラリー参加者はマスクをしていないため、満員のバーやロックショーで肩を並べていました。

https://www.dw.com/en/defying-covid-19-measures-sturgis-rally-kicks-off/av-58815449?maca=en-newsletter_en_bulletin-2097-xml-newsletter&r=17178901571318922&lid=1905722&pm_ln=105318

ラリーは日本語になって久しいが、スタージス?何それ?が普通だろう。知らなくてあたりまえ、サウスダコタ州の田舎町の町名で、バイクに興味のある人でも知らない人が多いかもしれない。Google Chromeで「sturgis バイク」と入力して検索すれば、町名からラリーのことまで日本語でてくる。

アメリカの新型コロナウィルス禍には目を覆うものがある。この原稿を推敲している十月六日時点で、累計感染者四四二〇万人、死亡者七一万人。ワクチン接種も随分すすんできたが、デルタ株のせいか、終息どころか感染爆発の気配すらある。
Google Chromeで「アメリカのコロナ感染者数」と入力して検索すれば、「新型コロナウイルス感染症(COVID-19) アメリカ合衆国」としてデータがでてくる。

https://www.google.com/search?q=%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E6%84%9F%E6%9F%93%E8%80%85%E6%95%B0&rlz=1C1QABZ_jaJP876JP876&oq=%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E6%84%9F%E6%9F%93%E8%80%85%E6%95%B0&aqs=chrome.0.69i59j35i39j0i512l4.627j0j7&sourceid=chrome&ie=UTF-8

アメリカの最新感染状況を知りたければ、Becker’s Hospital reviewに入って、並んでいるボタンの左上にある「E-Newsletters」をクリックして登録すればいい。月曜から金曜まで毎日の感染者数、発症者数、検査率を州別にまとめた一覧表が届く。urlは下記の通り。

https://www.beckershospitalreview.com/

感染拡大を防ぐためにロックダウンもしたし、マスクをしろ、手を洗え、緊密を避けろと口を酸っぱくして言ってきたが、それを自由の侵害だと提訴する人たちもいる。テキサスやフロリダのように州政府がトランプと似たようなことを言い続けて、ワクチンの接種を拒否している社会集団も多い。

業を煮やしたバイデン政権が接種奨励金を出すかと話だしたが、すでにワクチン接種を進めるためにキャラバン隊までつくって各戸を訪問しはじめている。それを聞いた荒唐無稽な発言で知られる下院議員Marjorie Taylor Greeneにいたっては、そんなヤツがドアをノックしてきたら拳銃を持って出迎えろと言っている。
新学期を迎えるにあたってマスクをした方がといっている教師に対して、フロリダ州知事Ron DeSantisは「マスクをしてきたら、給料支払いを停止する」とまで言い出した。

仕事でニューヨーク市の郊外、クリーブランドの郊外とボストンの郊外に、それぞれ数年滞在したことがある。三年ほどはニューヨークからミネソタやネブラスカ、テキサス辺りまで毎週のように出張で出かけていた。訪問先の多くが機械部品の加工工場で零細企業だったが、なかには巨大軍需工場もあった。どこに行っても話をしたのは工員にマネージャや町工場のオヤジさんたちだった。異邦人としてアメリカの上っ面をみてきた拙い経験からの話で、なにを知っているとも思わない。ましてアメリカは?と漠然と訊かれても、はいこれといった説明なんかしようがない。下記、その程度の理解からの話であること、ご容赦いただきたい。

日本にいるとアメリカという一つの社会があるように見えるだろうが、駐在や留学で何年か過ごしたところで、これがアメリカというイメージが得られるわけではない。ぼんやりしたイメージに若干違いのあるもう幾つかのアメリカがおまけのように付いてくる程度までで終わる。日本人の限界と思う人もいるかもしれないが、それは日本人だからというわけではない。移民の一世として何十年アメリカに住んでいても、もう何世代もたって生粋のアメリカ人だと本人も周りも思っている人たちでも、何がアメリカなのか、アメリカ人とは何なのか、一つの明確な説明をできる人はいない。
アメリカはヨーロッパからの侵略が始まった時から、多種多様というより雑多な集団をまき散らした、とどめようのないなんでもありの社会で、これがアメリカだとうものなんかあったことがない。あんたのアメリカがある、オレのアメリカもある、あいつのアメリカもあって、誰もかれもが似たような違っているような、自分あるいは自分たちのコミュニティのアメリカがある。

じゃあ、アメリカには手にとるように、これといった実感できる社会がないのかと言えば、答えは否(英語でいえば、Yes)。しっかりした社会、というより社会集団がある。人種や宗教、文化や社会的、経済的、さらに居住や学歴などを基にした集団が差別と被差別という現象を伴いながら併存している。

大型バイクに乗って集まってきた人たちも、その集団という一つの小社会の一員として生活している。日本のように中央集権というのか中央政府の権限が強い社会では地方として存在が薄くなってしまうが、アメリカでは雑多な社会集団が、それぞれ独自の文化や生活習慣を主張しあっている。それをかなりの日本人が民主的な社会体制を構築してゆくためのプラットフォームだと考えているようにみえることがある。

アメリカでは、ワシントン(中央政府)が何を言おうが、州政府が何をどうしようとしたところで、ここは俺たちの町だという、極端に言えば、おれたちの勝手だという社会集団から社会がなりたっている。市長や議員だって俺たちの税金で俺たちのために社会サービスをするためにいるだけだし、警察なんてのは自営団みたいなもんで俺たちが雇ってるだけだ。その俺たちの勝手の先には、あって当たり前のように人種差別もあれば、ときにはリンチさえある。

この数年、いくつものセミナーで世界を覆っているグローバリゼーションに対抗するために、地方自治を強化すれば、コミュニティ活動を活発にすればという話をきいてきた。そのたびに、ことはそう簡単な話じゃないんじゃないかと思っていた。
Die Weltが伝えているバイク集団も一つのコミュニティ。それを歓迎する町も一つのコミュニティ。それぞれのコミュニティにはそれぞれの常識のようなものがあって、そのなかには新型コロナウイルスは中国の細菌兵器だというのもあれば、そんなもの風邪のようなものだというのもある。ワクチンは生殖不能にする……それをマスコミが陰謀論とひっくるめて呼んでいる。

バイク集団やそれを歓迎する町の人たちの常識(というのかご都合のいい考え)では、医療機関のああだのこうだのという面倒な解説なんか聞く必要もない。俺たちには俺たちのやり方があるということで、それ以上の情報も知識も受け入れようとはしない。もし、そんなところで、受け入れないまでも情報として理解しておくべきだというようなことを言いだしたら村八分にされるだけならまだしも、命の危険にさらされることも覚悟しなければならない可能性がある。

宗教集団もカルト集団もコミュニティ、暴走バイク集団もコミュニティ、それを歓迎するのもコミュニティ。コミュニティは他のコミュニティと相容れない文化を醸成し差別を生み出すもとになる。世界で最先端の科学技術をほこり、ワクチンも早々に開発したアメリカで感染収束がみえない理由の一つに雑多な価値観や社会観の大きく違うコミュニティの存在がある

<一般的衛生観念の問題>
日本もいろいろだろうが、アメリカで生活していると、あの人たちの公衆衛生観念というのか常識についていけないことがある。まあ、靴を履いたまま家のなか、ベッドの上に寝転がるのは常識だから、その程度はしょうがないということなのだろうが、食事の前に手を洗う習慣があるとは思えない。ファーストフード店で、ドライブスルーで、ダイナーで素手で掴んで食べるのはしょうがないにしても、その前に手を洗いにいく人は見たことがない。
ショッピングモールのトレイに駆け込んで来て、ダウンを脱いで床に放り投げてが常識とは思わないが、気にしない人がおどろくほど多い。

日本では常識に近いことでしかないことが、考えたこともないとなると、ワクチンで力任せに感染を抑えるしか手立てがない。でもそのワクチン、変異株の感染は防げそうもない。感染が続けば、新しい変異株がぞくぞくとでてくる。ワクチンをいくら開発しても変異株のなかには、ワクチンの防御をすり抜けるものもある。
七月後半から八月上旬にかけての英語の(とくにイスラエルの)ニュースやレポートを見ていると、感染を防止するには、不要不急の外出を避けて、マスクをして、人との距離を保って、手を洗ってという日常生活の衛生観念しかないのかもしれないと思いだす。
そこで、その衛生観念を肯定するも否定するも個々のコミュニティの独自の判断に任せるのが民主主義の根幹だと言われると、はいそうですねって言うのをためらってしまう。
2021/8/13
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

 

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11368:211009〕