やることは状況が決めてくれる。というと、自己啓発の思いの強い人たちから積極性が足りないとか、責任感がないと叱られそうな気がする。言わんとすることはよくわかる。他人から見れば自分も十分すぎるほど自己啓発に囚われているように見えるだろうし、その自覚もある。ただ、渦中を抜けた今になって冷静に考えてみれば、決めたことを決められる環境にいたといえば聞こえがいいが、決めなければならない立場に追い込まれていたから決められただけとしか思えない。
他人からは自分の意志で決めていたようにみえただろうが、やらざるを得ない状況におかれて、やらないという選択肢がない、あるいは選べばマイナスが大きすぎて選べないということから、やらなければならないことが必然として決まったということでしかない。
やることややらなければならないことが、たとえ大まかにしても決まってしまえば、あとはどうやるか、そしてどこまでやるかでしかなくなる。どうやるかは、持てるリソースと時間から必然として決まってしまう。できることはせいぜい組み合わせとタイミングでしかない。
個人に委ねられるのは、それじゃ体育会系のノリじゃないかと言われかねないが、どこまでやるかという意思と状況との兼ね合しかない。そして最後はここまでやったのだから、あるいはここまでしかできなかったという半煮えの気持ちだけが残る。
こんなことを考えだした背景は広義の転職―仕事を変え続けたことにある。三十をすぎてからは、チャレンジの場と知識を求めて三四年で仕事を変えるようにしていた。世間一般の言葉でいえば転職になるが社内で仕事が変わっていくことも多かった。ただどこにいっても、やり直しの便利屋で、気持ちの上では、請け負ったことをさっさと片付けて、さあ、次はという渡職人のようになっていた。
同じところで似たようなことを繰り返ししていては、新しい経験もできなければ知識も広がらない。新しい経験や知識のためには、多少給料が下がったってかまいやしない。違うところで違う仕事をしなければならない。職の安定をもとめて会社にしがみついてなんてことはしてられない。
新しい仕事をはじめれば、想像したこともない状況に直面する。もとからいる人たちにしてみれば、変わった視点で聞き慣れないことを言いだす、よくてよそ者、なかには闖入者としか思わなかった人もいただろう。
どこへ行っても、周囲の人たちからこいつはなんなんだ、こいつは何をしてきて何ができるんだ、そして何をしようとしているんだという冷めた視線にさらされた。そんなもの気にして(しすぎて)もしょうがないが、気にはなる。他人に問われる以上にオレはいったいなんなんだと自問し続ける。生得の性分なのか、仕事をとおして染みついた志向なのかわからないが、いつまでたっても自問の癖は変らない。
何をしている会社なのか、組織なのか何も知らずにではないにしても、何を知っているわけでもない。エライさんの話から行き先の状況がわかるなんてことは一度もなかった。どこにいっても聞くと見るとでは大違い。問題があるから呼ばれたにしても、あまりの違いに詐欺にあったような気がした。
三十代の中頃から十年以上アメリカの制御機器メーカの日本支社でマーケティングという名の便利屋をしていた。日本に上陸して五年ほどして日本の電装品メーカと対等出資の合弁会社にしたが、実質は百パーセントアメリカの会社だった。後日知ったことだが、二億円ずつの出資で資本金四億円のところに累積負債が二十億円もあった。アメリカの自動車産業の衰退と日本の自動車メーカの急成長を前に、なんとしでも日本の自動車メーカへの足掛かりを必要としていたことから、アメリカ本社は増え続ける負債を市場参入の投資と思おうとしていたようだった。
陸軍士官学校を出て、どういういきさつか日本人と結婚して日本に長いアメリカ人の社長が、さすがに問題だと思って会社のありようを分析してもらおうとコンサルタントを雇った。なんだか知らないが部長や課長が会議室に入ってごちゃごちゃやってるなと思っていたが、一兵卒に毛の生えた程度の末端にはなにが起きているのか分からなかった。
そんなある日、社長から言われた。
「来週の水曜日、なにか予定はいってる?」
いつものように偶然出会ったとしか思えない通路での立ち話。そんな立ち話から、とんでもないプロジェクトに引きずり込まれて往生していたこともあって、安請けだけはと腰が引けた。
「山崎さんという、東大をでた立派なコンサルタントがくるんだけど、会社の状況を話してもらえないかな」
また東大かよ。学歴が気になるのは分かるけど、そんなのばっかりでどうすんのと思っていた。何をコンサルタントに? 会社の状況たって、何を言われているのか分からない。もしかしてプロジェクトの進捗のことでも聞きたいのかと思って、
「状況って、今抱えているプロジェクトのことをお話しすればいいんですか?」
そう聞かれることを予想していたような、薄ら笑い?イヤな予感がした。
「いや、全体の話で、会社をよくしていくためには、何をしなきゃいけないと考えているのかを、そのままストレートに全部言ってもらえればいいんだけど。頼めないかな」
ストレートに全部って、まさかと思った。社長とは何度も言い合いをしてきたから、オレにストレートにと言ったら、どんなことを言いだすかぐらいわかっているはずだ。それでもどこまでスレートにと思っているのか気になる。あんたのこともになっちゃうんだけど、本当にいいんかなと思いながら、
「ストレートにって、本当に思っていることをいっちゃっていいんですか」
「ストレートに本心を正直に言ってもらいたいんだけど、こんなこと言っても、ストレートに言ってくれるは藤澤さんぐらいしかいないから。お願いできないかな」
大きな会議室でコンサルタントと向き合った。一見穏やかそうにみえるが、相手の緊張を解きほぐす演技でしかないだろう。格好がついているだけにかえって胡散臭い。何を訊きたいんだと探りをいれるように、
「パーソンズから、会社をよくしていくために思っていることをストレートに言ってくれって言われましたけど」
「パーソンズに組織や人間関係のしがらみなしで、状況をストレートに言ってくれる人はいないのかって訊いたら、一人いるということで。お忙しいところ、急なお願いで申し訳ないです」
「感じていること、思っていること、ぶちまける感じで結構ですので、お聞かせ頂けませんでしょうか」
「また、なんでオレなんですか。本部長もいれば、部長も課長もいるじゃないですか。あの人たちの方が会社のことよく知ってるんじゃないですか」
「そうなんですよね。でも数人のグループでも、一対一の個人でも、意味のある話はでてこなかったんです。いくら聞いても何が問題なのか、何をしなければならないのかという話が一切出てこない。というよりすべてはアメリカの問題で、日本の問題じゃないと……」
そりゃそうだろう。ここにはその程度の人たちしかいない。キャリア組のはずだったという食えないオヤジの吹き溜まりみたいなところで、それを作ったのはパーソンズだ。自分(たち)がおかれた状況とその状況のなかでの自分がどうあらざるを得ないかがわからない。そんなこと考えたこともない烏合の衆で、何を聞いたって、意味のある話なんかでてくるわけがない。
「ああ、そういうことなんですか」
学歴信奉主義者パーソンズが連れ来た東大出のコンサルだ。切れる人なんだろうと思いながら二言三言交わすうちに、こんなもんかと見えてしまった。部課長から何もでてこなかったのは、あんたの訊き方や問題の設定があまいからじゃないのかと思いだした。それでも一気に核心に入るのをさけて、アメリカの会社の仕事の仕方の癖みたいなことから始めて、何をどこまでどういったら分かるのか、様子をみながら話しを転がしていった。
言えといわれて言うことで、ウソでもなし、文句を言われる筋じゃない。何を話したところで、何が変わるとも思わなかったが、せっかくもらった機会だ。どこまで受け取る意思と能力があるのか、たまにはアシッドテストをさせてもらう側に回るのも悪くない。ビーンボールも交えながらストレートを続けた。業界違いだから、へんな変化球を投げたら、付いてこれっこない。
あの人たちに聞いたって、なにもでてくるはずないじゃないですか。自分たちがおかれた状況と立場を知る能力がないんだから。
ものを売らなきゃってんで大手の外資が日本に上陸すると、まず大手総合商社の窓際族をありがたく頂いてくる。学歴も職歴も立派なもので、どこからみても一流に見えるし、ヘッドハンターの押しもある。でも、その人たち、組織があってはじめて機能するかどうかって人たちで、組織を作り上げる能力なんかありっこないじゃないですか。
うちは製造設備に搭載される制御装置を製造販売しているメーカで、商社でもなければ販社でもない。商社や販社、それは金融でもコンサルでもいっしょかな。あの人たちのような仕事で社会を経験しちゃうと、うちのようなメーカが客に何を提供しているのかわかるようにはならないでしょう。客は製品やサービスを買ってるだけじゃない。アフターサービスという安心を買ってることの重要性に気がつかない。
商社や販社なら売れば一件落着、それで終わりでしょう。あの人たちはそういう仕事の経験しかない。それが仕事だと思っている。もう商社でも反社でもないメーカですよ。立場が違うことに気がつかない、というより気がつく能力を失ってしまったといったほうがいいかもしれません。いいですかメーカは商社や販社とは違う。製品がエンドユーザでちゃんと動いてからが本番なんですよ。何かトラブったらきちんとサービスして、一社一社の評価から、市場での評判を勝ち取っていくのが仕事ですよ。
最終仕向け地がアメリカのこともあればメキシコや中国やインド、東南アジアもあればブラジルも、ヨーロッパということもある。もし現地でトラブったときに、しっかりした技術サポートを提供できないメーカの製品は使えないでしょう?どんなにいい製品で価格がリーズナブルでもです。日本の同業の製品を持っていったら、なにかあった時に技術サポートを得られないからうちの製品を検討してくれる。
アメリカの製品ですよ。値段は高いし問題も多い。日本製と違って使いにくい。できれば使いたくない。それでも買ってくれる。なぜ? 現地での技術サポートがあるからですよ。そこを切り口に、海外市場に打って出なければならない装置メーカに焦点を絞って市場開拓を進めていけば、こんな百人かそこらの事業体なんか、なんとでもなるでしょう。
日本で買ってもらったうちの製品が、日本国内に設置される可能性はほとんどない。日本メーカのような手厚いサポートを要求されても対応しきれないから、日本に残ってもらっちゃ、こっちも困る。そんな会社でも、一歩海外にでれば、日本メーカよりはるかにいいアフターサービスを提供できる。だから日本で売れる。あの人たち、商社や販社の売ったら終わりという意識から抜けきらないから、その辺りのことがわからない。
事実を事実として言っているだけで、何も特別な話はしていない。エライさんの話を鵜呑みにしてきて、そうですよねって認めるのをためらうことも多いのだろう、やっとわかったという顔をしては確認の言葉を返してくる。おいおい、なんだオレがコンサルしているようなもんじゃないか。お前、オレがいなかったら、パーソンズにどんなレポートをだす気だったんだ。
はっと時計をみたら、もう一時間以上話し込んでいた。適当にまとめてパーソンズなんだろうけど、なにがよくなるとも思えない。残ったのは諦めと意味のない疲れだけだった。
状況がおかしいといったところではじまらない。好き嫌いの話でもなければ、正しいの間違っているとことでもない。自分の力ではどうにもできない、しばし思いもしなかった状況に引きずり込まれて、喘ぎながら流されていくしかない。流されながら、組織や自分や自分たちがあらざるを得ない状況に少しでも近づけるには何をしなければならないのか、やらざるを得ないのか、なにができるのかということで、自分や自分たちの都合で(昔取った杵柄を振り回して)やりたいことをやりたいようにとはならない。状況がすべてを支配している。それを確かめようとする意志があるのか、そしてその意思をささえる胆力があるかの問題になる。
状況は日々変わっていく。それになんとか対応してなんて、切羽詰まったところから生まれて来るもので、誰もあんたらのように格好なんか気にしてる余裕なんかありゃしない。
やることもやりかたも状況が決めてくれる。個人に残されているのは、どこまでやるやか、やろうとするかだけでしかない。
宗教家だって芸術家だって時代や社会の流れから隔絶しては存在しえない。ましてや巷の俗世で生きているもの、状況を知らずしてか考えもせずに、やりたいことをなんてありえないじゃないか。例えて云うなら、大洋のなかで風や潮の流れを読みながら、漂流物にならないように、なんとかヨットのようにと必死の思いでなんとかやっていく、それだけのことだ。それを仰々しく戦略だとかマネージメントとよぶ人たちがいる。
似たようなことはいつでもどこにでもある。商社や販社からメーカへの転職なら、誰の目にも立場の違いがはっきりしているが、組織や個人のありようには大した違いがないのに、社会が大きく変わってしまって相対的に存続しえない立場に陥ったままの人たちがいる。
六十年代や七十年代に社会改革を目指した活動家、八十年代のいけいけどんどんの会社人、視界がぼんやりしたミレニアム世代、その世代の象徴だった人たちが今日の社会で、明日の社会でそのままってわけにはいかない。二十代や三十代に仕事も遊びもと輝いていた人たちが壮年から老齢にさしかかって、社会も環境も違うのにかつての変わらぬ意識で似たようなことを、あり得ないだろう。
社会も立場も違えば、対峙しなければならない状況も違う。違ってこないはずがない。まさか変わってきた、変わっていく状況に無関係にと思っているわけじゃないだろう。何を思おうが思うまいが個人の自由。ただどんな思いを持とうが持たまいが、否が応でも対峙しなければならない状況がある。日々のメシを食ってこうと思えば、思い出のなかに生きちゃいられない。
2021/4/24
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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