はじめて外資のセールスマンの説明を聞いたのは、確か就職して二年目だった。上司から、「本社の生産技術にスウェーデンの切削工具屋が製品紹介にくる……。後学のために話を聞いてこい」と言われて、なんの考えもなく説明会にいった。
七十年代の初頭、機械工場は埃っぽいだけでなく、マシンオイルと切削剤が混ざった匂いが充満していた。夏は塩の錠剤をかみながら、冬の朝は、機械の温度が上がって暖かくなるまで息が白い。騒音もかなりもので誰も声が大きい。トイレに行く前に手を洗うのが常識だった。機械屋を目指すものにはフツーの環境だが、今日日のなんでもきれいになった感覚では間違いなく3Kになる。
スウェーデンに本社をおいた切削工具メーカがグローバル化を進めるなかで、工場まで建設して日本市場に本格的に進出し始めていた。営業マンと加工技術の専門家らしき人たち数名が、会社紹介から、いまでいうサクセスストーリーになるのだろう、切削工具を替えてこんな成果があがっている……。どれも手前味噌の説明でしかないのだが、埃っぽいくすんだ機械工場しか知らないものには、堂に入った説明と準備されたものがまぶしかった。
メーカが持ちこんだ商用ビデオデッキを見るまで、そんなものがあることすら知らなかった。口頭による説明の前にまず会社案内をということで、ロックの音楽に乗ったプロモーションビデオを見せられた。それに続く説明も、プロジェクターを使った、これでもかという説得力のある内容に軽い感動すら覚えた。
会社や製品、製品が提供するメリット……の紹介が終わって、質疑応答になった。会議室に集まっていたのは工作機械メーカの機械加工の専門家で、一癖もふた癖もあるオヤジ連中。こと機械加工について、もっともらしい説明を聞いて、はいそうですかというのはいない。訊いてもしょうがない、相手にするのも馬鹿馬鹿しいとでも思わない限り、何らかの質問やコメントを言わなければ気が済まない。
よく言えば丁寧ないい方なのだろうが、傍目には冷ややかにしか聞こえない口調で、質問が始まった。さっきまで輝いた紹介をしていた営業マンも同行してきた切削加工の専門家も、なんとも歯切れの悪い応答で、しどろもどろになった。何を訊かれているのかの説明までされても、分かったような分からないような、厚化粧の格好をつけただけの返答が、オヤジ連中の反感に火をつけた。はじめのうちは、きつい質問をしだしたオヤジ連中に誇りさえ感じたが、言いたい放題になってしまったオヤジ連中は恥ずかしかった。恥ずかしくはなっても気持ちはオヤジ連中の側にいて、サンドバッグのようになった外資のセールスマンへの同情はほとんど湧かなかった。
おそらくスウェーデンの本社で研修を受けて、そこでもらってきたプレゼンテーション資料をそのまま使っての説明だったのだろう。傍目には馬子にも衣装のような資料と出来合いのプレゼンテーションにしかみえない。型にはまった輝きがあったが、二十年三十年と機械加工一筋のオヤジ連中からすれば、所詮つけ刃、それも会社でつけてくれたもの、歯が立つわけもない。一風吹けば剥がれてしまう安メッキのようだった。
十数年経って、アメリカの制御機器屋にマーケティングとして採用された。客である工作機械メーカへのCNC(工作機械用コンピュータ)や他の製品の拡販が仕事のはずだった。ゴールデンウィーク明けの月曜に初出社して、金曜日の夕方、部長から話が来た。「来週の月曜、朝帝国ホテルに行って、xxxというマネージャが宿泊しているはずだから、ピックアップしてこい」午前中は「そのマネージャが持ってきた製品の説明会の通訳をやれ」
航空宇宙産業向けに開発されたボルト締めのシステムだった。ボルトを性能の限界まで確実に締められれば、現在使っているボルトより一段も二段も細いボルトで部品を固定できる。細いボルトにできれば、機械重量を減らせる。航空宇宙産業向けのシステムをベースにGMと共同で自動車の組み立てラインに使用するシステムを開発した。
たいした原理ではないが、はじめて聞くシステムの紹介。日本語ですらよくわからないものを英語で言われて、よろよろしながら日本語に通訳していった。午後遅い時間になって、部長に呼ばれた。「明日の朝、マネージャを連れて東大阪のxxx製作所にシステムの紹介に行って来い」「今晩、大阪に移動しろ。新幹線の切符も宿もとってある」行けというだけで、出張の支度がどうのという話にはならない。
新幹線のなかでマネージャからシステムの概要と特徴、xxx製作所との協業をするにあたって、必要となるであろうカスタム化の可能性……、できるだけのことを聞いて、頭に叩き込もうとした。
火曜日の朝、二人でxxx製作所に入って、軽い挨拶のあとシステムの紹介をしようとしたら、xxx製作所の専務が見たところマネージャが大事にもっているバインダーとよく似たバインダーをセットで持っている。挨拶もそこそこに専務がニコニコしながら口を開いた。「ご紹介頂くまでもなく、御社のシステムは全て知っています」「GMの担当者から提供された資料です……」
マネージャの顔色が変わった。機密保持契約を取り交わして共同開発したシステムの資料がパートナーのGMのマネージャから日本の競合メーカに渡っていた。「遠いところからいらしたのだし、何もなしで帰るわけにもゆかないでしょう。今日は私どものシステムを紹介しましょう」
はじめて聞く日本のメーカのボルト締め付けシステムの説明を日本語から英語に通訳して、英語の質問を日本語に訳して、終わった。
帰りの新幹線のなかでシステムの説明を聞いていたら、車内放送で電話が入っていると呼び出された。電話にでたら、今日はそのまま帝国ホテルに送って行け。明日の朝、ゆっくりでいいからピックアップして、午後一番で日産に紹介に行け……」
日産の技術陣数名が出てきた。説明しようとしたら、「御社のシステムは大まかに分かっている」「営業じゃしょうがないけど、マーケティングマネージャなら話は早い」「確認したいこととがいくつもあるので、通訳してもらえないか」持ってきた大きなバインダーをいくつも机の上に並べて、「特許関係の資料、その他です」と言いながら細かな質問をされた。それが何を意味しているのかろくに分かりもせずに日本語から英語、英語から日本語の便利屋をした。
これが入社して二週間目の水曜日。その後も似たような役回りで本社と日本の営業マンにアプリケーションエンジニア、客や代理店、エンジニアリングパートナーとの間に立って便利屋として走り回ることになった。
いつもバタバタ、前もっての準備などできることの方が少ない。受け売りから始まるから、能書きは伝えられても、具体的な質問でもされようものなら、しどろもどろになる。
たまげたことに、しどろもどろにならないヤツらもいる。分かっているからならないのではなく、相手が言っていることが分からないから、もっと言えば自分が言っていることすら、ろくに分かっちゃいないのに分かったような気になっている能天気だから、一見自信満々に見える。相手も分かっていないと、分かっていない同士の見栄の突っ張り合いのような感じで、見栄えのいい資料をちらつかせる外資のセールスが輝いて見える。
毎日のように、知らなければならないことが雪崩か津波のように覆いかぶさってくる。いくら勉強しても知っていることや分かったことが増えるより、知らなければならないことの増えるのが早い。いくらやっても追いつきようがない。つけ刃で上っ面の格好をつけるだけならなんとかなるにしても、そんなもの付けたところで先々どうなるものでもない。
知らないことより一歩先の、知らなければならないことのプレッシャーがどんどん大きくなる。逃げたら終わる。へとへとになりながら、そのプレッシャーを上手く使って知る努力のエネルギーに変えて、学び続ける習慣が出来上がってくる。できなければ、くしゃみで崩れる厚化粧のセールスマンで終わる。
ちょっと考えれば、似たようなことは外資に限らず、いつでもどこにでもある。ただ程度というものがある。度が過ぎれば人が痛む。痛むと言っているうちはいいが、なかには精神的に壊れてしまう人もでてくるし、最悪の場合は自殺にいたることもある。
真面目じゃなければ先がないが、優等生への思いが強すぎるとつぶれかねない。適当にずぼらでなけりゃ、やっていけない。人間、「鈍」でなければならないこともある。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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