そう、オレの車?―はみ出し駐在記(54)

代理店のプライベートショーをサポートするためにセントルイスに出かけた。ショーのために買ったとは言っていたが、地場の小さな商社が販売在庫など持つわけがない。客先の付いている機械を自社のショールームでちょっと動かしてしまおうという展示だった。できるだけ機械を汚したくないから、動かすといってもしれている。シンプルに徹した旋盤で余程のことでもなければトラブらない。ショールームに設置された機械の機能確認と来場者への説明だけの簡単な仕事だった。

 

一日のショーにそこまでやるかと思いながらも、一日しかないから、もし万が一その日に機械が動かなかったら大変なことになる。トラブルはずのない仕事なのだが、出先では何が起きるか分からない。ショーの前日に一日かけて機能確認をした方がいいと考えて、ショーの前々日の晩にセントルイスに入った。

 

空港でレンタカーを拾っているうちに雨が降り出した。日も落ちて暗いところに雨、ついてない。空港からちょっと走って、まずはモーテルにチェックインしてしまいたい。モーテルで近間のダイナーを聞いてメシに行けばと思って高速道路への地道を走っていった。空港はどこでも交通の便がいい。セントルイス空港くらいの大きさになれば、空港の近くに高速道路が走っている。地道から高速道路に入るランプは軽い登り坂だった。

 

ランプを登りきって、そのまま高速道路に走りこむ。何も特別なことはない。ただ上り坂のランプでも加速して速度を上げなければならない。アクセルを軽く踏み込んでゆく。ランプにさしかかる高速道路も上り坂だった。加速しながら高速に入るまで高速を走ってくる車は見えなかった。高速に入ったとたん急に高速を走ってきた車のヘッドライトの光が目に入った。速度を上げないと高速を走ってきた車との車間が足りないかもしれないと焦った。

 

加速しなければとアクセルを軽く踏みこんだ。ランプから入って一番右側の車線に入るためハンドルを右に切っていたことも影響したのか、スピンした。一瞬のことだった。雨の降り始めに起きるハイドロプレーニングだ。ハンドルを握り締めて、まるで遊園地のティーカップの強力なやつに乗っているようにくるくる回った。何とかしたいが、ハンドルを握っていることしかできない。回りながら滑ってセンターラインのガードレールにほぼ正面衝突のようにぶつかった。

 

体が前に振り出された勢いで、額の上がサンバイザーにぶつかって押し付けられた。サンバイザーに押し付けられたまま、首を俯きかげんにかしげて、高速を走ってきた車がどうなっているのか斜め見た。止まりきれなければ、ぶつかってくる。それも運転席側、ちょっとした怪我ではすまないかもしれない。何台ものヘッドライトが眩しかった。みんな止まっていた。助かった。一瞬目に入ったヘッドライトから直ぐ近くに車が来ていると思ってしまったが、急停車できる距離があった。

 

自分だけの事故ですんだ。バックしたらギーギーいいながら動いた。動くのは動くが音がうるさいだけで速度はでない。そのまま高速をとろとろ走って、次の出口でレンタカー屋に引き返した。事情を説明して、車を換えてくれと頼んだ。まだまだ新しい車を潰してしまったが、保険は全て入っているし、問題はないはずと思っていた。レンタカー屋のカウンタの女性が何に驚くわけでもなく事務的に「換えてあげたいけど、規則で二十四時間は換えられない。明日の晩に換えにてきて。。。」

 

しょうがない、ギーギー、ガタガタ音を立てながらモーテルにたどり着いた。ギーギーうるさいから人目を引く。垂れ下がった部品もある。フロントは大破していた。それでも動くことは動く。誰もが事故ったんだなと、驚きと大変そうという目で見て行く。何度か情けのような視線を浴びて、開き直った。えぇーい、こうなったらギーギー、ガタガタでも夕飯食いに行ってやる。

 

サンバイザーに頭をぶつけたせいで首が痛い。軽いむち打ち症なのだろうが、病院に行っている余裕はない。モーテルで濡れタオルを首に当てて冷やしたが、気休めにしかならなかった。

 

翌朝、代理店の駐車場に着いたら、直ぐに見つかった。ギーギー、ガタガタうるさいから目が行く。行った先には大破したフロントがある。話を聞いてわざわざ駐車場に見に行くヤツまでいた。嬉しくない話題を提供してしまった。首が痛いから、できるだけ首を動かさないで機械の動作確認をしていった。首を動かさないで作業していると、出来の悪いロボットのような変な動きなのだろう、「どうした?」って訊かれる。その度に昨晩の事故のことを説明した。同じことを何度も言っているうちに、説明がこなれてきたのが分かる。そんなことにこなれて、どうする。訊かれるのがうっとうしい。仕事は簡単だった。もう、何時ショーが始まってもいい。ただ、首が痛い。

 

午後早い時間にもうやることがない。でも、大破した車を交換しないことにはどこに行くにも気が引ける。代理店でコーヒー飲みながら時間を潰して、夕方レンタカー屋に戻った。前の晩にした説明を繰り返して、車を交換してもらった。マイレージのいっていない車が出てきた。まだ新車の臭いが残っていた。

 

モーテルに安心して帰った。もう人目を引くようなこともない。駐車場に止めて、ドアを開けて外にでたら、偶然おばちゃんが歩いてきた。どちらからともなく「Good evening」のあとに、おばちゃんに「これ、あなたの車?」って聞かれた。特別考えることもなく「そう」と答えたら、半分ため息をつくような感じで、「なんてきれいな車なんでしょう」と言われた。(雨の翌日の車は、洗車にでも行ってない限り汚れている。) その言葉の背景には、きれいな車に乗ってるから、きちんとした人で、ちゃんとした仕事についているんだろうという社会常識のようなものがある。日本で言えば、手入れせずに痛んで汚れた靴ときちんと手入れされたきれいな靴の違いになる。

 

一瞬言葉につまった。まさか、そう言われたからって、慌てて「いえ、これレンタカーで、今借りてきたばかりなんですよ」って言えなかった。日本語ならまだしも、英語で説明するのは面倒くさい。ちょっと遅れて小さな声で「ありがとう」と言った。騙すつもりなどない。勝手にいい方にとられた。言葉の上では、たかが車がきれいかどうかという些細な話、どっちにしたところで大したことじゃない。そこから、もし人としてどうかという社会常識(?)が絡んだ話になったとしても、自己申告でしかないが、きれいな車と釣り合いのとれた、まっとうなつもりでいる。

 

それは、ちょっと前までの恥ずかしい車に乗っていたから、今はきれいな車だからというのとは別の話のはずなのだが、偶然居合わせたおばちゃんのように、見えたものまでしか見えないフツーの人たちには、その人たちのバイアスもあって、そうは見えない。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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